ある読書好き医療コンサルタントの「書評」ブログ!

年間60~70冊ほど読んでます。原則毎週日曜日に更新しますが、稀にプラスαもあります。本好きの方集まれ!

菊と刀 日本文化の型

 

おはようございます。

 

読書がライフワークになっている

医療業界のコンサルタント

ジーネット株式会社の小野勝広です。

 

彼を知り己を知れば百戦殆うからず。

 

孫子の言葉として

現代にも伝わる有名な言葉ですね。

彼を知るのも大事ですけど

やっぱりまずは「己」を知ることが大切です。

 

こちらも有名な「ジョハリの窓」にあるように…

・解放の窓(open self)

自分も他人も知っている自己を表す。

・秘密の窓(hidden self)

自分では知っていても、他人はまだ知らない自己を表す。

・盲点の窓(behind self)

他人は知っているが、自分は気がついていない自己を表す。

・未知の窓(unknown self)

自分も他人も知らない自己を表す。

この自分で自分を気づけていない

「盲点の窓」と「未知の窓」が

自己分析のためには必要不可欠だと思うのです。

真剣に考えれば

かなり哲学的な深いテーマではありますが、

時々は…

自分って何だ?

何で自分ってこうなんだろう?と

考えて振り返ってみるのもいいのではないでしょうか?

 

今回ご紹介する書籍は、

菊と刀 日本文化の型 】 です。

 

 

本書をピックアップした理由

菊と刀 日本文化の型 』

ルース・ベネディクト 訳:長谷川 松治

講談社学術文庫 を読みました。

 

日本人論として「超」が付くほどに

有名な本ですよね。


実は私、若かりし頃、20代前半くらいだったでしょうか、

1度読み始めて挫折した記憶があります。


さすがに今なら大丈夫だろうという思いもありましたし、

何より日本人論として

本書はしっかり読んでおくべきという

責任感みたいなものもあったのですね。

 

仕事柄、人様のキャリアや人生について

喧々諤々とディスカッションをする私ですから

「日本人らしさ」については

良い面も悪い面も学んでおきたいです。

 

現代社会とは多少合わないところもあるかもしれませんが、

これくらい語り継がれる日本人論はそうないでしょうし、

自分としても大いに楽しみにしながら読み始めた次第です。

 

目次

第1章 研究課題ーー日本

第2章 戦争中の日本人

第3章 「各々其ノ所ヲ得」

第4章 明治維新

第5章 過去と世間に負目を負う者

第6章 万分の一の恩返し

第7章 「義理ほどつらいものはない」

第8章 汚名をすすぐ

第9章 人情の世界

第10章 徳のジレンマ

第11章 修 養

第12章 子供は学ぶ

第13章 降伏後の日本人

 

感想

とても面白かったです。

日本人論として

知っておいたほうが良い事例の連発であり、

ああ、確かに…と頷かされるところばかりでした。

 

もちろんルース・ベネディクトが本書を書いた

1946年以前と現代では

私たち日本人も相当に変わっていると思いますので

そのまま全てが当てはまるものではないと感じます。

 

しかし日本人以外にはわからないだろうなという

非常に繊細で、言語化しにくいものを

よくまあこの時代にアメリカ人である著書が

日本に来たこともないのに

ここまで正確に分析できたものだと

素直に驚かされました。

 

それでは恒例の私がグッと来た箇所をご紹介します。

 

