おはようございます。
読書がライフワークになっている
医療業界のコンサルタント
ジーネット株式会社の小野勝広です。
年を取れば取るほどに
一生勉強が必要だなとつくづく感じます。
こんなことになるのなら
もっと若い頃から勉強しておけば良かったと
やっぱり思うものなんですけど
若い時には気づけないものなんですよね。
若干の後悔と
後れを取り戻す意欲が入り混じり、
まあこれはこれでいいんじゃないか?とは思ってます。
古典が大事だよ…なんて
何十回、何百回と聞かされたと思うんです。
でもそれに気づける人は
本当にごく一部の賢い人か、
とても幸運な人だけでしょう。
私も岩波文庫を読むようになったのは
それなりの年齢になってからであって、
ああ、もっと早く読み始めておけばとは思いますけど
後悔先に立たずですね。
しょうがないです。
でも善い事を始めるのに遅すぎるなんてない。
そうとも言われますから
遅ればせながらではありますけど、
気持ちが乗った時には
できるだけ古典を読むようにしています。
今回ご紹介する書籍は、
【 君主の統治について - 謹んでキプロス王に捧げる - 】 です。
本書をピックアップした理由
『 君主の統治について - 謹んでキプロス王に捧げる - 』
トマス・アクィナス 著 柴田 平三郎 訳
岩波文庫 を読みました。
当ブログで「岩波文庫」で検索を掛けますと
それなりのものが出てきます。
どこまで理解できているのかは別として
大人の嗜みとして岩波文庫を読むというのは
必要だと思ってます。
なんて偉そうに言いながら
それに気づいたのはそんなに前ではありませんし、
他にも読みたい本がたくさんありますので
岩波文庫ばかりというわけにはいきません。
きっと私以上に岩波文庫を読みまくっている人は
世の中に多いでしょうし、
そういう方々と比較すると
お寒い限りではありませんが、
それでもいいのです。
これからもマイペースで岩波文庫は読んでまいります。
さて、本書ですが、
なぜ購入したのか覚えておりません(笑)。
そして今回なぜ手を取ったのか?
正直、自分でもよくわからないのです。
何となく君主論とでも言いますか、
そういう類のものが読みたかったのかもしれません。
今まで読んできた…
また先日読んだマルクス・アウレーリウスの「自省録」など
衝撃を受けながらも勉強になった感が強かったので
それと似たものを求めていたのかもしれません。
果たしてどうなりますか。
怖々と、しかし楽しみにしながら読み始めたのでした。
目次
第一巻
第一章 生活を共にする人びとは
誰か王によって慎重に統治されるのが必要であること。
第二章 生活を共にする人びとにとっては、
一人の人間によって統治されるほうが、
複数の人間によって統治されるよりも、
いっそう有益であること。
第三章 一人の支配が正しいがゆえに、最善であるように、
その反対は最悪であること、
それは多くの理由および論拠によって証明される。
第四章 ローマ人の間で支配権はいかに変遷したか、
またかれらの間では
むしろ多数者支配の国家がしばしば発達したということ。
第五章 多数の支配においては、一人の支配におけるよりも、
しばしば僭主制的支配が生じること、
したがって一人の支配のほうが優ること。
第六章 一人の支配が確かに最善であるとの結論。
民衆はその人に対してどのような態度をとるべきか、を示す。
それは僭主制に陥る機会を
かれから取り除くことが必要だからである。
そしてより大なる悪を避けるために
この支配が認容されるべきであること。
第七章 本章で聖博士は、
現に王の統治において主要な動機となるのは
名誉か栄光のいずれであるか、
そしてさらにそれらのいずれかを守るべきか、について見解を示す。
第八章 本章で博士は、
王をして善き統治へと促す真の目的とは何か、について説き明かす。
第九章 本章で聖博士は、
王侯君主の報酬が天上の浄福において
