おはようございます。
読書がライフワークになっている
医療業界のコンサルタント
ジーネット株式会社の小野勝広です。
今だけカネだけ自分だけ。
誰が言い始めたのかはわかりませんが
現代社会を言い表すのに
ここまでど真ん中の直球で
わかりやすく本質を突いている言葉は
なかなかないんじゃないかと思ってます。
別に誰がどう考えようが
私に害がなければ
どうぞお好きに…ではあるのですけど
今、怠ければ
確実に未来は厳しくなりますし、
カネばかり追い掛けていれば
カネより大事なことを失いますし、
自分、自分と自分の事ばかり考えているような奴は
社会の中でつまはじきにされるに決まってるじゃないですか。
100歩譲って
ここ数年は何とかごまかして
楽して生きることができるかもしれませんけど
10年、20年というロングスパンで考えると
相当に窮地に陥るのではないかと思えるのですよ。
少し考えればわかることですけど
どんだけ先のことに目が行かないのか。
若いうちなんて
たくさんの失敗をするものですし、
私も数多くの失敗をしてきましたけど
このような本質的な部分で見誤ってしまうと
人生を棒に振ることになりかねません。
それも自己責任ではありますが
あまりにも情けなくて…
父ちゃん情けなくて涙が出てきます。
もっと社会を勉強しましょうよ。
世の中の構図、構造を知りましょうよ。
後悔先に立たず。
気づいた時には遅いんですよ。
今回ご紹介する書籍は、
【 身体を通して時代を読む 武術的立場 】 です。
本書をピックアップした理由
『 身体を通して時代を読む 武術的立場 』
甲野 善紀 内田 樹 文春文庫 を読みました。
いつもの如く、内田樹さんの本は
理由なんか何もなくても
読書を数冊すれば
必ずその中には入ってくるのですが、
実は今まであまり手を出して来なかった分野があり、
それがこの「武道」系のものなのです。
実は前にもそんなことを言っていたのですが
下記の本がかなり勉強になったのですね。
今回の対談相手の甲野善紀さんは
武道家として著名な方のようですし、
あくまでも本書は「時代を読む」ですから
これは読むべきかなと思い
恐る恐る読み始めたのでした。
目次
第一章 自己をみつめる方法としての武術
第二章 生き延びるための力
第三章 師は何も教えず、弟子は学ぶべきものを学ぶ
第四章 「学び」とは別人になること
第五章 進化の仕方を進化させる
第六章 「生きている実感」に火をともす
第七章 フィジカルに沁み込むことばを
第八章 あらゆる社会制度の分岐点で
感想
う~ん、実に面白い。
何だろ、学校の勉強よりも
もっと重要な勉強があるということを
しみじみと感じさせてくれました。
これこそ大人の学びであり、
別に学問とか
難しく考えるのではなくて
私たちはもっと身近なものを
深く学んでいかねばならないことに気づきました。
それが身体であり、心であり、
人間であり、社会でありますね。
受験勉強を終えたら
大人としての学びをしないと
人として腐っていきます。
大人は個人的な問題ではなく、
他者のため、社会のために、学ぶべきです。
それが存在証明でもあり、
存在価値ではないでしょうか。
人を蹴落とし
自分の評価を高めるのが勉強ではない。
人類が生存し続け
子孫を繁栄させるためにするのが勉強です。
そんなことを考えさせられる良書でした。
それでは恒例の私がグッときた箇所を
ご紹介いたします。
「それは絶対に違う。
昔を懐かしんだら絶対ダメだ」と言ったのです。
その時私は、
これまで武術をやってきて
一度もスランプがないという話をしたのです。
スランプがあるというのは、
要するに自分で「これはいいな」と認めたことがあって、
それと比較してダメだと感じるということですから。
(P.22)
今よりもっと良くなる。
そう心から信じていたら
スランプとか言ってられなくなりますね。
「強弱勝敗を論じない」ということです。
それは敵とか競争相手との相対的な関係にとどまらず、