日本の閉ざされた門戸が開放されて以来

七十五年の間に日本人について書かれた記述には、

世界のどの国民についても

かつて用いられたことのないほど

奇怪至極な「しかしまた」の連発が見られる。

真面目な観察者が日本人以外の他の国民について書く時、

そしてその国民が類例のないくらい礼儀正しい国民であるという時、

「しかしまた彼らは不遜で尊大である」と

つけ加えることはめったにない。

ある国の人びとがこの上なく固陋であるという時、

「しかしまた彼らはどんな新奇な事柄にも容易に順応する」と

つけ加えはしない。

ある国民が従順であるという時、

同時にまた彼らは上からの統制になかなか従わない、と

説明したりはしない。

彼らが忠実で寛容であるという時、

「しかしまた彼らは不忠実で意地悪である」と

言いはしない。

彼らが真に勇敢であるという時、

その臆病さ加減を述べたてることはない。

彼らが他人の評判を気にかけて行動するという時、

それにひき続いて、

彼らは本当に恐ろしい良心をもっていると言いはしない。

彼らの軍隊のロボットのような訓練ぶりを描写する時、

それに続けて、その軍隊の兵士たちがなかなか命令に服さず、

公然と反抗する場合さえあることを述べるようなことはない。

西欧の学問に熱中する国民について述べる時、

同時にまた彼らの熱烈な保守主義について

くわしく記することはない。

美を愛好し、俳優や芸術家を尊敬し、

菊作りに秘術を尽くす国民に関する本を書く時、

同じ国民が刀を崇拝し

武士に最高の栄誉を帰する事実を述べた、

もう1冊の本によって

それを補わなければならないというようなことは、

普通はないことである。

(P.11~12)

 

ちょっと長く引用しましたが、

本書において最大のポイントはここにあると思います。

 

ある種の二面性、光と影とでも言いましょうか。

言われてみて、なるほどと頷きました。

何だか面倒くさい国民性ですね…。

 

その行動が世界の人びとにどう思われるかということが、

大切なことであった。

そして彼らのこの点に関する懸念がまた、

日本文化の中に

深くうえつけられた関心の一つであったのである。

(P.44)

 

お天道様が見てるぞ。

そういう教育を受けてきて、

おかしな見栄っ張りになってしまっているのでしょうか。

アイデンティティが持てない根本的要因かもしれません。

 

日本は近年いちじるしく西欧化されたにもかかわらず、

依然として貴族主義的な社会である。

人と挨拶をし、人と接触する時には必ず、

お互いの間の社会的感覚の性質と度合いとを指示せねばならない。

(中略)

同じ ” you ” でもそれぞれの場合に別な形を用いねばならないし、

同じ意味の動詞が幾種類かの異なった語幹をもっている。

言いかえれば、日本人は他の多くの太平洋諸民族と同様に、

「敬語」というものをもっている。

(P.65)

 

しがらみ…。伝統…。習慣。

決して悪いことだとは思いませんが、

私たち日本人に沁みついている

ちょっと外国人には理解できない

「何か」があるのでしょうね。

 

逆にこのように指摘されることで

あ!と気づくことがありますね。

 

この国で生まれ、

こうして安楽に生活ができ、

自分の身辺の大小さまざまの事柄が

好都合にいっていることを喜ぶ時には、

常に同時に、これらはすべてある一人の方から

与えられた恵みであると考えないわけにはゆかない、

というふうに日本人は感じる。

日本歴史の全時期を通じて、

この、人が負い目を負っている、

生きた人間の中の究極の一人が、

ある人間が所属する世界の最高の長上であった。

それは時代の異なるにしたがって、

地頭、封建領主、将軍と変わってきた。

今日ではそれが天皇になっている。

しかし長上が誰であったかということよりも

重大な意義をもっているのは、

何世紀もの久しい間にわたって、

「恩を忘れない」ということが

日本人の習性の中で最高の地位を占めてきたという事実である。

(P.125)

 

確かにこの「恩」というのは

私たち日本人に沁みついている感覚かもしれません。

恩返し、恩知らず、恩に着る、恩を売る、恩を仇で返す。

 

問題はいつ、誰に、どのように「恩」を感じ、

いかにして返していくか。

ここを見誤ると戦前のようなことになりかねないのでしょうか。

 

日本人はすべて、

行為の動機や、名声や、その本国において

人びとの遭遇するいろいろのジレンマについて語る時には、

必ず常に「義理」を口にする。

(P.165)

 

う~ん、「恩」に続いて今度は「義理」ですか。

確かに日本人は義理人情に篤いというか

裏返すと義理に縛られているというか、

いいんだか、悪いんだか、ちょっと微妙ですね。

 