最高の位置を占めることを説き明かし、
そのことを数多くの理由と実例によって指し示す。
第一〇章 王侯君主はそこより生じる自己自身の善と利益のために
善き統治を熱心に求めねばならないこと。
その反対から僭主制的支配が生じること。
第一一章 富、権力、名誉、名声のごとき世俗的善は
僭主のもとによりも王のもとにより多く訪れること、
およびこの世において僭主たちの陥る悪について。
第一二章 王の職務とは何か、を進んで明らかにする。
自然の道理により、
王国における王はあたかも肉体における魂、
現世における神と同じようなものである。
第一三章 この類似性から統治の方法を学ぶ。
神がそれぞれの事物をその秩序、
固有の作用および場所によって区別し給うように、
王もまた王国において人民を同様に扱う。
魂に関しても同じである。
第一四章 いかなる統治方法が、
神の統治方法にしたがったものとして、王に適合するか。
その方法は船の舵取りに端緒を発する。
そして時に聖職者の支配と王の支配との比較が試みられる。
第一五章 王がその人民を徳にしたがった生活へと導くのは
終局目的を目指すためであること。
その中間的目的についても同様であること。
また善き生活を整えるものと、それを阻害するものとは何か、
そしてその阻害するものに対して
王はいかなる対策を講ずるべきか、を論じる。
第二巻
第一章 王は名声を博すべくいかにして都市もしくは陣営を建設すべきか。
そしてそのために気候温暖な土地を選ぶべきこと、
およびそのことから統治上、どのような便益が生じ、
その反対にどのような不利益が生じるか。
第二章 王や君主は都市あるいは陣営を建設すべく
いかにして空気が健康に良い地方を選ぶべきか。
そしていかなる点において、またいかなる徴候において
このような空気が感知されるかを明らかにする。
第三章 君主にとって建設されるべき右のような都市は
どのようにして食糧の豊富を確保すべきかであるか。
豊富な食糧なしには都市は完全なものとはなりえないがゆえに、
そしてその豊富を確保する二つの方法を区別する。
第一のほうをとくに推奨する。
第四章 都市や陣営を建設する場合、
王が選ぶべき地方は風光明媚な場所であるべきこと。
ただし市民はこれを適度に用いられるようにすべきこと。
というのも風光明媚な景観は往々にして惰弱の原因であり、
国を滅ぼすことになるからである。
訳注 訳者解説――トマス・アクィナスと西欧における〈君主の鑑〉の伝統
訳者あとがき
索引
感想
本書は238ページの本です。
そして本文は112ページしかありません。
残りの100ページ超は
訳注と、訳者の解説なんです。
珍しいパターンですね。
ただ満足感は結構あります。
トマス・アクィナスという方が
「神学大全」で知られる
スコラ学の代表的神学者であることに加え、
中世ヨーロッパの思想が
とてもわかりやすく述べられています。
やはり背景にはキリスト教があるわけですが、
私にとっては宗教云々ではなく
道徳や哲学を学ぶという点で良かったです。
この頃は帝王学が統治のみで語られるのではなく、
王には人格や人徳が求められていたのですね。
昨今の権力者が最も失っているものでもあり、
本書を読むことで
本当の意味での帝王学を考える
きっかけになるのではないかと思いました。
それでは恒例の私がグッときた箇所をご紹介します。
人間にはその人の全生活と全行動とが
そこへと秩序づけられているような
一つの目的があるものである。
というのも、人間というものは認識能力によって行動するが、
目的に向かって行動することは明らかにその人の本性なのである。
人間にはまた意図した目的へと向かう道が、
かれらの関心事や行動の多様さの示すように、
さまざまにあるものである。
したがって、人間は自分を目的へと導く
何らかの導き手を必要としているのである。
(P.16~17)
目的の欲望化とでも言えばいいでしょうか?
