ある読書好き医療コンサルタントの書評ブログ!

年間60~70冊ほど読んでます。原則毎週日曜日に更新しますが、稀にプラスαもあります。本好きの方集まれ!

努力論

 

おはようございます。

 

読書がライフワークになっている

医療業界のコンサルタント

ジーネット株式会社の小野勝広です。

 

子供の頃、古典を読めとよく言われました。

教科書に出てきたものとか、

夏休みの宿題の読書感想文のためとか、

その程度は読みましたけど

正直それ以外はあまり読みませんでしたね。

 

もともと読書好きだったので、

本はよく読んでいたのです。

 

明智小五郎シリーズとか、

星新一とか。

 

中学生、高校生、大学生当時も

古典は読みにくいし、

意味もよくわからないし、

他にもっと読みやすくて勉強になるものがあるのだから

そっちを優先すべきだろうと思ってました。

 

社会人になってからも

20代の頃はずっとこんなスタンスでしたし、

多くの本を読みましたけど

古典に興味を持つことはありませんでした。

 

しかし30代になり、40代になってくると

もともとの歴史好きから

少しずつ古典に興味を持つようになり

ここ数年はかなり読むようになりました。

 

かなり遅ればせながらなんですけど、

まあそれでも読まないよりはいいかと…。

よいことを始めるのに遅すぎるなんてないって

言われますからね。

 

今回ご紹介する書籍は、

【 努力論 】 です。

 

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本書をピックアップした理由

『 努力論 』

幸田 露伴 岩波文庫 を読みました。

 

いつだか授業で出てきただろう幸田露伴

 

wikipediaで確認しましたけど

う~ん、ほとんど知らないぞ…。

 

夏目漱石森鴎外と並び称されていたそうですけど、

漱石や鴎外と比較すると若干地味かも?

 

実は何かの本を読んでいた時に、

この「努力論」について語られていて

努力好きな私は「ん?」と興味を持ちました。

 

そこで検索を掛けてみると

岩波文庫の本と

現代語訳された本が見つかりました。

 

きっと読みやすさや理解のしやすさを考えれば

現代語訳を選ぶべきでしょう。

 

でも私は岩波文庫が大好きですし、

わからないなりにわかった気になれる性分ですので

敢えて岩波文庫のほうをポチっと購入。

 

さあ、どこまでわかるか?

若干不安はありながらも

努力を論じることに興味津々で

読み始めたのでした。 

 

目次

運命と人力と

着手の処

自己の革新

惜福の説

分福の説

植福の説

努力の堆積

修学の四標的

凡庸の資質と卓絶せる事功

接物宜従厚

四季と一身と

疾病の説

静光動光

進潮退潮

説気 山下語 

 

感想

読みながら…

やっぱり現代語訳にしといたほうが良かったかなと

何度か後悔していました。

 

かなり難しい。

理解しにくい。

 

いい年して恥ずかしいですが、

ん?こんな漢字初めて見たぞ

何て読むんだ?という箇所も結構ありました。

 

ただやっぱり名作というか、

長く読まれ続けている本には

何かがあるんですよね。

だからこそ残っていく。

 

本書は小説ではなく、

今で言うとエッセイの範疇に入ります。

 

だから幸田露伴の生の声で

つらつらと語られていくのですね。

 

今風で言えば

かなり読みにくくはあるんですけど、

露伴の観察眼が鋭くて、

人とはこういうもんだ、

人生とはこう考えるべきだ、

社会とはこうして成立しているんだ…というような

ある種の人間学、人生論、社会学として読んでいくと

かなり面白い内容であります。

ま、わかりにくいですけど(笑)。

 

努力について

直接的に書かれているところは

それほど多くはありませんけど、

間接的に読み込めると

物事をこう考えて

人とはこう付き合って

社会とはこうしてバランスを取る…と考えると

確かにそれ自体がすでに努力であるなと感じました。

 

それでは恒例の私がグッと来た箇所をご紹介します。

 

努力は一である。

しかしこれを察すれば、

おのずからにして二種あるを観る。

一は直接の努力で、

他の一は間接の努力である。

間接の努力は準備の努力で、

基礎となり源泉となるものである。

直接の努力は当面の努力で、

尽心竭力の時のそれである。

人はややもすれば努力の無功に終ることを訴えて

嗟歎するもある。

然れど努力は功の有と無とによって、

これを敢てすべきや否やを判ずべきではない。

努力ということが

人の進んで止むことを知らぬ性の本然であるから

努力すべきなのである。

そして若干の努力が若干の果を生ずべき理は、

おのずからにして存して居るのである。

ただ時あって努力の生ずる果が佳良ならざることもある。

それは努力の方向が悪いからであるか、

然らざれば間接の努力が欠けて、

直接の努力のみが用いらるるためである。

無理な願望に努力するのは努力の方向が悪いので、

無理ならぬ願望に努力して、

そして甲斐のないのは、

関節の努力が欠けて居るからだろう。

(P.23)

 

努力して努力する。

それは真のよいものではない。

努力を忘れて努力する。

それが真の好いものである。

(P.25)

 

但し聡明な観察者となり得ぬまでも、

注意深き観察者となって世間の実際を見渡したならば、

吾人は忽ちにして

一の大なる灸所を見出すことが出来るであろう。

それは世上の成功者は

皆自己の医師や智慮や勤勉や仁徳の力によって

自己の好結果を収め得たことを信じで居り、

そして失敗者は皆自己の罪ではないが、

運命の然らしめたがために

失敗の苦境に陥ったことを嘆じて居るという事実である。

即ち成功者は自己の力として運命を解釈し、

失敗者は運命の力として自己を解釈して居るのである。

この両個の相反対して居る見解は、

その何の一方が正しくて

何の一方が正しからざるかは知らぬが、

互に自ら欺いて居る見解でないには相違ない。

成功者には自己の力が大に見え、

失敗者には運命の力が大に見えるに相違ない。

(P.30)

