おはようございます。
医師のキャリアプランを研究し続ける
ジーネット株式会社の小野勝広です。
しかし大変な時代になってきましたね…。
私たちは知性と教養、知恵と工夫で
この難しい時代を生き抜かねばなりません。
そんな事を考えていた時に、
ピカッと光って
今こそ読みなさいという神の啓示があったのが
本書です。
本日のブログのタイトルは、
【 人生の教科書 「よのなかのルール」 】
といたしました。
本書をピックアップした理由
『 人生の教科書 「よのなかのルール」』
何てたってタイトルが
人生の教科書ですからね。
しかもよのなかのルールですよ。
今読まねばいつ読むの? と
私は勝手に感じました。
内容はよくわからぬままですけど…。
つまらない訳がないだろうと
かなりの期待を持って読み始めました。
目次
序章 なぜ人を殺してはいけないのか
第1部 大人と子どものルール
第1章 大人、子ども、その境目はどこに?
- 少年をとりまく犯罪とルールの関係
COLUMN 中学生・高校生はまだ子ども?もう大人?
第2章 あなた自身と犯罪の危ない関係
COLUMN 制服に征服された高校生
第2部 お金と仕事のルール
第1章 大人はなぜ「接待」をするのか
第2章 1個のハンバーガーから世界が見える
COLUMN コンドームの出身地
第3章 自分の家から日本が見える
COLUMN マイケルジョーダンの年俸とバタフライ・ナイフの関係
第4章 仕事とキャリアを考えると人生が見えてくる
COLUMN あなたの生活費はいくらかかっているか?
第3部 男と女と自殺のルール
第1章 性転換をめぐる、男と女のしあわせのルール
COLUMN 10万円の男より1万円の男を選べ
第2章 結婚と離婚と子どもをめぐるルール
COLUMN クローニングのルール
第3章 自殺から見える社会
- ある監察医のつぶやき
COLUMN ある過食症女性の夢
終章 意味なき世界をどう生きるか?
感想
いや~スゴイ。
非常に勉強になりました。
540ページの分厚い本でしたが、
内容もギッシリ詰まってます。
本来は、中学生、高校生、大学生くらいの方を
ターゲットとしているようですが、
いえいえこれは大人が読まねばなりません。
きちんと大人が読んだ上で
子どもたちに手渡すべき本です。
教育としてだけではなく、
社会を知るのに最適な内容です。
上記の目次をじっくり見て頂ければ
おわかりになる通り、
実に様々な社会問題にフォーカスし、
藤原氏、宮台氏をはじめとして
各界の識者たちが
非常にわかりやすく解説をしてくれています。
正直、興味のある分野もない分野もありましたけど
さすがに専門家が本気で取り組んでますので、
とても理解しやすい。
それと私にとっては宮台真司さん。
最初と最後にガッチリとコラムを書いてくれてますが、
これが超が付くほど勉強になりました。
宮台氏とその他の方々で
まるで2冊の本を読み込んだ気分です。
今回の私がグッと来た箇所のご紹介は
最後の1文以外はすべて
宮台真司氏の章からの抜粋です。
それでもかなりのボリュームになります…。
昔から宮台さんの文章は好きでして、
当ブログを始めてからも
非常に良い学びを得ています。
こうした動きは先進国のどこでも生じていて、
国民国家の「ハイブリッド化」と呼ばれます。
そんな流れの中では、
仲間の範囲が国民全体と一致しないのが、
当たり前になっていきます。
国民国家は、
必ずしも仲間でない人間同士が共生する
空間へと変化するのです。
その結果、「仲間を殺すな」と
「仲間のために人を殺せ」の二大原則だけでは、
国内社会も国際社会も営めなくなってきました。
具体的には、
国民同士の殺し合いを防げなくなり、
国民国家を前提にした
戦争のルール(戦時国際法)も
通用しなくなってきたのです。
(P.35)
先進国の幼児番組を国際比較すると分かりますが、
「みんな仲良し」というメッセージを流すのは
日本の番組だけです。
同じように、中学段階で「みんな一緒」の
一斉カリキュラムが8割以上を占めるのも、
日本だけです。
他の国は過去20年間に変わったのです。
「みんな仲良し」という教育は、
成熟社会では犯罪的です。
人殺しを奨励する教育だと言い切っても構いません。
多くの先進国が「みんな仲良し」を完全にやめたのは、
そのことにハッキリ気がついたからです。
日本人だけが、まだそのことに気がついていません。
国民的に合意された目標が消え、
人口学的な流動性(たとえば居住地変更の頻度)や
ハイブリッド化が進む成熟社会では、
「みんな仲良し」といっても、
仲良くできる範囲には、
当然ながら限界が生まれます。
成熟社会では、「みんな仲良し」どころか、
想像もつかないような感じ方や
振る舞い方をする他人が溢れているのが、
当たり前になります。
ところが「みんな仲良し」は、
仲良くできない他人と
どう付き合うかについて
何のメッセージも含んでいないのです。
(P.36)
伝統社会には、
通過儀礼の失敗ということはありえず、
また「近代過渡期」には、
学齢期における思春期的課題の失敗ということは
滅多にありませんでした。
ところが、近代成熟期を迎えた日本で、
思春期課題の達成に失敗した若者たちが増えてきました。
理由は二つあります。
第一に、近代学校教育のシステムが、
成熟社会化に合わせて変化しなかったので、
承認の供給不足が起きるようになりました。
