おはようございます。
読書がライフワークになっている
医療業界のコンサルタント
ジーネット株式会社の小野勝広です。
自分の人生を振り返ってみて
「哲学」との出会いは
すこぶる大きかったなとしみじみ思います。
まあこれから15年ほどは生きたいので
あくまでもプロセス段階ではありますが、
「哲学」こそが
私自身を高めてくれた、深めてくれたということは
自信満々に言えるかなと。
ただ最初に「哲学」を学び始めた頃は
何を言ってるのか全然わからなかったし、
それは今でもそれほど変わっていないのですけど
それ自体にも価値があるということに気づいてからは
わからないということを恐れなくなりました。
むしろわからないことがわかったという
人としての出発点を理解するようにもなりました。
わからないなりにも
ずっと「哲学」には触れてきて、
触れれば触れるほどに
何かは手に入った感じは持てています。
かなり心許ないレベルですけど
継続は力なりだと思うんですよね。
人を学ぶ。
社会の仕組み、構図・構造を学ぶ。
賢者は歴史に学ぶ。
これらは私自身の学ぶスタンスとして
ブレずに精進し続けたいところです。
今回ご紹介する書籍は、
【 哲学と人類
ソクラテスからカント、21世紀の思想家まで 】 です。

本書をピックアップした理由
『 哲学と人類
ソクラテスからカント、21世紀の思想家まで 』
岡本 裕一朗 文藝春秋 を読みました。
本書を知ったのも
確かスレッズで誰かがおススメしていて
あ、これ面白そうと思って購入しました。
タイトルからは
哲学と科学というように連想したのですが
どうやらそんなに浅くはなさそうです。
哲学を幅広く学ぶためには
こういう本もいいかなと思い
楽しみにしながら読み始めたのでした。
目次
第1部 なぜ21世紀の哲学者は
ー終焉へ向かうホモ・サピエンスとメディア
第1章 「21世紀の資本主義」の哲学
ーメディアの終わりと世界の行方
第2章 「人類史」を世界の哲学者が問う理由
ーホモ・サピエンスはなぜ終わるのか?
第2部 人類史の起源と「メディア」の誕生
ー「出アフリカ」とホモ・サピエンス
第3章 私たちはどこから来たのか
ーホモ・サピエンスの始まり
第3部 「文字」と爆発的進化
ー哲学の起源とその謎
第4章 ギリシャ哲学と「最大の謎」
ー文字の誕生
第5章 キリスト教はなぜ世界最大宗教になったのか
ー中世メディア革命と「書物」
第6章 「国民国家」はいかに生まれたか
ー活版印刷術と哲学の大転回
第4部 技術メディアの時代へ
ーマス・メディアの世紀
第7章 「無意識」の発見と近代の終わり
第8章 20世紀、メディアが「大衆社会」を生んだ
ーマスメディアの哲学
感想
「おわりに」では本書の構想を
『メディアの観点から人類史を哲学的に解明する』と
紹介されていますが、
なぜメディア?という疑問はありましたけど
読み進めていくうちに
なるほどと頷かされました。
メディアを広義の意味で捉えれば
まさにそれは人類史に繋がりますし、
だからこそ哲学的にも捉えることができるのですね。
ただ「ホモ・サピエンス」の終わりという事態、
つまり人類は滅亡する方向に進むという点は
全く理解できません。
著者の妄想というか
根拠が示されたわけではなく
なぜそういう結論になるのか全然わかりませんでした。
とはいえ本書は、
悲観や終末思想を煽るものでは決してなく、
「いま私たちは何を手にし、何を手放しつつあるのか」
という現代への問いかけが
随所に込められているように感じました。
決して単純な進化や発展の物語として語らず、
「その変化に人間の倫理や精神は追いついているのか?」
という懸念を滲ませていたように思います。
過去の思想家が紡いできた哲学の系譜が、
今まさに再評価されるタイミングに来ている。
そんな背景意識を
本書から読み取ることができたのは、
個人的にも収穫でした。
「人類はこのままではいけない」という焦燥は、
著者のメッセージの一部であり、
読者への問題提起でもあったのでしょう。
私はむしろ、その問いの鋭さにこそ、
本書の現代的な意義があると捉えました。
それでは恒例の私がグッと来た箇所についてご紹介いたします。
現代のメディア状況を理解するには、
感覚と意味だけでなく、
さらには二進法の数字を加えなくてはなりません。
感覚や意味はおしなべて数字へと変換され、
逆に数字から感覚や意味が生成するのです。
したがって、デジタルメディアの現代は、
数字が支配する時代と言えるでしょう。
(P.39~40)
哲学とメディア。
こういう取り上げ方は
まさに現代だからこそなのでしょうけど
