おはようございます。
読書がライフワークになっている
医療業界のコンサルタント
ジーネット株式会社の小野勝広です。
多くの方が毎日仕事をしていることでしょう。
働かざるもの食うべからずという格言の通り、
働いて給料を得ないと生活が成り立たないので
仕方なく働く人もいれば
給料云々は別にして
働くことの先にある崇高な目的のために
必死こいて働く人も少なくないと思われます。
人それぞれの働き方ではありますが
毎日やってらんねえとか
仕事したくねえと思いながら働くよりは、
よし今日はこれをやるぞとか
これをしたらクライアントが喜ぶかもと
ポジティブに仕事ができたら
充実感や満足感に繋がるのではないでしょうか。
たかが仕事。されど仕事。
でも普通の人は起きている時間の大半を
仕事に費やしているのですから
仕事に対してのスタンスとか
働くとは何ぞや?という問いを
私たちはもっと深く追求したほうが良いかもしれません。
今回ご紹介する書籍は、
【 働くことの哲学 】 です。

本書をピックアップした理由
『 働くことの哲学 』
ラース・スヴェンソン 小須田 健=訳
紀伊國屋書店 を読みました。
こちらの本もスレッズで
どなたかが紹介していて興味を持ちました。
本の情報は
様々なところで手に入りますけど
どうも私はスレッズで
お!それ面白そうという出会いがあるようです。
私の仕事柄、
働くということ
そして哲学的なアプローチをすることは
まさに必須ではないかと考えておりますので
本書のタイトルを見た時には
これは読まねばならんぞと思った次第です。
事前知識はほとんどなく
タイトル買いをしていますので
どんな内容かなと楽しみにしながら
読み始めたのでした。
目次
第1章 呪いから天職へー仕事の哲学の小史
第2章 仕事と意味
第3章 仕事の割りふり
第4章 仕事とレジャー
第5章 管理されること
第6章 給料をもらうこと
第7章 飽食の時代の仕事
第8章 仕事とグローバリゼーション
第9章 仕事の終焉?
第10章 人生と仕事
感想
働くとは?
仕事とは?
労働とは?
これらはいったいどういうことか?
本書はこの問いに対して、
歴史・哲学・社会構造・個人の生き方といった
多角的な視点から深く切り込んでいきます。
読んでいて感じたのは、
「働くこと」を手段でも目的でもなく、
自分自身の生き方の一部として
再定義する必要性です。
働くことに悩み、迷い、苦しむ人ほど、
本書の示す“立ち止まって考える力”に
救われるのではないかと思いました。
それでは恒例の私がグッときた箇所をご紹介いたします。
ためしに労働のない世界が
どのようなものであるかを想像してみよう。
それがいま私たちの生きている世界とは
まったく異なったものになることはたしかだが、
よりよい世界となっているかどうかは
定かではない。
労働のない世界では、
もはや仕事が私たちにとって
自身のアイデンティティをしるしづける
本質的な特徴となることはなくなるだろう。
社会的関係は新たな土台をもとにして
形成されねばならなくなろう。
(P.12)
労働のない世界。
どうでしょうかね?
私には無理ですけど
仕事などしなくていいならしたくないという人も
世の中にはいると思います。
でも、それで、本当にいいのか?と問うた時に
果たしてどうでしょうね。
それこそベーシックインカムが導入されて
働かなくても最低限は食っていけるとなった際に
仕事する、しないの二拓で
いずれかを選択しなければならない時に
しないという選択をするのは
なかなか勇気のいることではないでしょうか。
フランクリンの考えでは、
人生で成功をおさめるためには、
私たちは以下の十三の徳を示してみせねばならない。
すなわち、節制、沈黙、規律、決断、節約、勤勉、
誠実、正義、中庸、清潔、冷静、純潔、謙譲。
(P.45)
そりゃそうだろうなとは思いますけど
こんなん無理や~とも思います。
第一、成功とは何ぞや?と考えた場合、
昨今では個々それぞれの成功の形があり、
それによっては十三の徳までは不要で
三つや四つでも充分ではないでしょうか?
