おはようございます。
読書がライフワークになっている
医療業界のコンサルタント
ジーネット株式会社の小野勝広です。
多くの人が世界平和を望んでいるはずなのに
人類は戦争を止めることができません。
率直に言って
為政者の奴らは何をやってるんだ?と思いますけど
彼らには彼らのロジックがあって
それを支持する人がいて
そして何より大きいのは
莫大な経済的な利益があるということなのでしょう。
金のために
人を殺すなんていうのは
悪魔的な仕業だと個人的には思いますが
むしろ彼らはいいことをしている
聖戦だ、悪いのは奴らだというロジックで
懐にたっぷりのお金を得ていますね。
こんなことをしていたら
人類はいずれ滅亡するんじゃないかと
心配になりますけど
世界平和は夢物語なのでしょうか。
叡智を持って
何とかしたいところですよね。
今回ご紹介する書籍は、
【 街場の米中論 】 です。
本書をピックアップした理由
『 街場の米中論 』
内田 樹 東洋経済新報社 を読みました。
ま、内田さんの著書に関しては
特別に読む理由なんてなくて
まだ未読のものがあれば
私の読書スケジュールのなかで
数冊に1冊は組み込むというだけです。
この待場シリーズは
わりと私の好みに合っていて
内田さんの自由な発想と
縦横無尽な筆の走らせ方に
いつも感心させていただいております。
ちなみにアメリカ論も読んでいますし…
中国論も読んでいるのですね…
そして本作は米中論。
そりゃ読まないわけには行かないでしょということで
大いに楽しみにしながら読み始めたのでした。
目次
第1章 帰ってきた「国民国家」時代の主導権争い
第2章 自由のリアリティ
第3章 宗教国家アメリカの「大覚醒」
第4章 解決不能な「自由」と「平等」
第7章 国民的和解に向かうための「葛藤」
第8章 農民の飢餓
第9章 米中対立の狭間で生きるということ
感想
内田さんご自身でも
あとがきにて書いていますが
他で主張していたことが
何度となく出てきます。
しかしガッカリというわけではなく
内田さん曰く
他に言う人がいなくて
大事なことだから
自分が何度も言うしかないということなんですね。
うん、まあ確かにと頷けます。
確かに他の人で似た主張をする人はおらず
まるで内田さん独自の見解のオンパレードです。
今回は米中論ではありますけど
ほとんどが米国に関してであり、
中国についてはそれほど述べておらず
むしろ米中の関係性の根幹にある
両国の成り立ちであったり
歴史的な事情についての解説という感じです。
内田フリークの私としては
また同じことを言ってるとか
前に読んだことがあるぞとか
そういう箇所はあるにはあるのですが
それでも何度読んでも面白いし
勉強になるのだから
これはこれでいいのかなと思いました。
結局、何ごとも原点を知ることが大事であり
そこから学ばないと
表層的な感情論に流されたり
おかしな決めつけをしたりしかねません。
そういう意味ではアメリカ論を学び
中国論を学びながらも
突き詰めると私たちのサバイバル戦略を
知的に教えてくれる貴重な1冊と言えるでしょう。
内田さんらしい内容で大満足でした。
それでは恒例の私がグッと来た箇所をご紹介いたします。
軍人が「このままでは大変なことになる」という
警告を発するときには
額面通り受け取るわけにはゆきません。
リスクを過大評価するのは
軍人の本務の一部だからです。
彼らが話を「少し盛る」のは当然なんです。
「このままでまったく問題ありません」と
太鼓判を捺しておいて見通しが外れたときの被害は
「このままでは大変なことになる」といって
過剰な投資をしたことの損失とは
比較になりませんから。
(P.38)
我が国もいつか通った道ですし、
軍人に限らず、
官僚、公務員も同じムジナでしょうか。
責任回避できるシステムでは
ずっと似たような間違いは起こり続けるでしょうね。
アメリカはいまのところ
世界唯一の超覇権国家です。
どうしてアメリカは
これほど強国になり得たのか。
これは僕にとって
たいへん興味のある論件です。
僕はその理由を