その根底にある意味を見失ってはいけません。
感覚、意味、数字、と受け止めると
ちょっと新たな視点が持てそうです。
身体が屈強だったので、
大型動物にも少人数で接近して立ち向かったようです。
そのため、ケガをしたり、
命を落としたりすることも少なくなかった、
と言われます。
ところが、華奢なサピエンスには、
その方法を取ることが不可能でした。
そのため、か弱いサピエンスは、
二つの戦略を取らざるを得ませんでした。
その一つは、遠く離れて戦うことです。
そのために発明されたのが、
「アトラトル」という道具(投槍器)です。
これは腕だけで投げるよりも、
「2倍以上の飛距離が出る」と言われています。
もう一つは、多人数で
コミュニケーションを取り合いながら協力することです。
一人では力が弱いので、協力せざるをえず、
そうして目的を達成できるのです。
このために、言葉が発達したのです。
このように考えると、
力の弱いホモ・サピエンスがその弱点を補うために、
道具の制作と言葉の使用という
二つの技術を発展させたのが分かります。
(P.113)
少し長いですが
とても面白いので多く載せました。
ここで大事なのは
私たち現代人は祖先のおかげで生きているのであり
それはあくまでも結果論ではあるけれど、
実は大きな意味があるのだということです。
もしネアンデルタール人のように
我々が傲慢になってしまったら
いつか人類は滅びるかもしれません。
こうした事情のために、
近代の科学者たちは、
アリストテレスにもとづいた
スコラ哲学の目的論を厳しく批判したのですが、
このとき論拠となったのは
機械論的自然観でした。
したがって、この対立は
機械論的自然観と目的論的自然観の対立なのです。
しかし、機械論か目的論かという対立は、
あくまでもパラダイムの違いであって、
科学的かどうかの差異でないことは
注意しておかなくてはなりません。
(P.187)
私たちは機械として扱われていないでしょうか?
コマとか、部品とか、言われますけど
目的論をベースにした科学的な姿勢こそが
現代社会では必要な気がします。
19世紀に発見された重要な概念を理解するため、
しかし、どうしてこの思想家たちなのでしょうか。
この三人の思想家たちに共通しているのは、
彼らが人間の「無意識」を暴き出した点にあります。
「無意識」という言葉は、
特徴づけるとき使われますが、
この概念はもっと広く使うことができます。
まず、マルクスについていえば、
彼は「イデオロギー」という概念いよって
社会的な無意識を明らかにしました。
イデオロギーの基本は、
「彼らはそれを知らない。しかしそれを行っている」
という表現によって定式化できます。
次に、ニーチェの場合には、
「系譜学」という概念において
歴史的な無意識が解明されました。
科学や道徳は、遠近法解釈にさらされ、
さらに権力への意志として捉え直されたのです。
最後に、フロイトは、
「精神分析学」という概念によって
心理的な無意識を摘出しました。
精神分析の原則では、
自由連想法によって
無意識が浮かび上がってきます。
(P.257~258)
少し長いですが
非常に興味深いと思って
できるだけ長く記述しました。
「無意識」という概念を
現代人はもっと意識すべきではないかと
そう素直に思ったのです。
そしてITやAIを活用するためには
この「無意識」を出発点にすることで
さらに良いシステム構築ができるのではないか…
そんなことを考えました。
システムだけでなく
経営、マーケティング、マネジメントなど
ビジネスシーンにも「無意識」の意識化は
ブレークスルーに繋がるような気もします。
無意識を多角的に活用することは
これからの時代に必要度が高くなると思います。
評価
おススメ度は ★★★★★ と満点といたします。
う~ん、何だろう。
結局とても面白かったし
いい学びになってしまった。
やはり哲学というのは
人間ありきであるべきだし、
実学として人生に活かしていかねばなりません。
そういう点では
本書はメディアというテーマの中ではあるけど
そこを跳び越えた生きるヒントが
散りばめられているように思いました。
哲学ってのは
こうでなきゃね…と思える良書でした。
キリスト教なども含めて
現代の思想家たちが現実とどう向き合ってきたのか、
そこには知性と情熱の軌跡が詰まっています。
この複雑な時代にこそ、
哲学を“使える道具”として
手元に置いておくことの価値を
再確認させてくれる1冊でした。
それでは、また…。
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