「天職としての労働」という観念の残滓は、
こんにちあちらこちらで見かけられる
「真の自己」探しのうちに認められる。
私たちが転職する割合は年々高まっている。
天職という観念は、
近代の個人主義によって変質してしまった。
私たちはもはや神に奉仕しているのではなく、
自分自身に奉仕しており、
「個人」としての自分にたいする
私たちの一番の義務は、自己実現だ。
だから、仕事も「自己実現」という
一般的な項目にふくまれるものとなり、
おおよそのところ、
「ライフスタイル」の選択という
問題になってしまっている。
(P.50)
そうかな、自己実現かな。
仕事ってそれでいいのかな。
私はそう思ったのですがいかがでしょうか?
何のための仕事なのか?
そこを追求しないと
自己実現というマジックに翻弄されて
いつまで経っても自己実現できない気がするな。
世のため人のために仕事をしていれば
自己実現なんて通過点になると思うけど。
資本主義の核心は労働者からの搾取によって
なりたつ点にあると言われるが、
そうであるなら
資本主義にその路線をとことん歩ませ、
それをできるかぎり我慢できないもの
たらしめるのがもっとも得策であることになろう。
なにしろ、おそらくその結果は
革命に行きつくだろうからだ。
若きマルクスが、
自由の領域を真正な
つまり疎外されていない労働のがわに置いたのにたいして、
後期マルクスが自由の領域を
すっかり余暇のうちに移してしまったというのは、
興味深い点だ。
(P.69)
資本主義が搾取が前提なのは
あらゆる社会の構図を見れば間違いありません。
問題は、既得権者は絶対に手放さないし
人が死のうが、国が貧しかろうが、
カネさえ手に入れれば何とも思わないでしょう。
そんな経済システムが
未来永劫続くとは思えません。
とはいえ資本主義以上に
素晴らしい経済システムが存在するわけでもないです。
資本主義の進化。
ネオ資本主義、ポスト資本主義。
そこを追い掛けないと
資本主義はカネを得るために
今後もずっと人を殺めるような気がします。
自由民主主義の根本アイディアは、
機会の根本的な均等が保証されるべきだということだ。
完全な機会均等が実現した社会ができたなら、
世代間の社会的流動性が
促進されるものと期待したくなるかもしれない。
だが、そうはなっていない。
さまざまな労働市場の統計を見るなら、
そこにはいくつかのパターンが認められる。
子どもたちは自身の親たちの仕事のキャリアを再生産し、
肉体労働者であった両親は、
肉体労働の職を得て肉体労働者となる子供をもつだろう。
(中略)
もちろん、少なからぬ例外はある。
(中略)
だが、一般的に見るなら、
労働分野における社会的階層分化は
私たちがかつて期待したほどには
変わっていないというのが実情だ。
(P.98~99)
労働の歴史を学ぶと
かなり良くなっているのは間違いありませんが
まだまだ改善の余地があるのも確かです。
「資本家」vs「労働者」という構図自体を変えないと
これ以上は無理なのかもしれません。
果たして、人類は何を選ぶのか?
どういう方向に足を踏み出すのか?
