ある読書好き医療コンサルタントの「書評」ブログ!

年間60~70冊ほど読んでます。原則毎週日曜日に更新しますが、稀にプラスαもあります。本好きの方集まれ!

新哲学入門

 

おはようございます。

 

読書がライフワークになっている

医療業界のコンサルタント

ジーネット株式会社の小野勝広です。

 

私は自分の視野を広げたい願望が強くて、

どなたかにおススメされた本は

素直に読むことが多いですし、

また書籍の中でおススメされている

著者や著書を素直に読むことも多いです。

 

もちろん全て…とは言えませんが、

ほう…と手を出してみたり、

とにかく1冊は読んでみようと挑戦したり、

結構こういうことが多いのです。

 

さて今回はどの本かは忘れましたが(苦笑)、

何かの本で廣松渉氏のことが紹介されており、

思わず興味を持ってしまい、

とにかく1冊読んでみようと思ったんです。

 

今回ご紹介する書籍は、

【 新哲学入門 】 です。

 

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本書をピックアップした理由

『 新哲学入門 』 

 廣松 渉 岩波新書 を読みました。

 

とにもかくにも廣松渉さんの本を

1冊読んでみようと思ったのです。

 

事前知識は哲学家である。

これだけです。

 

何かの本で取り上げられており、

読んでみたくなったのです。

 

廣松渉さんの事を知りたい方は下記からどうぞ。

廣松渉 - Wikipedia

 

哲学って正直難しい学問だと思います。

私は今まで何冊もの哲学本を読んできていますが、

どこまで理解できているのか?

かなり心許ない状況です。

 

それでも哲学は学び続けねばならない。

なぜか強くそう思っているのですね。

理由はよくわかりませんが…。

 

例えば下記です。

和辻哲郎さんにチャレンジしました。

 

ka162701.hatenablog.com

 

下記などもそうです。

ショーペンハウエルにも挑戦です。

 

ka162701.hatenablog.com

 

マーク・トウェインも読んでます。

 

ka162701.hatenablog.com

 

ルネ・デカルトさんも…。

 

ka162701.hatenablog.com

 

トルストイも…。

 

ka162701.hatenablog.com

 

そして西田幾太郎さんまで。

 

ka162701.hatenablog.com

 

いや~、こうして見てみると

いろいろチャレンジしてますね。

 

廣松渉さんの著書は

やはり難解そうなものが多くて、

本書は新哲学だし、入門との事だし、新書だし、

取っ掛かりとしてはいいんじゃないか?と思い

恐る恐る手に取ってみた次第です。

 

目次

緒論 哲学とは? そして本書は

第1章 認識するとはどういうことか

 第1節 意識の存立構造

 第2節 判断と態度決定

 第3節 真理の成立条件

第2章 存在するとはどういうことか

 第1節 現相の存立構造

 第2節 事象と因果法則

 第3節 実在の成立条件)

第3章 実践するとはどういうことか

 第1節 行為の存立構造

 第2節 実践と価値評価

 第3節 正義の成立条件

あとがき

  

感想

ふむふむ、案の定難しい。

今まで読んだ哲学本のなかでも

かなり難しいほうの部類と感じました。

 

今回は廣松渉さんの本を読みたいという

純粋なきっかけでしたが、

もっと他の本のほうが良かったかもしれません。

 

いかにも哲学本らしいと言えば

それまでなのですが、

何だろうなあ…、

本書は奥に奥に入り込もうとする姿勢が強くて、

えっとこれ以上の思考の深さには付いていけないんですけど…

そんなシーンが連発でした。

 

たぶん私の理解は相当に表層的なものですが、

それでもガッチリ読みました。

 

行ったり来たりしながら、

おそらく全ての文章を2~3回は読んでいます。

ん?と思い戻り、読み進め、

また戻るみたいな感じです。

 

いいのです。

難解な哲学本を理解するほどには

まだまだ到達できてません。

 

でもこのプロセスを歩むことは

正しい…と自分では信じてます。

しかし入門で、新書で、

まさかここまで難解だとは思いませんでした。

 

本書は「認識」、「存在」、「実践」について

廣松節が炸裂しているわけですが、

私は下記のような箇所にグッときました。

 

ところが、哲学の場合、

人々が自明の理だと思っている事柄、

それもしばしば”自明すぎて”

ことさらには意識されることもなく

暗黙の大前提にされている事柄、

そういう事柄に関して異を唱え、

新しい見解を表明しようとするケースが多いものですから、

なまなかなことでは理解されません。

(P.6)

 

話しを聞いているとき、

あるいはまた、

文章を読んでいるとき、

意味を意識しますが、

意味なるものが表象像のかたちで

泛かぶわけではありません。

小説や詩を読むようなさい、

表象像が泛かぶ場合もありますけれど、

学術論文を速読するような折には

およそ表象像が泛かびはしないこと、

それでいて意味理解・意味現識は円滑に進捗すること、

このことは容易に認められると念います。

(P.47)

 

「<意味>とは実在的指示対象のことなり」という

意味観は成り立ちません。

(P.60)

 

