おはようございます。
読書がライフワークになっている
医療業界のコンサルタント
ジーネット株式会社の小野勝広です。
今回ご紹介する書籍は、
【 命売ります 】 です。

本書をピックアップした理由
『 命売ります 』
三島 由紀夫 筑摩書房 を読みました。
日本を代表する小説家と問われれば
やはり三島由紀夫の名は出さざるを得ません。
私ごときでも
過去何冊か三島の著書を読んでいますし、
すでにお亡くなりになってから何年も経っているのに
名声は大きくなるばかりでしょうか。
若い方でも
三島を意識している人は
少なくないように感じます。
本書はスレッズか何かで
どなたかがおススメをしていたのです。
いわゆる三島の代表作という感じではなさそうですけど
なぜか私は気になったのですね。
おそらくそのうち読むだろうと思いまして
すぐにポチッと購入し
しばらく積ん読本棚で眠っていたのですが、
ようやく日の目を浴びる時がきました(笑)。
内容とか事前の知識は一切ありませんが
楽しみにしながら読み始めたのでした。
目次
目次はありません。
感想
ミシマの作品は
(あえてミシマと言いますが
特に大した意味はございません)
それほど読み込んだわけではないですけど
彼の考え方とか、思想は
良くも悪くも非常に面白いです。
大変に興味深く感じています。
本書は、「死にたい」から始まる
生々しいパロディ作品と言っていいでしょうか。
ミシマの作品の中では
かなり異質というか、
ある種の遊び感覚に溢れていると言えそうです。
本書は、その破天荒なプロットと
風刺の効いた語り口で
ミシマ文学の中でも相当に異彩を放っています。
ミシマといえば
重厚な文体で人間の精神や美学を描く
稀有な作家という印象が強いのですが、
本書はそれらの王道作品とは異なる風合いを持ち
軽妙でありながら深い。
滑稽でありながら切実である。
軽やかな娯楽小説の仮面を被りつつ
生と死の本質を問い直す構造を持つ点で
まさに三島由紀夫という作家の
「裏の顔」が垣間見える作品と言えそうです。
「命を売る」とは何か
死に損なった男の奇妙な旅路。
こんな設定、なかなか思いつかないですし
そこから奇想天外なストーリーを展開させるのですから
さすがミシマと言わざるを得ません。
物語の主人公・山田羽仁男は
(はにおという名前もユニーク)
エリート広告代理店の社員であり、
何不自由ない生活の中、
ある日ふと自殺を決意し、
睡眠薬を飲んで死のうとしますが失敗します。
そして目覚めた彼は
「死ぬこともできなかった」ことに気づき
次に命を売ろう、と決めるのです。
彼は新聞に「命売ります」という広告を出し
誰にでも命を差し出す決意を公言します。
これがきっかけとなり、
羽仁男のもとには
次々と奇妙な依頼人が現れるのです。
吸血鬼一族、ヤクザ、スパイ、
さらには謎の宗教団体まで……。
それらに命を差し出すたび、
なぜか彼は死なない。
あるいは死にきれない。
本作は、現代的な生の空虚さに絶望し
自殺未遂を機に命を「売りに出す」ことで、
むしろ生きる意味や
生存する価値に直面していく男の物語です。
奇妙奇天烈な事件の数々は
戯画化された「死のシーン」として描かれますが、
そのたびに羽仁男は死を回避し、
皮肉にも生に巻き込まれていく。
死の探求と生への回帰という
皮肉な構造が本書の核心でありますが、
すなわち、「死にたい」と願って
命を差し出す羽仁男が、
どれだけ死に近づこうとしても
「生」に引き戻されるという逆説でなのですね。
羽仁男は死にたくてたまらない。
ですが、死を差し出せば差し出すほど
周囲の滑稽な出来事に巻き込まれてしまい、
人の情や欲望にも翻弄されて
「生」とは何ぞやと問われることになってしまう。
この愚かさに振り回されてしまう情景は
本書の価値を高めてくれるポイントです。
まるでミシマが「死ぬとは何か」を
あらゆる角度から検証しているかのように、
羽仁男は死に向かうことで、
かえって生きざるをえない状況に置かれていくのです。
この逆説はミシマ自身の死生観とも
深く関わっているのかもしれません。
ミシマが切腹自殺を遂げる
2年前に発表されたこの作品において、
「死にたいのに死ねない」主人公の存在は
どこか「死ぬことに意味を与えようとする」
ミシマ自身の葛藤の表現にすら見えてきます。
もちろん後付けではありますが
実際、本書にはミシマの思想的・文学的関心が