「深い葛藤を抱えているせい」だと考えています。
これは僕が長く生きてきて経験的に獲得した知見です。
深い葛藤を抱えている人間は定型に居着かず、
一度崩れた後も復元力が強い。
逆にシンプルな信条を掲げて、
どんな局面でもすぱすぱと決断を下し、
内的葛藤のない生き方をしている人間は
短期的には効率的な生き方をしているように見えますが、
成長がない。
そして、一度崩れるともう立ち直れない。
アメリカが成功したのは
解決不能の葛藤を
その建国のときから抱え込んでいるせいである、
というのが僕のアメリカ論の仮説です。
(P.90)
内田さんの仮説というのは
当たるとか外れるとか
そういう下世話な領域を超えて
発想の豊かさに感激し
大変に勉強になるんですよね。
深い葛藤を抱えている人間。
これは個人に置き換えても同じと思います。
表層的な人はどこかで落ちぶれるように見えます。
「世界の見え方は人によって違う」というのは
まことに常識的な言い分です。
でも、そこから出発して、
「万人が共有できる現実は存在しない」
というところまでゆくと
これは「非常識」と言わざるを得ません。
反知性主義の問題はここにあります。
反知性主義は決して「間違ったこと」を
言っているわけではありません。
理屈としては無理押しすれば通ることを言っている。
でも、どう聞いても「非常識」です。
ことは「常識/非常識」という
日常感覚における程度の問題なのです。
だからこそ扱いが難しい。
(P.119)
選挙に負けた自民党の議員たちにも
大いに当てはまるのではないでしょうか。
彼らは無理押しばかりしてきたけど
多くの国民にとって非常識であることを
これっぽっちも想像できませんでした。
いや自民党だけではなく
権力を握った
じいさま達全体に言えるかもしれません。
あなた達のしていることは反知性主義ですよ。
ただの強欲ですよ。
若い人間たちが違う形で真似をし始めて
世の中は狂いつつありますよ…と言いたい。
果たして「ポスト真実の時代」では
何を信じて生きてゆけばよいのでしょうか。
僕は別にそれほど悲観的ではありません。
先ほど書いたように、
オルタナティブ・ファクツ論は
「すべての主観的事実は等権利である」ということを
原理的な足場にしていますけれども、
これは間違っています。
たしかにすべての人間の認知には
ある種のバイアスがかかっています。
けれど、それぞれの認知の間にも
「割と客観的」と「ひどく主観的」、
「割と常識的」と「ひどく非常識」の差は存在します。
そして、僕たちはこの程度の差を認知することはできる。
「これが100パーセントの真実だ」と
言い切ることはできなくても、
真実含有量が80%の言明と
3%の言明の間の違いくらいは感知できます。
その判断の手がかりになるのは、
その人たちがそれまで語ってきたことのうちの
真実含有度の「通算成績」だったり、
情報の精粗だったり、
命題の論理性だったり、
僕たちが経験的に知っている
「嘘をつく時に人間がどんな表情になるか」だったり、
手がかりはいくらでもあります。
だから、あとはその計測性能の精度を上げればいい。
(P.122~123)
少し長いですが大事なところと思い
できるだけ多く記載しました。
日本人は白黒ハッキリできないとか
NOと言えないと言われたりしますが、
反知性主義に陥った人を見ていると
そこに正当性はなくとも
感情論で白黒ハッキリつけますし、
NO、NO、NOと強弁しますよね。
エビデンスなんて調べもせずに
こうと決めたら一切耳を傾けません。
反知性主義は自らを貶めるとともに
周囲の人間をも引きずり落としますから
身近にこういう人が現れてしまったら
そっと距離を置くしかありませんよね。
どのあたりが
適切な「落としどころ」になるかは
原理的には決することができません。
だから、この問いには永遠に
「最終的解決」訪れない。
(中略)
葛藤のうちで人間は成熟する。
それはたぶん集団についても
あてはまると思います。
(P.132)
答えのないものに
無理矢理答えを出してしまうと
