ある読書好き医療コンサルタントの「書評」ブログ!

年間60~70冊ほど読んでます。原則毎週日曜日に更新しますが、稀にプラスαもあります。本好きの方集まれ!

待場の共同体論

 

おはようございます。

 

読書がライフワークになっている

医療業界のコンサルタント

ジーネット株式会社の小野勝広です。

 

京セラの創業者である稲盛和夫さんは

「人生・仕事の結果 = 考え方 ✖ 熱意 ✖ 能力」と

よくおっしゃっていました。

 

ホントにその通りだよな…と思います。

特にこの「考え方」が重要です。

 

この人こんなに優秀なのになんでこの程度なの?

時々こういう方と出会いますが、

だいたい「考え方」に問題がありますね。

 

私はそんな偉そうなことを言える身分ではないですけど

ただ「考え方」を常にブラッシュアップできるように

読書は欠かせないと思ってます。 

 

今回ご紹介する書籍は、

【 待場の共同体論 】 です。

 

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本書をピックアップした理由

『 待場の共同体論 』 

内田 樹 潮新書 を読みました。

 

今より少し良い「考え方」を身に付ける。

こういう時は内田樹さんです。

 

今回は共同体論です。

 

内田樹さんを師と仰ぎ、

何冊もの著書を読み込んでいる私としては

この共同体というのは

おそらく内田さんのテーマの
ひとつであるんじゃないかと思ってます。

ざっと過去の書評を振り返ってみますと…

 

ka162701.hatenablog.com

 

ka162701.hatenablog.com

 

ka162701.hatenablog.com

 

いずれも共同体について触れられているんですね。

 

それだけ現代社会は個人主義が進み、

その弊害が大きくなっていると言えないでしょうか?

 

数冊の本を読んだら内田樹さんに戻る。

そんな私の読書傾向はまだまだ続きそうです。

 

本書も興味津々で読み始めた次第です。 

 

目次

第1講 父親の没落と母親の呪縛

第2講 拡大家族論

第3講 消費社会と家族の解体

第4講 格差社会の実相

第5講 学校教育の限界

第6講 コミュニケーション能力とは何か

第7講 弟子という生き方  

 

感想

家族、社会、学校、コミュニケーション、師。

いずれの切り口も大変勉強になりました。

 

冒頭に申し上げた「考え方」ですが、

本書を読み終えた後に

私は少しだけ良い考え方を身に付けた気がします。

 

それはなぜか?

結局、本書に書かれているのは

いかにより良く考えるか?であり、

いかにより良く生きるか?なのですね。

 

人は1人では生きていけない。

こんな当たり前の事すら

理解していない人が増えている昨今、

本書の存在価値は益々高まるばかりと思います。

 

ここにあるのは

「あるべき共同体」の理想ではありません。

そんなものは存在しないと

内田さんご自身がおっしゃっています。

 

あらゆる共同体はそれぞれの集団が置かれた

ときどきの歴史的環境に適応して変化するものであり、

つねに変化しているものだ…と。

 

私たちが生きる70年とか80年のなかでも

共同体の姿かたちは変わっていくわけで

その本質を知っておくことは

それこそ私たちの生活にも影響しますし、

キャリアや人生もそうですし、

思想信条などにも影響しますよね。

 

本書には「考え方」があります。

おそらく多くの人にとって

今の考えよりも有用な考えが書かれています。

 

個人的には必読の書だな…と感じました。

 

それでは恒例の私がグッと来た箇所を

ご紹介いたします。

 

あまりメディアに振り回されずに、

「大々的に報道されているが、実はよくあること」と、

「あまり報道されていないが、実は前代未聞のこと」を、

自力で見分ける工夫はされておいたほうがいいですよ、と

申し上げたいだけです。

(P.21)

 

親族内におけるメンバー相互の感情というのは、

社会的なルールとして制度的に決まっています。

個人の発意によっては決定できない。

(中略)

