おはようございます。
読書がライフワークになっている
医療業界のコンサルタント
ジーネット株式会社の小野勝広です。
不思議なことに
年を取れば取るほどに
興味の範囲が広がっていきます。
無知の知と言っていいのでしょうか?
何かひとつを知ると
その先の知らないことが現れる。
それを知るとさらに先が…。
ホント人生ってのは勉強の連続ですね。
でもこれが心地いいんですよね~。
仕事が忙しいと
どうしても読書の時間が削られてしまいますが
それでも1日必ずどこかで本は読んでしまいます。
そんな読書家に育った自分を
自分で褒めたいと思います(笑)。
だって読書の時間って楽しいですし、
知的好奇心が湧いてきて
ある種のアドレナリンが出てきますからね。
これからもたくさんの知らないことと
出会っていきたいと思ってます。
今回ご紹介する書籍は、
【 文化防衛論 】 です。
本書をピックアップした理由
『 文化防衛論 』
三島 由紀夫 ちくま文庫 を読みました。
若い頃は全然三島由紀夫には
興味が持てなかったんですね…。
でもこの本を読んで一気に変わりました。
そしてエッセイだけでなく
やはり三島の小説も読まんとアカンやろうと思って
こちらも読んでみました。
また番外編ですけど
この本もとても面白かったです。
あとは先日Amazonプライムで
この映画も鑑賞しました。
いい年して恥ずかしく思いますが
今さら三島由紀夫への関心が高まっています。
そして「文化防衛論」です。
何かの本でこの作品について書かれていて
興味を持ってメモアプリに書いておきました。
なかなか出会えなかったのですが
ようやく手に入れて
喜びつつ本書を読み始めました。
目次
第1部 論文
反革命宣言
文化防衛論
『道義的革命』の論理ー磯部一等主計の遺稿について
自由と権力の状況
第2部 対談
第3部 学生とのティーチ・イン
テーマ・『国家革新の原理』
感想
いや~面白い。
非常に勉強になりました。
三島のイデオロギーや考え方に
すべて賛成というわけではありませんが、
さすがに作家だけに言葉に力があるんですね。
第1部の論文は
若干難解なところもありましたけど
グッと引き込まれてしまいます。
革命だ、防衛だ、自由だ、権力だなんて言っても
現代社会では遠い昔のものとか、
遠い世界の話しのように思ってしまいますけど
本当はもっと身近に感じるべきですし、
もっと私たちは意識下に置かねばならないように感じます。
それが政治の腐敗の根本的要因ですし、
行政の怠慢にも繋がっているように思うんですね。
その証明ではないですけど
続く第3部です。
驚きました。
学生たちの質問に答えているのですが
この討論は見ものです。
時代が違うと言えばそれまでですが、
この頃は暮らしが今ほど安定しておらず
政治への関心を若者が強く持っていたのでしょう。
とても勉強しているように感じましたし、
自分なりにポリシーを持ち、
真剣に考えて
確固たる哲学を持とうとしているんですね。
だから正々堂々と三島に討論を挑んでいます。
すでに作家として成功しており、
論客としても名が知れていたのにも関わらずですね。
なかにはしつこいくらいに三島に迫る学生もいれば、
現代では失礼と思われるような
徹底的な反論、否定、批判をする学生もいます。
度胸満点ですな。
今の会社では弾かれそうなタイプです。
しかしそこにこそダイナミズムがあるんですね。
こういう場に足を運ぶ三島もさすがですが、
臆せず三島に議論を吹っ掛ける学生たちも
実に素晴らしいです。
読んでいてワクワクしましたし、
こういう議論って
今でもあちこちで起きていいのに…と思いました。
朝まで生テレビの最盛期みたいな感じでしょうか(笑)。
なかにはよく三島キレないなという
ヒドイ質問もありましたが、
見どころ、読みどころは満載でした。
それでは恒例の私がグッと来た箇所をご紹介します。
「あとにつづく者あるを信ず」の思想こそ、
「よりよき未来社会」の思想に
真に論理的に対立するものである。
なぜなら「あとにつづく者」とは、
これも亦、自らを最後の者と思い定めた
行動者に他ならぬからである。
有効性は問題ではない。
(P.10)
ん?対立するの?と
何度か読み返しました。
三島の意図まではわかりませんが、
ユニークな発想です。
普通、あとにつづく者あるを信ずって
より良き未来社会にとって必要不可欠と思いませんか?