自分自身の内面を見つめる方法として
武道・武術がある、ということだと思うんです。
(P.27)
強弱勝敗を論じるのは
資本主義社会の宿命であり、
それを極端な形にしたのは
グローバリゼーションだったかと思います。
私たちはここから脱却する必要があるのではないでしょうか。
私は武術を
「矛盾を矛盾のまま矛盾なく取り扱う」と説いています。
武術家はすごく敏感でなくてはいけないのですが、
それど同時に、驚かない、動じないというのは、
ある面からすれば鈍いとみえるような
対応を必要なことですからね。
つまり生起するさまざまな状況に振り回されないためには、
矛盾した存在であることが必要だということです。
(P.46)
敏感で鈍感。
このような相反する資質を両立させるのは
実は、サバイバル戦略として
とてつもなく有効であると思います。
コミュニケーションの本質は
そこでやりとりされる言葉の「コンテンツ」ではなくて、
コミュニケーションが成立するという
事態そのものであるという、
コミュニケーション論の核心を示すエピソードですね。
(P.51)
このエピソードは本書に譲るとして
コミュニケーションが苦手という人は
コミュニケーションを取ろうしていないのですね。
何を語るか、どう接するかの前に
コミュニケーションしようという思いこそが
大前提ではないでしょうか。
数ある教えの中でも
私自身最も納得がいったのは、
人間は他から強制されたものは、
それが仕事であれ、学問であれ、トレーニングであれ、
決していい結果を残さない、
どうすれば自発的にそのことに取り組めるか、
それを指導するのが大切なのだ、という意見です。
(P.66)
これを理解せずに制度でがんじがらめにするから
若者は絶望するのですよね。
マネジメント論の基礎中の基礎でしょうか。
視点が完全に自己中心的になっている。
というか、ひじょうに小さな中枢に自我がある。
自我が自分を含む空間の中の
どこに位置どりしているか、
少し広げてみることができない。
(P.107)
それで上手く行くならいいのですけど
完全に自分を不利にしてしまい、
自分を大損させてしまっているのですね。
自己中心的というのは
致命的な欠陥であると感じます。
とにかく体裁よく辻褄合わせで
こうしなければいけないみたいな感じの、
ものすごい強制がある。
(中略)
人間の言うことって、
たいてい矛盾をはらんでいるもので、
その矛盾とどう向き合うか、
どう考えるかといったことを
教育の過程で教えないといけない。
当然のことですが、
世の中はマニュアル的に
「こういうときはこうしましょう」と
教えられないことがたくさんありますからね。
(P.114)
辻褄合わせ、マニュアル文化、矛盾を無視する。
すべて大人が作ってきたものです。
そしてそれは金儲けと効率のためにしてきたわけで
人への教育や成長は完全に度外視されているのが
最大の問題なのですよね…。
つまり、常に問題を背負わされ、
かつてのようになりふりかまわず
自分なりのおもしろいものを作っていくことに、
絶えずブレーキがかかっている。
ある方向へ突出しようとすると
こういう問題があるよ、
そっちに行けばこういう問題があるよ、というふうに、
さまざまな場面で新しいものを作ろうとすること
全てにブレーキがかかっていますよね。
(P.123)
環境問題を軽視して
経済成長を金科玉条の如く
崇めてきた我々の失敗ですね。
問題はそれに気づいても
何ら有効な手を打てない人にあるのは明白です。
「これこれを教えてください」と言ってくる人って、
学ぶ前の自分と学びのプロセスが終わったあとの自分が
同一人物だと思っているんです。
学ぶ前と後で自分自身が主観的には
少しも変化しないと思っている。
知識や技術は付加価値として
「同じ自分」に加算されるものとして考えている。
(P.152)
子供の頃の学校の授業のままなのですよね。
大人の勉強とは「脱皮」にあるんじゃないですか?