垣間見えると言いたくなる部分は多いです。
身体性、死の美学、精神の極北、
国家や宗教のパロディなど
彼の主題がユーモラスに盛り込まれており、
それらが、かつてのミシマ作品にあったような
深刻かつ真剣なトーンではなく、
どこか「ライトタッチ」に描かれています。
その軽さが、逆に言えば
ミシマらしさ、ミシマの思索の深さや
ユーモア、あるいは諦念を滲ませているのですね。
これぞミシマ風ブラックユーモアと言えそうですし
こんなポップな語り口も描けるんだと
むしろミシマの才能に感嘆とする思いを持ちました。
『命売ります』が異彩を放つもう一つの理由は、
その語り口にあります。
これまでの三島作品のイメージでは
たとえば難解な文体、美意識に満ちた描写、格調高い思想
これらがミシマが現代でも読まれる
多きな要因であると私は思ってますが、
本書は全然違うんです。
まるで小学生が書いた内容のように
本書の文体は驚くほど平易で
なおかつ「ポップ」ですらあるのです。
こんなミシマあり??と読みながら
あれ、誰の本を読んでるんだっけ?と
何度も振り返ることになりました。
羽仁男の一人称的なモノローグは
時に冷笑的で、時に無気力、
しかしどこか滑稽で愛嬌があります。
それぞれの事件のテンポも早く、
パルプフィクション的な娯楽性すら感じます。
連作短編のように各章で事件が展開し、
羽仁男が死に損なう様子が描かれるたびに、
読者は「またか」と笑いながらも、
次はどうなるんだ?と楽しみにも思い、
人間の欲や矛盾を覗き込むことになります。
その意味で本書は「娯楽小説」としても
充分に成立しているわけですが
その笑いの奥にあるのは、
やはり生の不条理と死の不可能性に対する
ミシマ一流の深い思索なのですね。
軽いタッチではありますが
テーゼは決して軽くはない。
でも重くも見せない。
そこにミシマの小説家としての技巧と
哲学家としての意図が透けて見えるのです。
しかし読み進めていくなかで
結末に込められた再生の可能性が
段々と見えてきます。
物語は羽仁男が命を差し出し続ける中で
次第に「死ぬこと」にも倦み
最後には「命を売る」ことすらやめてしまう。
これが意味するのは
生きることへの回帰であり、
自己の再生とも言えるでしょうか。
実は『命売ります』の最終章では、
羽仁男は「ただ生きる」という地点に着地します。
そこにカタルシスや感動はありません。
ただ、死を繰り返し空転させた男が、
ようやく「何もしない」ことの意味に辿り着くのです。
無我の境地とでも言えばいいのでしょうか。
この余白がいい。
読後感は不思議な静けさに包まれます。
「死ねなかった」男が
「生きよう」と決めたのではなく
「死ぬのも面倒だ」と投げ出す。
だが、それこそが実は
最もシンプルな「生」であり、
本来あるべき生命論へと誘われたのかもしれません。
ミシマという作家のイメージは、
文学界・思想界において
あまりに重々しく、硬質で、厳粛であります。
それがミシマの残した功績ですし
「生き様」と言ってもいいでしょう。
しかし本書には
それとは真逆のユーモア、柔らかさ、
時に無責任や諦めすら感じさせる顔があります。
ミシマの二面性が浮き出ているのですが
そうは言っても決して軽薄で終わらずに
むしろ深い考察の末にたどり着いた
「人生のからくり」への達観であるように思えます。
死をめぐる喜劇、
それによって照らし出される生の皮肉。
その構造こそが、本作を魅力的にしているのですね。
最後に残るのは
「人はなぜ生きるのか?」という問いそのものではなく
「どうせ生きるなら、何を笑い、何を見ていくか」という
軽やかなスタンスかもしれません。
『命売ります』は
死に惹かれながらも生きるしかなかった男の
ささやかで風変わりな再生の物語です。
これは現代を生きる我々にも
何らかの問題を突きつける厳格さが
ミシマらしく内包されているように感じました。
評価
おススメ度は ★★★★☆ といたします。
とても面白かったですし
ミシマの違う側面を垣間見ることができましたが
やっぱりミシマはミシマ。
私がミシマに期待するのは
こんなんじゃねえ(笑)
そこが星ひとつ欠けた理由です。
時々ミシマ作品は読むつもりです。
次はどんな文体と出会えるのか…
ちょっと楽しみになりました。
それでは、また…。
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