もうこの辺りから三島ワールドに引きずり込まれました。
暴力と素手で立ち向かうことができないのは
理性の特質であり、
そしてまた理性を何らかの後盾にしない時は、
自己の正当性をみずから確認できないということは
暴力の特質である。
(P.24)
三島は暴力や戦争や暗殺や殺人について
ごく普通に語りますが、
さすがに現代社会を生きる私たちにとっては
素直にYESと言い難いところがあります。
とはいえ昨今のニュースは
かなり凶悪な事件も多いですし、
信じがたいような驚く事件も多いですね。
暴力は人の本性のひとつなのかもしれません。
むしろ現代を生きる私たちは
暴力から逃げ過ぎたのかもしれませんね。
われわれは先見し、
予告し、先取りし、そして、
民衆の非難、怨嗟、罵倒をすら浴びながら、
彼らの未来を守るほかはないのである。
(P.28)
信じる道を愚直に突き進む。
例え理解してくれる人が少なくとも…。
三島らしい言葉だと思います。
あらゆる制度は、
否定形においてはじめて純粋性を得る。
そして純粋性のダイナミクスとは、
つねに永久革命の形態をとる。
(P.94)
わかるようなわかっていないような…(笑)。
否定されて、否定されて、
徹底的に否定され尽くされると
後には純粋性が残る。
それは何となくわかる気がします。
そして純粋性があらねば革命にはならない。
少し前の香港の運動などを見ても、
イスラム社会の抵抗を見ても、
良くも悪くもですが
そこには純粋性が根底にあるのだろうなと思いました。
ファクトを認めることが
冷静な理性の唯一の証左であるなら、
精神の自由がファクトの味方になることは
まず覚束ない。
自由は或る場合に、
理性がファクトに縛られることを容認しないのみならず、
理性をして、
理性自身のファクト以上の価値に
目覚めさせようと努めるのであろう。
想像力はそのようにして故意に高められた
理性を基盤にして栄え、
精神の自由の核ともいうべきものを形づくる。
(P.100)
これも難しい表現ですね。
事実と自由。
確かに交わりつつも相反するもので
その関係性を追求しようとすると
なかなか難解なものにならざるを得ないのかもしれませんね。
政治上のアナーキズムとは、
エロティシズム上のルストモルトと
相接近した観念であって、
地上に実現されずサドのように
牢獄の中における幻想裡でしか
実現される理想的観念なのである。
(P.133)
う~ん、この辺りになると理解不能です(苦笑)。
でも何だか唸らせられます。
三島は政治を哲学化して、
生活を倫理に高めて
人間の本性を暴くとでも言うのでしょうか。
彼独特の選ぶ言葉、
その使い方、根底にある思考、
これらが合わさって実に興味深い内容になります。
真実は勝利するのではない。
真実はただ他のものがすべて消耗してしまった時に
あとに残るのである!
(P.141)
これも凄い言葉ですね。
戦いは真実のためにするのではなく、
戦いが終わった時に
ボロボロになった真実が残るようなイメージでしょうか。
人類の歴史を見れば
こういう場面って少なからずありましたね…。
信じてないことから行動を起すか、
信じてないことから行動を起さないか、
ここが分れ目なんだな、おそらく。
(P.154)
これはわかる。
信じていても同じですね。
きっと行動を起こす人は
信じていても、信じていなくても
1歩を踏み出すし、
行動を起さない人は
どっちにしても行動しないのでしょう。
行動派の三島としては
信じていて行動を起こするのは当たり前のことであり、
信じていないのに行動を起す、
その原動力のようなものに
「信」を置いていたのかもしれないなと考えました。
私はそのけじめというものが文化であって、
けじめがないところに文化はあり得ない、
こういうふうに思うものであります。
(P.312)
けじめ…。
最近使われない言葉のように感じます。
でも大事ですよね、けじめ。
そしてけじめが付けられていない
大人は多いですよね。
けじめが文化。
何となく思ったのは
芸術が好きな人はけじめが付けられているかもしれない。
逆に芸術に疎い人はけじめが付けられていない。
意外とこの関連性は
人としての大事なポイントかもしれませんね。
権力というのは簡単にいうと、
「他を拒絶することによって
自己を定立する力」と考えていいと思う。
(P.326)
要はオレ様はすごい。
他はバカばっかり。
だからオレ様の言うことを聞け。
そういうことなんでしょうけど、
たぶんこれは権力の一面であって、
間違った権力者と言えるんじゃないでしょうか。
本物の権力者は
こんなチンケではないと思います。
私にとっちゃ、
大事なのは歴史と伝統であって、
現在の体制を守ること自体が大事だとは言ってない。
(P.357)
そうそう、こういうところが好き。
本物の保守ってこうじゃないとね。
自分たちの権力を守ってるんじゃないよ!と
誰かさんたちに言いたい(笑)。
守るべきは歴史と伝統。
評価
おススメ度は ★★★★★ と満点といたします。
たぶん好き嫌いがかなり分かれるでしょうね。
そもそも三島の考えは偏っているし、
頑固というか、意固地な部分も少なくないし、
逆説的な発想が多くてわかりにくいところもあります。
ですが、なぜか私は魅力を感じます。
別に三島の見解に賛成なわけではありません。
いや賛成や同意するところは確実にあります。
でも何もかもとはまいりません。
これは何なんでしょうね。
彼の理論には人を巻き込むところがあるし、
巻き込めない人は徹底的な反対派となってしまう。
むしろ私はそこに三島の潔さを感じるのです。
私たちは三島の最期を知っているだけに
本書が発行された時代の三島とは違う
少しガッカリさせられるようなところもあるのですが
やはり時代の旋風であったことは間違いありませんね。
そして現代から三島を見るというのも
いろいろと考えさせられることが多く、
昭和の息吹を感じつつも
昭和の理屈が意外と現代にも通じる面白さもありました。
三島作品では本書が最も読みたかったのですが、
また折を見て三島に触れたいと思います。
たぶん私は三島が好きなのでしょう。
嫌いなところもありますけど(笑)。
どこが好きなのか?
三島は保守本流です。
本物の保守が
現代社会では失われているのかもしれません。
だから三島に保守を感じる。
良い面でも、悪い面でも。
そんな感じなのかなあ。
三島は自分の発信してきた言葉や思想に対して
道義的な責任を果たすために最後を迎えたのでしょう。
今の価値感では信じ難いのでしょうけど、
人として立派であると個人的には思うのです。
自分との約束を果たした最期だったのであり
こんな美学は現代社会には存在しませんからね。
それでは、また…。
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