昨今では損得ですべてが計られ、
みんな得したくてしょうがないですね。
中世よりも堕落しているのかもしれません…。
およそ物事は各個人に固有のものの場合には一致せず、
一致をみる場合は共同のものなのである。
しかし結果の多様性は原因の多様性から来るものである。
したがって各個人の私的善となるもののほかに、
多数者の共通善へと促す何ものかが存在しなければならない。
一つの目的へと定められているすべてのものにおいて、
残りのものを支配する
何か一つのものが見いだされるのはこのためである。
(P.20)
これも共通善の欲望化と言えるでしょうか。
多様性が共通善に結びつくといいのですが。
生活を共にする人びとにとっては、
一人の人間によって統治されるほうが、
複数の人間によって統治されるよりも、
より有益であること。
(P.24)
これこの章のタイトルなんですけど、
かなり考えさせられました。
そうなのかどうかは統治者次第でしょうね。
私利私欲よりも
全体の利益のために働ける人。
現代社会にどの程度存在しますかね?
同様な結論は、
万物を最善の方法で配置する、
神の摂理の秩序を考察する人びとにとっても明白である。
というのも、あらゆる事物において善性は
一つの完全なる原因から、
すなわち善き結果を生み出すに相応しい
諸条件の統合から生じるのに対して、
悪性は個々の部分的な欠陥から生じるからである。
(P.30)
諸条件の統合、部分的な欠陥。
ふむ、私たちは善悪の判断基準を
もう1度見直す必要があるかもしれません。
「栄光を避ける者は真の栄光を見いだすだろう」。
「名声を追い求めることが少なければ少ないほど、
かれは名声を得るようになる」。
(P.50)
急がば回れ、損して得取れ。
ことわざには私たちが生き残るための秘訣が
必ずあるものですね。
すべてのものの特性とは
その特性の所有者を善なるものにし、
その人の活動を善なるものにさせることである。
しかしすべての人は正しく行動しているときは、
かれが最も望んでいるものを達成しようと努めるのが常であり、
それはすなわち幸福であるということである。
これ以外の何かを求めようとする者は誰もいないであろう。
それゆえ徳の報酬は人間を幸福にさせることであると
結論づけるのは正しいであろう。
そして善き働きをすることが徳のある行為であり、
王の職務が人民を善く支配することであるとすれば、
王を幸福にさせることが王の報酬であろう。
(P.56)
徳の報酬。
それが幸福に繋がる。
欲望自体を否定はしませんが、
健全な欲望を持たないと道を外れますね。
人は何らかの利益に対する欲望に惹かれるのでないならば、
正義から逸れることはないであろう。
(P.75)
結局、その人の正義感こそが
すべてを決めるのでしょう。
利益を追い掛けるのが悪いとは思いませんが
後先が間違っていないかの自省は必要そうです。
国家を人体と比較する有名な国家有機体論
ーすなわち、
魂ー聖職者、
頭ー君主、
心臓ー元老院、
目・耳・舌ー裁判官と州長官、
武装していない手ー役人、
武装した手ー兵士、
脇腹ー君主の側近、
胃・腸ー財務官と記録官、
足ー農民・職人ー
の意味するところも
おのずから明らかになってくるだろう。
(P.178)
これ、面白いですね。
今、所属している組織に当てはめると
思うところがいろいろ出てきそうです。
私の会社はどうポジショニングするかな。
評価
おススメ度は ★★★★☆ といたします。
解説が長いので
その点がマイナスなんですけど、
解説があるからこそ
理解が深まるところもあるので
これはこれでいいのだろうなと思います。
かなり受けていたようで
アリストテレスの思想を強く受けていたようです。
やはり王様にも哲学や道徳が必要なのですね。
王様になりたいなんて言うと
欲深い人と思われるかもしれませんが、
私は中世ヨーロッパの人格や人徳を備えた
王様になりたいです。
小さな組織の王様でいいので。
鶏口となるも牛後となるなかれ…ですね。
それでは、また…。
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