ある読書好き医療コンサルタントの「書評」ブログ!

年間60~70冊ほど読んでます。原則毎週日曜日に更新しますが、稀にプラスαもあります。本好きの方集まれ!

先生はえらい

 

おはようございます。

 

読書がライフワークになっている

医療業界のコンサルタント

ジーネット株式会社の小野勝広です。

 

私自身も小学生から中学、高校、大学まで

普通に教育を受けてきました。

 

今振り返ってみても、

特別な教育ではなかったですし、

いわゆる片田舎のごくごく普通の教育でした。

 

しかし時代が良かったというのはあるかもしれません。

校内暴力などもありましたけど

教師も生徒も

今よりも未来は良くなると

信じていたように思います。

 

教育の危機が叫ばれる時代ですが、

それは学校教育だけでなく、

日本中のあらゆる組織において

教育を見直すべきではないかと考えています。

 

今回ご紹介する書籍は、

【 先生はえらい 】 です。

 

 

本書をピックアップした理由

『 先生はえらい 』

内田 樹 ちくまプリマー新書 を読みました。

 

私が敬愛する内田樹さんは

もともと教育者ですし、

その教育論はいつも興味深く読んでいます。

 

文部科学省の政策よりも

内田さんの提言のほうが余程いいんじゃないか?

そう思うこともしばしばです。

 

やはり現場を知らずに

机上の空論を並べ立てても

実効性はほとんどない…どころか

むしろ害悪になることすらありますね。

 

この国の経済低迷や政治不信の根底には

教育の失敗があまりにも大きいようにも感じます。

 

そんな中での「先生はえらい」

どんな論旨で内田さんが語るのか、

大いに楽しみにしながら手に取った次第です。

 

目次

・先生は既製品ではありません

・恋愛と学び

・教習所とF-1ドライバー

・学びの主体性

・なんでも根源的に考える

・オチのない話

・他我

・前未来形で語られる過去

・うなぎ

・原因と結果

沈黙交易

・交換とサッカー

大航海時代とアマゾン・ドットコム

・話は最初に戻って

・あべこべことば

・誤解の幅

・誤解のコミュニケーション

・聴き手のいないことば

・口ごもる文章

・誤読する自由

・あなたは何を言いたいのですか?

・謎の先生

・誤解者としてのアイデンティティ

・沓を落とす人

・先生はえらい

 

感想

私の読書時間は

通勤時間と移動時間がほとんどです。

 

あとは寝る前に少し読みますが、

こっちはライトな小説などが多いです。

 

さて、本書を持って

朝、出勤しつつ読み始めました。

 

自宅の最寄り駅から会社の最寄り駅まで

約30分弱です。

 

その後、会社から外出先に向かったのですが、

この日は千葉県市原市五井駅まで向かいました。

これがだいたい2時間弱です。

往復で4時間弱。

 

通勤と移動の4時間半、

これで本書を読み終えてしまいました。

 

新書ですから

これくらいの時間があればというのもありますが、

やはり内容です。

 

大学教員であった(本書執筆時はまだ教員)

内田樹さんですから

教育論について語らせれば天下一品です。

 

本書は中学生や高校生を対象に

学ぶとは何か?先生とは何か?について

難しいことは一切なく

わかりやすく語っていますので、

またそれが深い考察から導き出されたものなので

実に興味深くて、

ページを捲るスピードが速くなってしまいます。

 

私のように内田さんの著書を何冊も読んでいる人は

ああ、いつもの主張ね、というところもなきにしもあらずですが、

それを差し引いても非常に勉強になりました。

 

では具体的なところは

恒例の私がグッと来た箇所でご紹介します。

 

いまの若い人たちを見ていて、

いちばん気の毒なのは

「えらい先生」に出会っていないということだと

私には思えたからです。

尊敬できる先生がいて、

なんの気後れも、ためらいもなく

「先生はえらいです」と言い切ることができたら、

みなさんのものの見方も、感じ方考え方も

ずいぶん変わるだろうし、

ずいぶんと豊かな人生が

そののち展開すると私は思います。

(P.7~8)

 

本書を執筆した理由ですが、

確かになあと思います。

私自身も尊敬できる先生っていません。

いや先生に限らず

尊敬できる先輩すら数少ないです。

ほんの数名。

 

でもそれは先生や先輩の責任というよりも

私自身に原因があったのですね。

それを本書でまざまざと感じました。

 

もし私が賢明な考え方を持てていたならば

もしかしたら尊敬できる先生や先輩と

出会えていたのかもしれません。

 

いや出会っていたのに気づけなかった私の不明です。

う~ん、残念だったな。

でもまだ遅くないかな。

これから出会えるかもしれないし。

 

先生というのは、

出会う以前であれば「偶然」と思えた出会いが、

出会った後になったら

「運命的必然」としか

思えなくなるような人のことです。

これが「先生」の定義です。

(P.11)

 

私は仕事柄で先生稼業との方とよくお会いしてます。

前職では士業の方々、

ここ10年は医師の皆さん。

 

稀に政治家とも会いますし、

子供の頃は学校の先生。

 

一般の人よりも「先生」への馴れはあるのですが、

運命的必然と考えると確かにと頷かされるところがあります。

 

学校の先生だけでなく

医師にしても、弁護士にしても、

そこには何らかの必然があるかもしれません。

 