例えば、

「父が息子に尊敬される社会」というものがあります。

そういう社会においては、

父の側に個人的に息子から尊敬されるような

人格的実質がなくても、

息子が父に対して恭しくふるまうことが

制度的に決められている。

父親に対して敬意を示さないと

社会的制裁を受ける。

(P.35~36)

 

「大人なんか信用するな」と言ってきた若者は、

大人になったときに

「若者に信用されない人間」になる。

そうしないと、話のつじつまが合わない。

「金持ちはみんなケチだ」と

金持ちを罵倒してきた人は、

何かのはずみでお金持ちになったときに守銭奴になる。

そうしないと、自分が間違っていたことになるから。

そういうものです。

(P.42)

 

「あなたが何ものであるかは、

あなたがどのような商品を

購入したのかによって決せられる」。

そのような消費者哲学に基づいて、

現代人のアイデンティティは構築されています。

(P.109)

 

日本人に刷り込まれた新しい労働観というのは

次のようなものでした。

最も少ない努力で、最も効率よく、

最も大量の貨幣を獲得できるのが、

「よい労働」である。

労働の価値は、かつてはどのように有用なもの、

価値あるものを作り出したかによって考量されました。

バブル期以降はもうそうではありませんでした。

その労働がどれほどの収入をもたらしたかによって、

労働の価値は考量されることになった。

そういうルールに変わったのです。

ですから、最もわずかな労働時間で

巨額の収入をもたらすような労働形態が、

最も賢い働き方だということになる(例えば、金融商品の売買)。

一方、額に汗して働き、

使用価値の高い商品を生み出しても、

高額の収入をもたらさない労働は

社会的劣位に位置づけられました(例えば、農林水産業)。

そのようにして現代人の労働するモチベーションは、

根元から傷つけられていった。

(P.113~114)

 

「こども」は、

システムの保全は「みんなの仕事」だから

「自分の仕事」じゃないと思う。

「おとな」は、

システムの保全は「みんなの仕事」だから

「自分の仕事」だと思う。

その違いです。それだけの違いです。

今の日本は、「こども」の数が

異常に繁殖してしまった社会です。

誰もが「おい、なんとかしろよ!」と怒鳴るだけで、

「はいはい、私がやっておきます」という人は

さっぱり出てこない。

別に全員が「おとな」である必要はありません。

そんな無法なことを僕は求めているわけではありません。

全体の、そうですね、

七パーセントくらい「おとな」がいれば、

現代の社会制度はなんとか回していけます。

それくらいには日本社会は安定的に設計されていますから。

(P.121)

 

蛇口をひねると水が出る、

スイッチを押すと電気が点く、

時刻表通りに電車が来る、

110番をまわすとおまわりさんが駆け付ける、

学校に行くと先生が教壇に立って教科を教える、

病院に担ぎ込まれるとすぐ救急医療が受けられる。

そういう仕組みは、

政権交代や株価変動に連動して

変化するものであってはならない。

だから、社会的共通資本の管理運営に

政治と市場はかかわってはならない。

これが制度論の常識だと僕は思います。

でも、この「常識」がもう通らない。

それはこれらの社会的共通資本は

「誰のものでもない」という前提を

受け付けない人が増えてきたからです。

増えてきたどころか、

もう過半を制したかもしれません。

(P.158)

 

僕たちが生きている間に遭遇する決定的局面は、

すべて「どうしていいかわからない」状況です。

結婚相手を決めるときも、

就職先を決めるときも、

乗った飛行機がハイジャックされたときも、

神戸にゴジラが上陸したときも、

僕たちは「こうすれば正解」ということを

あらかじめ知らされていません。

どうしていいかわからないけれど、

決断は下さなければならない。

人生の岐路というのは、

だいたい「そういうもの」です。

わが国のエリート層を形成する受験秀才たちは、

あらかじめ問いと答えが

セットになっているものを丸暗記して、

それを出力する仕事には長けていますが、

正解が示されていない問いの前で、

臨機応変に、自己責任で判断する」訓練は受けていません。

むしろ誤答を病的に恐れるあまり、

「想定外の事態」に遭遇すると、

「何もしないでフリーズする」ほうを選ぶ。

彼らにとって「回答保留」は、

「誤答」よりもましなのです。

(P.195)