第二に、大人たちが成熟社会化に適合した
尊厳の型もっていないので、
子どもを承認する力を持てなくなりました。
(P.45)
近代学校教育には二つのモデルがあります。
軍隊と監獄です。
(P.46)
成熟社会では、
「みんなと同じことができる」ことを承認するのではなく、
「個人ごとに異なる試行錯誤の成果」を承認する
プログラムに変わらなければいけません。
さもないと授業時間は「空白の時間」になり、
子どもたちの尊厳形成に何も寄与しません。
(P.51)
ある時代にはうまく機能していた制度や枠組も、
時代が変わるとうまく行かなくなりがちです。
ところが、年長者ほど、
そうした制度や枠組についての良き思い出があり、
その中で育ってきたという自負がありますから、
時代に応じた改革に抵抗しがちになります。
彼らは制度や枠組には問題がないと考え、
悪いのは人間
ーだらしない子ども・
シツケのできない親・
指導力のない教師ーだと考えます。
でも、その人間を育てたのは制度や枠組です。
人間が直接人間を改造できない以上、
制度や枠組、
すなわちルールを変えるしかないのです。
(P.60)
宮台さんが言う「意味を探すな」とか、
「まったり生きろ」の意味が
最近わかってきましたという人が多い。
経済がダウントレンドで、
成長という目標が立ち行かなくなると、
成長を前提とした成功物語や
立身出世があり得なくなりますから、
今までと同じような意味で
「会社で頑張る」ことの意味を見つけるのが、
難しくなったということだと思います。
(P.493)
遠い未来のために現在を、
不透明な社会のために自分を、
犠牲にするのはヤメて、
「今ここ」を楽しく充実して生きるべきこと。
「今ここ」で世界と自分の折り合いをつけるために
ー世界とシンクロするためにー
いろいろと試行錯誤するべきこと。
(P.494)
ニーチェは、
「意味が見つからないから良き生が送れないのではなく、
逆に、良き生を送れていないから
意味にすがろうとするのだ」と言いました。
そういう生き方は、
2000年前に出現したキリスト教が、
「生きることの意味を考えはじめた」ところから始まると考え、
そういう生き方しかできない人間たちのことを「弱者」と呼んで、
軽蔑しました。
(P.495)
近代社会を作りあげるとき(近代過渡期)に
必要だったさまざまな「頑張り」は、
いったん近代社会が出来上がると(近代成熟期)
いらなくなるばかりか、
場合によっては有害になります。
たとえば僕たちの社会は、
すでに成長の限界にさしかかりつつあります。
資源には限りがあること、
環境には限りがあることを前提にしながら、
有限の資源や環境をみんなで分け合って、
侵し合わずに共生するしか、
なくなっているわけです。
(P.496)
ダウントレンドの成熟社会では
「いい学校・いい会社・いい人生」という
安全な道が必ずしも期待できないからです。
先送りせず、若い時分から試行錯誤して、
世界とうまくシンクロして
強度を引き出すやり方を身に付けないと、
将来確実につらいことになります。
(P.497)
一生懸命じゃないと、
しあわせでもない不幸でもない
宙ぶらりんな状態になって、
その希薄さがつらくなります。
(P.498)
偶然こそが僕たちの力の源泉ではないでしょうか。
揺るがない必然的根拠や
意味づけがないと力が出せないというのは、
大いなる勘違いです。
とすれば、あえて偶然に身をさらすような人生もありえます。
(P.499)
世界を受容できないからこそ、
世界を分析する達人になれただろうと思うのです。
(P.503)
人間は、
傷つくことで逆に癒される場合もあります。
人間はとても複雑です。
(P.506)
自由とは、
自分で自分を支えること。
でもこれが難しくて苦しい。
(P.529)
いちばん学んでほしいこと。
それは学校の中と違って、
よのなかには「一つの答え」が
見つからない問題ばかりなんだということです。
(P.530)
最大の問題は、
知識量ではなく
動機づけの希薄化です。
(P.531)
ぼくたちは「世間」という物差しを、
そろそろ別のものに取り替えるべきであろう。
もしかしたら、もはやかつてのように、
誰もがひとしなみに持っている
共通の物差しというものは成立しないかもしれない。
それでも、だからこそ、
ぼくたちは一人ひとりの責任において
「私」の物差しを作らなければならない。
主語は一人称単数ー
「みんな」の陰に隠れるわけにはいかないのだ。
(P.537~538)
評価
おススメ度は ★★★★★ と満点です。
まずは大人が読んで下さい。
そして適齢期のお子さんがいれば
そっと手渡して下さい。
うちはまだ少し早いですが、
中学生になったら読ませようと思います。
そして自分は世間知らずのところがあるとか、
もっと社会全体を知らないと…とか、
社会の構図を学びたいとか、
常識に疎いところがあるとか、
視野が狭いところがあるとか、
そういう方は是非とも手に取って頂きたいですね。
すべての章という訳ではないでしょうが、
必ずやなるほどと学びになるところがあると思います。
まさに人生の教科書、
よのなかのルールについて
多方面から、多角的に、
勉強になる良書であると感じました。
おススメです。
それでは、また…。
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