特に信頼関係が構築できる先生というのは

そういうものと言えそうです。

 

技術には無限の段階があり、

完璧な技術というものに

人間は達することができない。

このことはどんな道でも、

プロなら必ず初心者に教えるはずのことです。

どんな領域であれ、

「この道を甘くみちゃだめだよ」というのが

プロが初心者に告げる第一声です。

(P.29)

 

先生とは専門職です。

プロフェッショナルであればあるほどに

単に教科書通りに教えるだけでなく、

考え方や生き方まで教わることになるでしょう。

 

小学生くらいならまだしも

こちらが高校、大学、

そして大人になって出会う先生ってのは

プロ中のプロが多いですから、

そのプロフェッショナリズムをリスペクトすることで

先生と生徒、先生と患者、先生と依頼主という

関係性がスムーズになるでしょうから。

 

こちら側の姿勢次第、

問題はこっちにあるのですね。

 

制度はプロを阻害する方向であり

その点は今後心配ですけど…。

 

生徒は自分が学ぶことのできること、

学びたく願っていることしか

学ぶことができません。

「学ぶ側の主体性」という考え方は、

ここから出発しなければなりません。

(P.42)

 

そりゃそうです。

だって何を学ぶべきなのか、

もっと言えば何が学べるのか、

学びとは何か?など知らない、

わかっていないのが普通ですからね。

 

でも昨今では

学ぶ側がおかしな権利意識を持ってしまい、

学ぶ「基本」を見失っているように感じます。

 

だから本当の学びが手に入らない。

 

ある意味ではこれも受験の弊害ともいえ、

学ぶ側が消費者的に求めるようになったことから

いわゆる「師」が持てない要因のひとつになってますね。

 

受験以外には

何の意味もなく、もったいないです。

 

「相手がいる」ことを想定しないと、

何もできない。

それが人間です。

(P.53)

 

物凄く共感します。

私たちは「他者」がいないと

何もできないんですよね。

 

これは裏を返すと

私たちの活動は

すべて「他者」のためにあるとも言えますね。

 

なかには「他者」を痛めつける方向で

活動してしまうこともありますけど、

それも「他者」が存在するからできることです。

 

もっと「他者」を意識しないと

自分の存在価値自体が上がらないように思います。

 

これが、ひとりよがりな人が

世のため人のために何もできないところに

繋がっていくのでしょうね。

人間ですから。

 

完全な等価交換というのは、

交換の無意味性、

あるいは交換の拒絶を意味します。

(P.78)

 

これは前後の文章がないと

ちょっとわかりにくいかもしれませんけど

あらゆる経済活動を「交換」と考えると

自分の仕事も含めて

いろいろ考えることができるのではないでしょうか。

 

利益とか、相手へのメリットとか、

「交換」には贈与的な側面があるはずですよね。

 

例えば、ユニクロのフリース(古いか?笑)は

品質が価格を超えたから

あれだけ多くの人が購入したわけです。

 

たぶん等価交換であれば

あんなに売れなかったんではないでしょうか。

 

「交換」の価値というか、

「価値」の交換というか、

ここを哲学的にアプローチしないと

本当の意味でのビジネスは成立しないかもしれません。

 

もっと言えば人間関係もそうですね。

何を与えて、何を奪うのか、

どんな価値を提供して、どんな報酬をもらうのか、

掘り下げて考えるべきポイントのように感じます。

 

コミュニケーションは

誤解の余地を残して構造化されている。

(P.160)

 

完全に理解される関係。

そうありたいとは思いますけど

実際にはあり得ないとも言えますね。

 

しかしあり得ないからこそ

関係性が継続するのであって、

完全にわかりあえたら発展性がなくなります。

 

誤解の余地。

これがない姿を望みますけど

逆にこれがあるから

コミュニケーションが取れるとも言えますね。

 

先生と生徒の関係性においても

これを前提に考えた方が

良好な関係が築けそうです。

 

謎から学び取り出すことのできる知見は

学ぶ人間の数だけ存在するということこそが、

学びの豊穣性を担保しているからです。

私たちが

「あなたはそうすることによって、

 私に何を伝えたいのか?」という

問いを発することのできる相手がいる限り、

私たちは学びに対して無限に開かれています。

私たちの人間としての成熟と開花の可能性はそこにあり、

そこにしかありません。

(P.175)

 

ここが本書における総まとめと言っていいと思いますが、

私たちは学ぶ側に立ち過ぎていて

教える側をスポイルしてしまったのでしょうか。

 

その最大のデメリットは、

学ぶことができなくなることであり、

「師」を失う、

「師」と出会えない、

「師」を「師」として定義できなくなり、

学ぶ意義を見い出せなくなることでしょうね。

 

私たちはより良く生きるために

もっと学ぶことに貪欲にならねばならず、

学ぶ基本を身につけて

「師」を得ることが肝要と思います。

 

なぜ学ぶのか?

学んでどうするのか?

そこから自分で考えていくべきですからね。

 

評価

おススメ度は ★★★★☆ といたします。

 

先生稼業の皆さんにも

先生を必要とする皆さんにもおススメすることができます。

 

つまり学ぶものとして

本書を読んでおくと

意味や意義や価値が手に入れられると思います。

 

学ぶこと、教育の基礎とか、基本の範疇ですけど

いつもここからやり直すのがいいですね。

 

それでは、また…。

 

 

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