全般的な生産力はこの五十年間で倍増したわけだから、
原理的に言うなら
私たちは一日の半分だけ働けばよいわけで、
それだけで五十年前の人びとと
まったく同じだけの生活水準を維持できる。
だが、その生活水準で
私たちがハッピーだと感じることはまずないだろうから、
私たちはいっそう働かねばならない。
(P.106)
「私たち」は決して万人を指しているわけではなく
発展途上国の「私たち」が含まれていない。
日本で例えるなら
これ以上の経済成長は要らない
江戸時代に戻ろうという論調があるけど、
戻りたくない人も少なくないでしょう。
一般論で捉えると
そこに含まれない人を阻害することになりかねません。
なにもかも擲って仕事に専心すると、
娯楽すら愉しいものではなくなる。
リラックスすることが命令と化すと、
人生はただそのひとつの関心事である
仕事の楽しみを失って、
侘しいものとならざるをえない。
(P.128)
主導権を持つということに限ります。
仕事が何よりリラックスという人もいるし、
レジャーがあってこその仕事という人もいます。
自分で自分の道を選び、
常に変えることができるというのが
これからの時代の働く環境ではないでしょうか。
仕事における自己実現とは、
自己がその専門技能をしかるべく超えたところにまで
「アップグレードされてゆく」ことだ。
当人のトータルな存在としての自己は、
改善されるためにある。
(P.144)
昨日より今日、今日より明日。
この継続こそがキャリアですし、
その延長線上にしか自己実現はないですかね。
貨幣の発展における重要な一歩は、
それがもはや客体としての
物に支払われるばかりではなく、
労働にたいしても支払われるようになったときだ。
この結果、労働それ自体が商品のひとつとなった。
そして、そればかりでなく、
それは貨幣という観点からの
人びとの時間間隔の現代的な進化へ向けての
最初の一歩ともなった。
(P.161)
なるほど。
貨幣が労働を矮小化して
時間が労働を縛り付けているのですね。
良くも悪くも超現実として捉え
そのなかでどう働くか?生きるか?を
私たちは考えて行動すべきでしょうか。
私たちが人生のなかの
これほどまでの時間を費やしておこなっていることがらが、
ある意味で私たち自身にとって
重要なことがらでないわけがない。
あきらかに仕事は、
たんなる金銭的な必要以上に
必要ななにかをかなえてくれるものだ。
私たちの人生に意味を提供するという点で
仕事が果たす役割は、はるかに根本的なものだ。
(P.169)
ここからが個々の仕事論。
なぜ?何のために働くの?
この追求がない日々では
キツイばかりになってしまいそうです。
消費が欲求に駆動されているばあいには、
そこに限界が存在するが、
それが欲望に駆動されているばあいには、
その消費は無際限となる。
(P.187)
欲求と欲望。
現代社会は欲望まみれと言えるかもしれません。
だから金持ちでもさらにお金を欲するし
企業は永遠に拡大を求めます。
それが資本主義とも言えますが
そろそろ限界が見えてきていますので、
果たしてこれからどうなるものやら。
報酬を得るために仕事を求める。
この点では、
文明諸国のほとんどあらゆる人間が
いまや似たりよったりの事情にある。
彼ら全員にとって
仕事はひとつの手段であって、
それ自体は目的ではない。
だから彼らは、
その仕事がゆたかな実入りを
もたらすものでありさえすれば、
仕事の選りごのみなどしない。
ところで、働いても喜びが得られないくらいなら、
むしろ死んだほうがましだと思う
一風変わった人間もいる。
それは、例の選りごのみするひとたち、
なかなか満足しないひとたちであり、
彼らにとっては、
仕事それ自体が
どんな収益にもまさる収益でないなら、
ゆたかな実入りもなんのたしにもならないようだ。
(P.188~189)
仕事とは何か?に対しての正解は
私たち個々の内側にあるのでしょう。
そして私たちがどう解釈して
いかなる仕事ぶりを発揮するかによって
充実感や満足感には
雲泥の差が出てきそうです。
グローバリゼーションは、
この先も先進国における
いくつかの仕事の消滅を招きつづけるだろう。
だが、重要なのは
ただ失われた仕事の総量を嘆くことではなく、
いかにして新たな仕事を創出するかだ。
(P.203~204)
栄枯盛衰ですね。
別にグローバルじゃなくたって
確実に栄枯盛衰は来るのだから
目の前の現実に対処するのがいいでしょうか。
評価
おススメ度は ★★★★☆ といたします。
本書は「働くとは何か?」という
現代社会だからこそ必要な根源的な問いに、
多角的な視点から真摯に向き合う一冊でした。
労働と自己実現、資本主義との関係、
人生における仕事の意味
──どれも現代を生きる私たちにとって
無関係ではいられないテーマばかり。
働く意味に迷ったとき、
必ず立ち返りたいそんな本でした。
ちょっと難しいところもありましたが
読んでおいて良かったです。
それでは、また…。
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