ある読書好き医療コンサルタントの「書評」ブログ!

年間60冊以上の本を通じて、人生や社会の構造を読み解いています。 読書感想にとどまらず、キャリアや人生に彩りを与える言葉を綴っています。読書好きな方と繫がりたい!

マルクスその可能性の中心

 

おはようございます。

 

読書がライフワークになっている

医療業界のコンサルタント

ジーネット株式会社の小野勝広です。

 

読書をしたからと言って

急に頭が良くなるとか

すこぶる賢くなる、

とてつもなく知識が増えるということは

それほどないような気がしています。

 

もちろん読まないよりは

読んだほうが絶対にいいに決まっていますが

何を、どのように読むか?も

とてつもなく大事じゃないですか。

 

くだらない本なんて言ったら申し訳ないですけど

そういう本をいくら読んだって

あんまり効果的ではないと思うんですね。

 

では読書をすると何が起こるか?

 

少なくともバカではなくなるというのは

何となくあるような気がするのですけど

いかがなものでしょうか?

 

私なんぞは

バカはバカなりに学ばないと

あっという間に大バカになりそうで

必死こいて読書しています。

 

バカにはなりたくないという

情けない動機ではありますが、

面白いのは良書をたくさん読んでいると

バカもそこそこにお利口さんになってきます。

 

やはりいい本をたくさん読んで

バカから遠ざかっていけば

段々と賢くなるのではないでしょうか。

 

今回ご紹介する書籍は、

【 マルクスその可能性の中心 】 です。

 

 

本書をピックアップした理由

マルクスその可能性の中心 』

柄谷 行人 講談社学術文庫 を読みました。

 

マルクスについて書かれた本や

また本の中でマルクスが取り上げられたり

マルクスを意識させられるような本は

今までもたくさん読んできたつもりです。

 

下記などはその証明となるでしょうか。

 

ka162701.hatenablog.com

 

それでも私ごときが

マルクスを語るなんておこがましくて

偉そうなことは言えないのですけど

それでもなぜか読みたくなるのがマルクスです。

 

本書は柄谷行人さんが

マルクスについて書いているようですから

これは2倍面白いんじゃないか?と思い

難しいだろうなというのは百も承知で

頑張って読もうと思い手に取った次第です。

 

目次

1 マルクスその可能性の中心

 序章

 第二章

 第三章

 第四章

 第五章

 第六章

 終章

2 歴史についてーー武田泰淳

3 階級についてーー漱石試論1

4 文学についてーー漱石試論2

5 あとがき

 

感想

目次にもあるように

マルクスその可能性の中心」という分量が

だいたい150ページ弱。

 

その後は100ページくらい

武田泰淳夏目漱石を語りながら

有島武郎や名だたる哲学家の言葉を取り上げながら

さらに思考を深めていく。

 

実に興味深い1冊でした。

 

さすがにマルクスの考えは難しく

それを柄谷行人さんが

わかりやすくしてくれればいいのだけど

さらに難解なものにしてしまって

私の頭の中は混乱しっ放しです。

 

でもそれでいいのです。

わからないことを知ることも

とても大事なことであると考えていますので

ほんのごく一部だけわかれば充分です。

 

何度も読み返し、

それでもよくわからないという体験は

大人になるとなかなかできませんからね。

 

わからないなかで藻掻くという意味では

貴重な勉強ができたように感じます。

 

それでは恒例の私がグッときた箇所をご紹介いたします。

 

「価値形態論」の豊かさは、

そこにおいて「まだ思惟されていないもの」を

到来させるところにある。

すべて著作家は一つの言語、論理のなかで書く以上、

それに固有の体系をもつ。

しかし、ある作品の豊かさは、

著作家が意識的に支配している体系そのものにおいて、

なにか彼が「支配していない」体系をもつことにある。

それこそ、マルクス

ラッサ―ル宛ての手紙でいったことである。

私にとって、マルクスを「読む」ことは、

価値形態論において

「まだ思惟されていないもの」を読むことなのだ。

基本的に、私はマルクス

それ以外のいかなる場所でも読まないだろう。

マルクスをその可能性の中心において読むとは、

そういうことにほかならない。

(P.25~26)

 

どの程度、自分が理解できているのか

とても心許ないのですが

まだ思惟されていないものを読むというのは

わからないこと、知らないこと、

自分が認識できていないものに

突っ込んでいくというのが大事と受け止めました。

 

まあ私が哲学を学ぶ理由は

まさにそこでありますので

若干、自分の良いように解釈しているかもしれませんが。

 

価値について考えていくと、

ある二つの異質なものが

等価であるという根拠はなにか、という

問いに行きあたらずにいない。

このことは、経済学だけではなく、

価値一般に関する問題をふくんでいるのである。

(P.41~42)

 

価値というのは

人それぞれのものですけど

主語を大きくすればするほどに

一定の範囲には収まらないと言えるかもしれません。

 

むしろ相反する二つの異質な観点から

ひとつの価値を冷静に見極めるというスタンスが

安易な時代には求められていると言えるでしょうか。

 

ある商品が一地域では安く、

他の地域では高いというのは、

価値がそのものに内在するのではなく、

ただ示差的な関係の体系において

あるにすぎないということにこそもとづいている。

そして、それが貨幣形態によって

量的に変形されたとき、

この体系としての差異は、

一商品の価格差としてあらわれる。

商人資本はこの価格差に依存する。

もちろんそのためには、

この二つの価値体系が、

相互に隔離されているのでなければならない。

(P.56)

 

貿易とか、ビジネスと捉えれば

とてもわかりやすいのですけど、

経済的な側面から離れて考えると

なかなか難しい議論になりそうです。

 

ただここではシンプルに

経済的に考えればよいのかな。

 

同じ価値でも

距離が離れれば

空間が変われば

全く違う価値になるというのは

確かにその通りであると思います。

 

資本制社会は、

商品経済が労働力という商品を

そのなかに包摂したとき

はじめて成立する。

(P.74)

 

労働力とは何か?