肯定・否定ということは、

原初的には、

現前的他者の主張に対する賛同・否認の態度決定の場面で

現成するものにほかなりません。

思考とは一種の「対話である」という

考えそのものは昔からありました。

「対話」といっても勿論

つねに現実的・具体的な相手との対話とは限りません。

いわゆる「内なる対話」というかたちをとる場合もあり得ます。

(P.83)

 

私どもとしては、こうして、

感覚論的実証主義者の流儀で、

純粋感覚とやらに

客観性・真理性の終局的基準を置くわけにはまいりません。

(P.91)

 

事態を見え易くするため、

判断上の対立が現出し、

討論がおこなわれている場面を想定して分析してみましょう。

判断的対立、意見の不一致ということが

当事者たちに自覚されているということは、

互いに相手の見解に不同意であるということですが、

このことは、相手の意見に賛同こそしないものの、

ともかく相手の主張を理解しているということを前提します。

全くの誤解というケースもありうるにせよ、

三者的にみても

一応相互に相手の主張内理解し合ったうえで

判断が対立していると認められる場合が現にあります。

ここにおいて、主張内容を理解し合っているということは、

そのかぎりでの間主観的一致性、

命題理解の共同主観的同一性が成立していることを意味します。

ここでは、敢えて大げさな言い方をすれば、

”判断主観一般”が理解する相で

両者が命題内容を理解している、と言えます。

当事者たちが”判断主観一般”と

合一する相で理解をおこなっている、

と言い換えることもできましょう。

(P.99~100)

 

或る共同体の内部での通用的真理が

他の共同体の内部でも通用的真理であるという保証はありません。

が、一定共同体の内部では、

異端的例外者を実際には孕みつつも、

ほぼ共同主観的に一致して

斉同的に認承される可能的命題体系が存立しており、

それがそこでの通用的な真理をなします。

人がもし、一定時代の一定共同体の内部に

もっぱら視座を構える場合には、

通用的真理と妥当的真理の区別ということは

殆んど意味をなしません。

例外者によって「真理性」を主張されても

およそ認承されない命題は、

その時点でのその共同体にとっては戯言みたいなもので、

殊更に妥当性真理性を云々するには値しません。

そこでは、通用的真理と妥当的真理とが合致するというよりも、

そもそも両者を区別することに実質的な意味がないのです。

(P.105~106)

 

哲学的存在論の中には

近代科学の存在観と

構図的には近いものも確かにありはしましたが、

哲学的存在論と呼ばれたものの典型は

何と申しても形而上学でした。

旧来の存在論は、ともあれ、

形而下学的であれ形而上学的であれ、

いずれにせよ、真実に存在するもの、

第一次的な存在者を探求したかぎりでは、

存在するものについての探求であったと申せます。

(P.112)

 

人間的実践の在り方が投入されているのは

「原因」という能動的起動者だけではなく、

原因が結果を必然的に惹き起こすというさいの在り方にも

それがみられる次第なのです。

(P.128)

 

経験は、

今までのデータには例外なく妥当することを教えても、

厳密な一義必然性は教えるべくもありません。

(P.136)

 

一般論として、

自然界の法則的な斉一性や普遍性ということは、

各種の実証的測定にとって前提ではあっても、

それ自身は実証された知見ではありません。

(P.141)

 

ところで、存在界というとき、

そこにはいわゆる物理的存在体や

自然的秩序・構造・法則といったたぐいだけでなく、

美・善・聖といった

各種のいわゆる「価値」的存在もありますし、

規範・権力・制度といった

社会的存在もあります。

(P.147~148)

 

今、例えば、農夫が孤独に畑を耕しているとします。

畑は彼自身の拓いたものではなく、

農耕動作も彼自身の案出したものではありません。

いずれも他人たちの作ったものです。

彼の”孤独な農作業”は、

実態においては”多くの人々の共同作業”とも

謂うべきものになっております。

(P.161)

 

このように、その都度の対他者関係に応じて、

さまざまな役柄存在者たりうるのですが、

しかし、彼は一個同一の人物であるものと自分でも思い、

他人たちからもそう認められております。

(P.163)

 

価値は、真・偽、善・悪、美・醜、聖・俗、浄・穢…というように、

必ず正価値と反価値とが対になっているのが

一つの特徴だと言われます。

(P.171)

 

人生劇場という協演の場は、

「一体化」的"他者理解”という形態をも含む

多岐多様な”協働態勢”の形成される場であり、

そのことに俟って”共同主観的”な

”意識現象”が具現するのだということ、

このことを忘れないようにしたいと思います。

(P.213)

 

或る妥当的正義が

「正義」として実現・成立する条件は、

啓蒙・説得を同志獲得の手段として活用するにせよ、

本質的には、逆説めきますが、

協演的・協働的な社会編制態の

基底的構造の変革というかたちでの

”正義”の実現そのことにほかなりません。

(P.217) 

 

評価

おススメ度は ★★★☆☆ といたします。

 

哲学をかなり学ばれている方には

もっと星が付くと思いますが、

私にはちょっと難しすぎました。

 

今回は認識、存在、実践という

まあ哲学としては基礎的な

まさに入門編なのかもしれませんが、

私はどこまで理解できたのか…。

 

ただ廣松渉という人物には興味が持てました。

いずれまたチャレンジしようと思います。

それでは、また…。

 

 

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