日本人は、武士は誰よりも

重い「義理」を負わされていると考えている。

日本人以外の観察者はちょうどそれと反対に、

「義理」は庶民に対して最も大きな犠牲を要求する、

というふうに考えがちである。

というのは、外国人には、

「義理」を守ることによって得られる報いは、

庶民の方が少ないように思われるからである。

日本人から見れば、

自分の属している世界で尊敬されれば、

それでもう十分な報いである。

そして「義理を知らぬ人間」は

今もなお、「見下げはてた人間」とされる。

彼は仲間からさげすまされ、

つまはじきされる。

(P.216)

 

このあたりですね、義理の難しさ。

パワハラなんて義理の間違った形ですかね…。

 

日本人のように、

精微を極めた相互義務を生活の中軸としている国民が、

自分たちの行動を

自己犠牲とすることは当たらないと考えるのは当然である。

彼らは極端な義務を果たすが、

伝統的な相互義務の強制力のゆえに、

彼らは個人主義的な、

競争ということを基調とする国ぐににおいて

ややもすれば起こりがちな、

自己憐憫と独善の感情を抱かなくともすむ。

(P.285)

 

権利と義務。

バランスよく発揮しないと

生きずらくなりそうです。

日本の停滞はおそらくバランスが崩れてるんです。

政治がぶっ壊したように感じます。

 

大家族制、もしくは

その他の部分的社会集団が活動している社会の大多数においては、

ある集団の成員の一人が、

他の集団の成員から非難や攻撃を受けた場合には、

その集団は一致団結して保護にあたるのが常である。

引きつづき自己の集団の是認が与えられている限り、

万一の場合、もしくは襲撃を受けた場合には、

全面的な支持を得られるに相違ないという確信をもって、

自己の集団以外のすべての人びとに対抗することができる。

ところが日本では、

ちょうどその逆になっているように思われる。

すなわち、

自己の集団の支持を得ることができるという確信をもちうるのは、

他の集団から是認が与えられている間に限られているのであって、

もし外部の人びとが不可とし、非難したならば、

当人が他の集団にその非難を撤回させることができるまでは、

あるいは、撤回させることができない限りは、

彼の属する集団は彼に背を向け、彼に懲罰を加える。

こういう仕組みになっているために、

「外部の世間」の是認ということが、

おそらく他のいかなる社会においても

比類を見ないほどの重要性をおびている。

(P.335~336)

 

これは微妙ですね。

軍部などはこんな感じだったのでしょうか。

身内以外はみんな敵でしょうか…。

 

ある種の事柄に関しては、

他人に自分の希望を阻まれることがあるけれども、

なお依然として思いのままに

衝動的生活を営むことのできる

「自由な領域」が定められている。

日本人は昔から常に、

無邪気な楽しみー桜の花や、月や、菊や、初雪を眺めたり、

家の中に虫籠を吊るして虫の「歌」を聞いたり、

和歌や、俳句を詠んだり、庭いじりをしたり、

生け花や、茶の湯に耽ったりーをすることで有名であった。

こういう楽しみは、

非常な不安と反抗心を抱いている国民の行状とは思えない。

彼らはまた、浮かぬ顔をしながら楽しみをするのでもない。

日本がまだあの不祥な「使命」に乗り出さない以前の幸福な時代には、

日本の農村の人びとは、

現代のどの国民にくらべてもひけを取らないくらいに陽気に、

かつ快活に余暇を楽しむことができた。

そして仕事をする時は、

どの国民よりも勤勉に仕事にいそしんだ。

(P.358~359)

 

美しい心。

相反する暴力的な衝動。

これを合わせ持つ国民性。

鎖国を続けていたほうが良かったのかもしれない。

そんなことを考えちゃいました。

人心は乱れまくってますからね…。

 

評価

おススメ度は ★★★★★ といたします。

 

自分の最大の理解者って

やっぱり究極的には自分だと思うのです。

 

でも、自分を知るためには

客観視した意見や見識も必要不可欠ですよね。

 

私たち日本人には

なかなか外国の方から見たら

理解しにくい独自な国民性があると思います。

 

でも、このような外部の目線を取り入れると

説明もしやすくなりますし、

相互理解のためには必要不可欠とも言えそうです。

 

文化人類学としても

本書は非常に優れており、

読みやすさも抜群です。

 

日本人論。

1度振り返ってみませんか?

 

それでは、また…。

 

 

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