 

実際には、長い時間をかけて、

さまざまな機会に遭遇し、

想像を絶した状況に投じられたあとに、

それぞれの才能は開花する。

でも、商品にはそういうことはありません。

時間が経てば時代遅れになり、

品質も劣化するだけです。

でも、人間は商品ではありません。

時間の中で劇的に変化する。

人間というのは「化ける」んです。

(中略)

主従関係とか、師弟関係というのは、

「人間は変化する」ことに軸足を置いた人間関係です。

関係が始まる時点では、

その人が何者であるかということは、

ほとんど問題にならない。

何者でなくて構わないんです。

それからあと、時間をかけて、

熟成してゆくんですから。

(P.214)

 

「学ぶ」ことの本質は、

師から教えられたことを、

自分で受け止めて、整えて、

付け加えられるものがあれば付け加えて、

次の「世代」に「つなぐ」ことだからです。

(P.247)

 

情報のクオリティを判定するための外的な基準があって、

以前だったら、マスメディアが、

「この情報は価値がある」「これはクズ情報」を

区分けする作業を代行してくれました。

大きく取り上げたり、扱いを小さくしたり、

そもそも報道しないとかして、

情報の格付けをしてきたわけです。

けれどもマスメディアは、

もう情報の「格付け機関」として

機能しなくなってしまった。

どうでもいいことを大きく報道し、

重要なことを報道しないというかたちで、

隠微な検閲が行われていることを、

みんなが気づいてきましたから。

(P.248)

 

「自分さえよければ、それでいい」という

自己利益だけを追求して、

まわりを競争相手として

排除してゆくような生き方をするより、

集団全体のパフォーマンスを底上げするほうが

自己利益を安定的に確保できるという、

ごくごく当たり前の事実を思い出して欲しいんです。

(P.252)

 

自分の無知を認めないで、

ものを学ぶことを拒絶した人間に、

社会的上昇のチャンスはありません。

(P.272)

 

残念ながら、師弟関係というのは、

先生が立派な人であれば、

必ず成立するというものじゃないんです。

師匠がどれほど偉大であっても、

弟子の側に学ぶ備えがなければ、

師弟関係は始まらないし、続かない。

逆に言えば、

「こんな人に就いて、大丈夫なのかな」と思うような人でも、

その人に就いて、

言われる通りに稽古しているうちに、

ぐいぐいと成長して、

ひとかどの人物に仕上がるということだって、あるんです。

そこが師弟関係の力学の、

最もダイナミックなところだと思います。

(P.284~285)

 

僕がいちばん嫌いなのは、

「所詮レヴィナスとはこれこれに過ぎない」と

いうふうに決めつけて、

最低の鞍部で、

レヴィナスを「超えた」気になっている研究者なんです。

読んでわからない部分は読み飛ばして、

自分が解釈できた部分だけを

つぎはぎして論文を書く人の気持ちが、

僕にはどうしても理解できないんです。

集団全体としての知のレベルを上げてゆくことより、

おのれ1人の業績リストを賑わすことのほうを

優先するようなことをして、何が楽しいのか。

そんなことをしても、

100年単位の知の歴史から見たら、

ゴミみたいな話じゃないですか。

(P.298~299) 

 

評価

おススメ度は ★★★★★ と満点といたします。 

 

もし世の中に不満があったり、

他者に対して不平があったり、

今の自分自身に納得できていなければ、

是非本書を手に取って頂きたいです。

 

何か物の見方が変わるかもしれません。

そしてそれがブレークスルーに繋がる可能性は高いです。

 

「考え方」。

常により良いものを

自分に与えていきたいですね。

 

本書はその点で最適です。

 

それでは、また…。

 

 

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