 

運命とは何である。

時計の針の進行が即ち運命である。

一時の次に二時が来り、

二時の次に三時が来り、

四時五時六時となり、

七時八時九時十時となり、

是の如くにして一日去り一日来り、

一月去り一月来り、

春去り夏来り、秋去り冬来り、

年去り年来り、人生れ人死し、

地球成り地球壊れる、

それが即ち運命である。

世界や国家や団体や個人に取っての

好運否運というが如きは、

実は運命の一小断片であって、

そしてそれに対して

人間の私の評価を附したるに過ぎぬのである。

(P.32)

 

注意深き観察者となって世上を見渡すことは、

最良の教を得る道である。

失敗者を観、成功者を観、

福者を観、不幸者を見、

而してある者が如何なる線綫を手にして

好運を牽き出し、

ある者が如何なる線綫を手にして

否運を牽き出したかを観る時は、

吾人明らかに一大教訓を得る。

(P.33)

 

福を惜むということの重んずべきと同様に、

福を分つということもまた甚だ重んずべきことである。

惜福は自己一身にかかることで、

おのずから積極的の観がある。

正しく論じたならば、

惜福が必ずしも消極的ならず、

分福が必らずしも積極的ではあるまいが、

自然と惜福と分福とは

相対的に消極積極の観をなして居る。

(P.66)

 

世に福を有せんことを希う人は甚だ多い。

しかし福を有する人は少い。

福を得て福を惜むことを知る人は少い。

福を惜むことを知っても

福を分つことを知る人は少い。

福を分つことを知っても

福を植うることを知る人は少い。

(中略)

この道理を以て、

福を得んとすれば

福を植うるに若くはない。

しかるに人多くは

福を植うるを以て

迂闊の事として顧みない傾があるのは

甚だ遺憾の事である。

(P.83)

 

徳を積むのは

人類の今日の幸福の源泉になって居る。

真智識を積むのもまた

人類の今日の幸福の源泉になって居る。

徳を積み智を積むことは

即ち大なる福を植うる所以であって、

樹を植えて福恵を来者に貽る如き比ではない。

植福なる哉、植福なる哉、

植福の工夫を能くするにおいて始めて

人は価値ありというべしである。

(P.85)

 

まして才乏しく徳低き者にありては、

努力は唯一の味方であると断言してよいのである。

(P.90)

 

如何なるかこれ四箇の標的。

一に曰く、正なり。

二に曰く、大なり。

三に曰く、精なり。

四に曰く、深なり。

この四はこれ学を修め、身を立て、

功を成し、特に進まんとするものの、

眼必ずこれに注ぎ、

心必ずこれを念い、

身必らずこれに殉わねばならぬところのものである。

これを標的として進まば、

時に小蹉躓あらんも

終に必らず大に伸達するを得べきは疑うべくもない。

(P.96)

 

いわゆる志を立つるということは、

あるものに向って心の方向を確定する意味で、

いい換うれば、

心の把持するところのものを定める訳なのだ。

それであるから、

心の執る処のものを

最も善いものにしなければならぬのは

自然の道理である。

随って志を立つるには固からんことを欲する前に、

先ず高からんことを欲するのが必要で、

さて志立って後はその固からんことを必要とする。

(P.110)

 

病に罹らざるを力むるには、

第一に自己の健全ならんを力め、

次いで自己の近親者及び

他人の病まざらんことを力むべきであるが、

自己一個の力を以ては

自己をすら完全に保護することの出来ぬのが

人間の真相であり実際であるから、

病に罹らざることを力むるにも

単独的にするよりも

相互的にせねばその目的は達せられぬ。

(P.150)

 

先ず第一に、

為すべき事があらば為してしまうのである、

思うべき事があらば思ってしまうのである、

為すべくも思うべくもない事であるならば

放下してしまうのである。

(P.185)

 

境遇の固定はたしかにある度までは幸福であるが、

ある度を過ぐれば発達進歩を停止し、

次に萎靡不振を来し、

張る気を保つを得ざらしむるのである。

(P.229)

 

体に体格があり、

性に性格があると仮定すれば、

体格と性格との交渉のところを

気というのである。

体格はもと仮定である、

体は時々刻々に変ずる、

性格もまた本来過程である、

性は時々分々に変じ行くものである。

(P.307) 

 

評価

おススメ度は ★★★★☆ といたします。 

 

巻末で解説を書いた

中野孝次氏も述べておりましたが、

本書は「努力論」ではありますが、

ある種の「幸福論」でもあります。

 

明治末から大正初めの頃

自らの境遇を不幸と思い込み、

悩み、陰惨な思いに沈んでいる人が多く、

そういった方へ露伴

「気の持ちよう次第で人はいかにも明るく

 のびやかに生きられること」を伝えたかったと。

 

その具体的な考え方、行動を

こうしてみたら?

こう受け止めてみたら?

こうするといいよ!と

露伴なりに書いているのですね。

 

つまり幸福となるための努力ということ。

これは人生論であり、人生訓であるとも言えます。

正しい努力の仕方。

これを知りたければ本書を手に取るといいでしょう。

 

ただ岩波文庫のものはかなり難解です。

下記のような現代語訳したもののほうが

読みやすいと思います。

 

www.kinokuniya.co.jp

 

それでは、また…。 

 

 

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