おはようございます。
医師のキャリアプランを大事にしながら
転職、開業、経営のパートナーコンサルタントとなる
ジーネット株式会社の小野勝広です。
古典の深さを時々味わいたくなります。
そういう年齢になったのでしょうか?(苦笑)
現代社会に生きるからこそ
古典と触れ合う事で当時の人々とは
違う気づきを得る事ができるような気がします。
本日のブログのタイトルは、
【 方法序説・情念論 】 といたしました。
本書をピックアップした理由
『 方法序説・情念論 』
ルネ・デカルト 中公文庫 を読みました。
あまりにも有名な言葉ですね。
これは学ばねば…と思ったのは
確か20代前半の頃だったと思います。
どの本だったのかすら忘れましたが(笑)、
デカルトの本を買ってきて、
読み始めて、
妥協して、
読み切れませんでした…。
あれから20数年…。
私だって成長しているはずだし、
結構哲学も学んできたし、
今なら読めるはず!と思い
読み始めたのでした。
目次
情念論
第一部 情念一般について。
そしてついでに、人間の本性全体について
第二部 諸情念の数と順序について、
ならびに六つの原始的情念について
第三部 特殊情念について
書簡集
感想
う~ん、深い。味わい深い。
いろ~んな事を考えさせられました。
そしてデカルトさんが
かなり謙虚な姿勢を持っていて、
どこまでも学ぼうとする意欲や
より良いものを受け入れようという態度に
感銘を受けました。
正直、方法序説に関しては
ちょっと理解できないところもあって
退屈に感じるところもありましたが、
情念論に関しては凄く面白かった。
なるほど、人間の情念とはそういうものか?とか、
ある情念の意味とか関連性がわかりやすく書かれており、
実に勉強になりました。
いつもの如くですが、
私などがああだこうだ言うよりも、
おっ!と感じた箇所をいくつかご紹介します。
なるほど人はみな、
できる限り他人の善をはかる義務があり、
だれの役にもたたぬ人間は、
きびしくいえばなんの値打ちもない人間なのであるが、
しかしまた、
われわれの配慮は現代よりも遠くにおよぶべきであって、
今の人にいくらかの利益をもたらすであろうと
思われることを無視することも、
もしさらに多くの利益をわれわれの子孫にもたらすところの
他のことをするためであるならば、
ゆるされてよいのである。
実際私はあからさまに言うが、
今まで学んだわずかのことは、
私のまだ知らないことにくらべれば、
ほとんど無に等しいのであり、
しかも私は、
まだ知らぬ事がらを学びうるという希望を
捨ててはいないのである。
どうですか、この謙虚さ。
デカルトほどの人が
まだまだ学びに満足していないなんて…。
私が、意志それみずからの武器とよぶものは、
意志がそれに従って
みずからの生の行動を導こうと決心しているところの、
善と悪との認識についての、
しっかりした決然たる判断、である。
そしても最も弱い精神とは、
その意志がそのように一定の判断に従おうとは決心せず、
たえずそのときそのときの情念によって
動かされるままになるような精神である。
強い心と弱い心。
おっしゃる通りと思います。
ブレブレじゃダメっすよね…。
われわれが愛の対象を自己よりも低く評価するとき、
われわれはその対象に対して単なる「愛情」をもつだけである。
われわれが対象と自己とを同等と評価するとき、
それは「友情」とよばれる。
対象の方が自己より高いと評価するとき、
われわれの持つ情念は「献身」とと名づけうる。
愛にもいろいろあるんですね…。
最も高邁な者が、
最も控えめで最も謙遜であるのと同様に、
しばしば最も卑屈な精神をもつ者が、
最も傲慢で尊大である。
しかし、強い高邁な精神を持つ者が、
自分の身の上に起こる繁栄や不運のゆえに、
気持ちを変えることはないのにひきかえ、
弱く卑しい者は偶然の運によってのみ導かれ、
不運が彼らをへりくだらせると同じく、
繁栄は彼らを高ぶらせる。
のみならず彼らは、
自分に何かの利益を与えてくれそうな人、
または自分が何かの悪をこうむらせるかもしれぬ人の前では、
恥ずべき卑下のふるまいをし、
同時に自分が何の利も期待できず、
なんの害を受けるおそれもないような人に対しては、
無礼な高ぶった態度を取ることがしばしばある。
このくだりなどは
周囲を見渡せば必ず1人や2人はいますよね。
これくらい達観すれば気にならなくなるのでしょうが…。
「恥」は「誇り」と同様、
自己自身に対する愛にもとづくが、
しかし、非難されているという思い、
またはそういう懸念から生ずるところの、
一種の「悲しみ」でである。
そのうえ「恥」は一種の「慎み」すなわち「謙遜」であり、
自己に対する不信である。
というのは、もし自分をたいへん重んじていて、
自分が他人に軽視されるなどということを
想像しえないような場合には、
恥を感じることなど容易には起こりえないからである。
人とのコミュニケーション時における
自らの感情のコントロールに役立つような
至言ではないかと感じます。
ま、このように私にとってはむむむ…と思う所が
オンパレードでありまして、
ご紹介したのはごく一部です。
きっと皆様がお読みになれば、
また他の箇所でむむむ…と来ると思われます。
それくらいに数珠のように至言や名言が
あちこちに散りばめられています。
最後のエリザベト公女と
クリスティナ女王との書簡集も
非常に良いです。
これが方法序説と情念論のまとめのような役割をしています。
本書に組み込んだ方はスゴイです。
意図があっての事でしょうから、
デカルトを一般人に理解させる術を知っていたと思えます。
世の中本当にスゴイ人っているものですね。
この3部作を通して、
デカルトの思想が段々と染み込むように
(何となく)理解できました(のような気がします)。
評価
おススメ度は ★★★★★ と満点といたします。
冒頭申し上げたように、
十数年ぶりのチャレンジでしたが(笑)
意外にすんなり読めました。
これは私自身が多少なりとも成長した所もありますが、
実は翻訳者の野田又夫さんの功績が大きいと思われます。
結構、翻訳本って読みにくいものが多いですし、
特に古典、哲学の領域のものは難解かつ
これは日本語か?と思うほどに読みにくかったりしますよね。
ところが本書はかなり読みやすい。
野田氏は相当に読み込んで、
できるだけ多くの人に理解してもらえるように
緻密にわかりやすさを追求したのではないかと思います。
ここまで読みやすくしてくれた野田氏に拍手を送ります。
もちろんデカルトの思想にも。
人間の生きる意味を感じましたし、
日々何を考えながら生きると良いのか?
そのヒントが散りばめられた良書だと思います。
そりゃそうだ。
1600年代から連綿と読み継がれているのだから(笑)。
日本じゃ関ケ原の戦いの頃です。
当時の西洋文化は進んでいたんですね…。
私自身も大変遅ればせながら読んだのですが、
それでも本書を知らずに
じいさんにならなくて良かったです。
これを読まずにじいさんになってしまったら
頭の固い、頑固じじいになってしまったかもしれません。
それくらいに人の情念について知っておくのは
実に大切なことであると認識しました。
うむ、まだまだ勉強。
一生勉強ですな(苦笑)。
それでは、また…。
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