それは答えではないところに辿り着くでしょう。
成熟とは
答えのないものを問い続ける姿勢と言えるでしょうか。
これも反知性と言えそうですが
バカほど簡単に答えを出してしまうんですよね。
視野が狭いから。
中国の国民監視システムはたぶん世界一です。
顔認証、虹彩認証、声紋認証などによる個人の特定、
ショッピング履歴、銀行取引、
医療履歴などのビッグデータを処理して、
国民一人ひとりに
「社会的信用スコア」を付与しています。
このスコアが高い「社会的信用が高い市民」は
海外旅行申請の迅速な処理、
光熱費の割引、監視頻度の引き下げなど
幅広い恩恵を享受できるそうです。
逆に、社会的信用スコアの低い市民は
アパートが借りられなかったり、
飛行機や鉄道の移動を禁止されたりします。
(P.201)
どこまで?の問題はあるにしても
あの国ならあり得ないこともないかと思ってしまいます。
そして我が国でもマイナンバーカードが普及しないのは
こういう恐れを国民が感じているからではないでしょうか。
わかってんのかな、政官の人たちは。
現に、1930年ー1940年代の日本では、
「すべての作戦が成功すれば皇軍大勝利」というタイプの
「多幸症的」なシナリオを起草する
陸軍参謀たちが累進を遂げて、
「プランAが失敗した場合のプランB」を
起案するタイプの人は「敗北主義者」として
追放されました。
そのせいで日本は歴史的敗北を喫したのです。
しかし、その教訓から日本人は何も学ばず、
いまも「敗北主義が敗北を呼び込むのだ」という
ロジックは日本のいたるところで
日々口にされております。
ですから、日本この後高い確率で到来するはずの
効果的に阻止することはできないでしょう。
当然ながら、「最悪の事態を想像したくない」人は
最悪の事態が到来したときに
適切に対処することはできないからです。
そして、まことに心痛むことですが、
いまの日本の「指導層」を形成している方たちは、
総じて「多幸症的」です。
だから、五輪だ、万博だ、リニアだ、
カジノだというような
「これ一発で起死回生」シナリオに偏愛を示す。
(P.233~234)
こちらも少し長いですが
とても大事な視点だと思いますし、
そうだ!そうだ!と思う人は
かなり多いのではないでしょうか。
どうして権力を握ると
人はバカになるのでしょうね?
知性的であり続けることって
本当に大事だなと痛感しますし、
そのためには読書は最適のようにも感じます。
知らないことに出会えるという意味で。
自由と平等と友愛は
それぞれ実践する主体の次元が違います。
自由の主体は個人です。
平等の主体は公権力です。
友愛の主体は、こう言ってよければ、
その中間にある共同体です。
自由主義の暴走と平等主義の暴走を、
中間共同体の常識が抑制する。
「理屈としてはそうかも知れないけれど、
どうしても納得できない」
「それを言っちゃおしまいだぜ」という
理屈にならない人としての情が
緩衝材になって
自由と平等の矛盾を和らげることができる。
(P.238)
我が国の場合は
友愛を掲げていた元総理大臣が
宇宙人のように
わけのわからないことをしてしまい
友愛のイメージが悪いですけれど
本来は友愛こそが
敵対する勢力の真ん中に立って
落としどころを見つけるために
機能するのではないかと思いました。
評価
おススメ度は ★★★★☆ といたします。
本書において
最も学びになったのは
知的であるというのはどういうことか?
知性とは何か?というところです。
日本が失われた30年…
下手したら40年になってしまうのは
政官財が知的ではなかったからと
言えるのではないでしょうか。
受験のための勉強ではなく
実学こそが今は求められているのでしょうね。
それでは、また…。
<ジーネットが発信する情報提供サイトはこちらです!>
・ジーネット株式会社 公式ホームページ
・医療ビジネス健全化協議会<IBIKEN>ドクター向け情報提供サイト
・ジーネット株式会社 <社長のtwitter>
・ジーネット株式会社 <社長のfacebookページ>