これは労働とは違うんですよね。

 

そう考えると

資本家や経営者というのは

労働力について

あまりにも思考が浅すぎるように感じました。

 

労働力を単なるマンパワーとして捉えては

本質を見誤るような気がします。

 

あくまでもその一部ではあるのでしょうけど

人間が働く以上、

コマとしてしか考えないのは

あまりにもヒューマニズムとして問題ありですよね。

 

労働の生産性の上昇は、

分業や協業の強化によろうと、

機械の改良によろうと、

労働力の価値を潜在的にさげる。

これはつぎのようにいいかえてもよい。

資本家は、

すでにより安くつくられているにもかかわらず、

生産物を既存の価値体系のなかにおくりこむ。

つまり、潜在的には労働力の価値も、

生産物の価値も相対的に下げられているのだが、

このことはただちには顕在化しないのである。

だから、現存する体系とポテンシャルな体系が、

ここに存在する。

したがって、われわれは産業資本もまた、

二つの相異なるシステムの中間から

剰余価値を得ることを見出すのである。

われわれは、商人資本がいわば空間的な二つの価値体系の

ーーしかもそこに属する人間にとっては不可視なーー

差額によって生じることを明らかにしたが、

産業資本はその意味で、

労働の生産性をあげることで、

時間的に相異なる価値体系をつくり出すことに

もとづいているといってもよい。

(P.78)

 

我が国の生産性の低さは

たびたび問題視をされているわけですが、

その根本的な要因は

まだ見つかっていないように思います。

 

それは資本家と労働者の関係が

上手くゴマかされてしまっていて、

生存戦略上では仲間のように捉えているからでしょうか。

 

日本人特有の人間関係として捉えてしまっては

生産性よりも関係性を優先することになり、

やはり生産性は後回しにされるでしょう。

 

それがここ20~40年の経済不況の要因なのかな。

 

諸外国と経済的に戦うためには

もっとドライで、シビアで、リアルにならねば

私たちは太刀打ちできないのかもしれません。

 

マルクスは、

「問題」を自発的に提起することが

根本的には受動的なものであることを

強調したのである。

≪人間は解決可能な問題だけを提起する≫。

しかし、それは、構造主義者のように、

人間がある構造に強いられているということを

強調することではない。

なぜなら「構造」とは、

家の構造であれ、言語の構造であれ、

それ自体目的論的にのみ

つかまれるものであって、

われわれはいまそれを問題にしているからである。

そこには微妙なちがいがある。

(P.135)

 

人間は解決可能な問題だけを提起する。

 

これは名言と思いました。

あらゆるところで当てはまりますし、

本当に賢い人だけが理解しているでしょうか。

 

裏を返すと

大半の人は解決不可能な問題にこだわり

解決可能な問題を見逃しているのかもしれません。

 

我が国の抱える、政治、経済、行政の問題は

解決可能な問題なのに

解決不可能な問題に置き換えることで

世間を惑わせていると思いました。

 

これじゃアカンのでしょうけど

それが現実でもありますね。

 

なぜマルクスを読むのか。

あらゆる問題を考えるためには

結局一つの「問題」が必要であり、

それが私にとってマルクスだったということである。

マルクスにかぎらず、

本質的な思想家のテクストは多義的なものである。

しかし、今日その多義性がマルクスの場合ほど

深刻な問題をもたらしている例はない。

(P.234)

 

わかる。メチャクチャ共感。

 

問題が明らかにならないと

どう対処するか?

いかに解決するか?が見えてきません。

 

私たちは安易に理解したいがために

「多義性」を見失っていないでしょうか?

 

でも、目の前に現れるあらゆる問題は

そのほとんどが多義的であり

シンプルに受け止めてしまうことで

何かを見失ってしまうものですよね。

 

私がそれを選んだのではなく、

それを選んでいることが「私」なのだろうから。

(P.237)

 

著者にとっては

マルクスであり、夏目漱石のようですが

私たちが日常的に下す判断や決断は

すべて「私」を形作っているのですよね。

 

人生は自己責任です。

何もかも自分で選んだのですから。

 

評価

おススメ度は ★★★★☆ といたします。

 

前半のマルクスのところは

とても難しいのですけど

なぜか面白いという不思議な気分に陥りました。

 

実は前半より後半のほうが

さらに面白いというのが

失礼な話なのですけど本音であります。

 

やはり日本人同士の哲学のほうが

取っつきやすいと言えるのでしょうか。

 

ただトータルとしての本書の価値は

かなり高いものと感じました。

 

やはり時々は哲学を学ぶことは

非常に大事なことなのだなと痛感しました。

 

マルクスはわからなくても触れるべき

貴重な存在であるのが

私にとって面白いところです。

 

きっとこれからもわからないなりに

学び続けていくことでしょう。

 

多義性の象徴として。

 

それでは、また…。

 

 

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