昨日までの自分とは違う自分になる。
「男子、三日会わざれば刮目して見よ」こそが
本当の意味での学びの結果ですよね。
「僕はこれから君たちの語彙にないもの、
あるいは君たちの価値感では価値として
認知されたことのないものを伝える。
語彙にないことだから、
それが何の役に立つのかを
君は決して自分で自分に説明することができない。
だから、黙って聞け」と。
(P.166)
子供たちに対してもそうですけど
若手にも同じことを言いたい。
君たちにはまだ理解できないことが
この世の中には多いのだ。
自分たちのロジックに
全てを当てはめてしまうと
人生において大事なことを見失うよ。
失っている人があまりにも多いよ。
10年後に恐ろしいことになるよ。と。
口先だけの軽薄な人間の未来は
かなり辛いよ。
昔の子どもはいまより
ずっとおとなしかったでしょう。
それはたぶん先生との
「無言のコミュニケーション」が
うまかったからだと思うんです。
目をきらきらさせるとか、
うなづくとか、爆笑するとか、
昔のニュース映画を見ると、
教室の子供たちは、別に私語もしないし、
立ち歩きもしないで、
おとなしく座っているんだけれども、
ダイナミックに、文字通り全身を使って教師に反応してる。
いまの子はその能力が開発されてないですね。
(P.170)
コミュニケーション自体が
自己中心的で、自分勝手で、
自分の思うようにならないコミュニケーションは
不要と考えているのが実態でしょうか。
そりゃコミュニケーションが成立するわけがありません。
そしてそんな大人が社会でいい目には合わないでしょう。
苦労するのは自分ですから
お好きにどうぞとしか言えませんね。
乱暴に言ってしまうと、
いくら変化しても、
変化の仕方は変化しない人が「凡人」であり、
変化する度に、
変化する仕方そのまで変化する人が
「天才」というのではないか、と思ったのです。
(P.183)
なるほど…とは思ったのですが
これ別に天才じゃなくても
そこそこ能力のある人は
変化の仕方自体を変化させていませんかね?
いや仕方を知ったから
能力を高めていくことができているのかもしれない。
人間にとって時代を超えて必要とされる経験、
それは基本的生活を維持するために
必要な生活技術ではないかと思います。
そこをおさえておけば、
まだ混乱も壊滅的にならずにすむように思います。
(P.213)
これ、逆説的に言うと
政府や、会社や、資本家は
そうさせないために
あらゆる手を使って
経験や技術がなくてもいいんだという
ミスリードをしているような気がしました。
奴隷的に生きてくれたほうが
奴らにとっては楽ですし金儲けになりますからね。
目を覚まさねば…。
天敵がいない人間は
だから戦争を起こすのでしょう。
(P.222)
動物は同一種では殺し合わないと
聞いたことがあります。
人間同士が殺し合うのは
天敵がいないからである。
ふむ、確かに動物には天敵がいるから
天敵から身を守るために
同一種を守るわけですね。
何なんだ、人間というやつは。
戦争反対。
身体操作の多様性が失われているんです。
いまの都会で生活している子どもたちは
極端に記号的な身体運用を強いられていて、
常に不自然でゆがんだ状態でいる。
(中略)
でも不快や痛みを感じることのできない身体って、
生物としては致命的なことなんですけどね。
(P.272)
果たして人類はこのまま存続できるのか?
100年ならまだしも、
1000年先はどうでしょうかね?
「人間にとっての自然とは何か」という問いかけに
身をもって向き合っていきたいと思います。
(P.293)
甲野さんが武道を志した原点とのことですが
現代社会は「人が人として生きる」ことが
大変に難しくなっていると言えるのかもしれません。
私自身の学びも
人とは何だ?
社会の仕組みはどうなっているんだ?
世の中の構図、構造は?という点が
強く求められていますが
私たちはもっと原点というか
本質を学ばないと
自分たちの生存が許されなくなるかもしれませんね。
生きるって何だ?
どう生きるんだ?
哲学的なアプローチが必要となりますね。
評価
おススメ度は ★★★★★ と満点といたします。
武道家、恐るべしです。
こういう観点は武道家こそだなと思うところも多く、
大人になってからスポーツから離れてしまった
元野球人である私としては
「身体」を通して物事を考えることを
もっと大切にしたほうが良さそうだなと思いました。
それでは、また…。
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