おはようございます。
読書がライフワークになっている
医療業界のコンサルタント
ジーネット株式会社の小野勝広です。
社会に出ると
勉強のできる人と、賢く生きている人は、
まれに両立しますけど、
わりに二分化することに気づかされます。
何ごとも基礎知識は大事ですが、
それをいかに応用するかは
もっと大事なことだと思うんですね。
個々それぞれの人生ですし、
さまざまな考え方の人が存在するからこそ
この世は面白いとも言えますが、
なぜだか自分が損する決断を
何度も繰り返している人もいますね。
不思議なことに
こういう人は自分の過ちを認めません。
別に、それはそれでいいのですけど、
何だかもったいないなと思います。
今回ご紹介する書籍は、
【 反知性主義者の肖像 】 です。

本書をピックアップした理由
『 反知性主義者の肖像 』
内田 樹 文春文庫 を読みました。
反知性=バカと言ってもいいでしょうか。
現代社会では残念ながら
反知性的な人が増えているように感じます。
歴史や、世界や、哲学から学ばず、
感情的に都合のよい情報に流されて、
間違った判断を下し続けて
気づいた時には大失敗する。
そんな反知性を
私の敬愛する内田樹さんが
どう語っていくのか?
とても楽しみにしながら
読み始めたのでした。
目次
Ⅰ 「生きている気」がしなくなる国で
Ⅱ ゆらぐ国際社会
Ⅲ 反知性主義と時間
Ⅳ 共同体と死者たち
感想
率直に申し上げて、
いつもの内田節がさく裂していましたし、
大きな学びを手に入れることができました。
本書は、現代社会を生き抜くために必要な
「サバイバル戦略」を授けてくれます。
反知性的な人を見抜き、
どう自分を知性的な人間にするか。
もうこの1点だけで大変に有用です。
私などが四の五の言うよりも
是非、内田さんの主張を知っていただきたいです。
それでは恒例の私がグッときた箇所をご紹介いたします。
私たちの社会は
「自分がふるう暴力が正当化できると思うと、
攻撃性を抑制できない人間」を一定数含んでいる。
彼らがそのような人間であるのは、
彼らの責任ではない。
一種の病気である。
人間は「今なら何をしても処罰されない」という
条件を与えられたときに
どのようにふるまうかを見れば正味の人間性が知れる。
これは私の経験的確信である。
(P.18~19)
この程度であれば
知性の欠如だったり、
人格の問題レベルなので
まだいいと思います。
最近では
処罰されるのがわかっていても
自分で自分を制御できない人も増えています。
これをどう説明すべきなのか。
こういう人とどう接するべきなのか。
やはりそっと離れるしか方法はありませんね。
「非常事態というのは
なかなか起きるものではない」という
蓋然性についての判断としては適切だが、
自分の個人的な感覚や
知見の客観性を過大評価するという点では適切ではない。
こういう人の対極に、
ふだんからものごとを
複眼的にとらえる習慣を持っている人がいる。
自分が現認したことは
あくまで個人的、特殊な出来事であり、
そこからの推論は一般性を要求できないという
知的節度を保つことのできる人である。
彼らは、いわば日常的に正常性バイアスの装着と
解除を繰り返していることになる。
こういう人は非常時になっても
「驚かされる」ということがない。
(P.36~37)
たぶんこれは知性の問題ではなく、
生き方の問題であり、
自然と上手に付き合っていれば
社会的な正常性バイアスは見極めがつくと思う。
つまり生命の捉え方であり、
いわゆる地に足のついた人生を歩んでいるか、
人間の本質の問題ではなかろうか。
リスクヘッジというのは
「無駄になるかもしれないけれど、
危機的状況のときには
なくては済まされないもの」を
備えておくことである。
いわば「丁半ばくちで
丁の目と半の目の両方に張る」ことである。
何が起きても破局的事態にはならないが、
何も起こらなければ半分が無駄になる。
だから、リスクヘッジは
「選択と集中」戦略とひどく相性が悪い。
(P.46)
インフラこそこうあるべきと思いました。
エリートは計算は得意だけれど
答えのない問いには弱いんですよね。
本物の知性は、リスクヘッジを
当然のごとく実行します。
こういう人たちは常にリアルな現場を見て、
適切な判断を下すような気がします。
「後手に回る」というのは、
まず「問い」が与えられ、
それに対して適切な「答え」をすることが
求められているというスキームで
ものごとをとらえる習慣のことである。
そんなことを言うと驚く人がいると思うが、
そうなのである。
つまり、私たちは子どもの頃から
「後手に回る」訓練をずっとされ続けているのである。
(P.63)
そうか、これが日本社会停滞の要因か。
教育の問題は大きいですが、
大人になっても
受けた教育の影響が残り続けるというのは
それはそれで問題ですね。
私たちは「成熟」すべきだし、
そのために知性と教養を身につけるべきですね。
危機的状況に際会したときに、
国益を最大化するためには
どうすればいいかを自分に問いかけて、
答えを得ることができるからです。
法律を読んだり、
誰かに訊いたりしなくても、
「公共の福祉」とは何かがわかる。
自己判断で集団にとっての最適解がわかる。
それが「公民」と呼ばれる人たちであり、
それを私は先ほどから「大人」と呼んでいるのである。
(P.89)
自分のことしか考えない大人が多いだけに、
本当に公民が求められる時代ですね。
まずは立場のある自己中心主義者を
何とかしなければならないでしょうか。
自己利益の最大化を真剣に考量しようと思えば、
ある程度の長さのタイムスパンの中で、
出来事の意味を吟味する必要がある。
短期的には「うまみ」があるが、
長期的に見ると「間尺に合わない」ということは
いくらでもある。
だから、真に利己的な人間は
「長期的に見て、間尺に合うか、合わないか」を思量する。
だが、「今ここで自分が触れているものに支配される」人は
「長期的に見て」ということができない。
(P.144)
「今だけカネだけ自分だけ」。
こういう人間が増えれば増えるほど
人類は窮地に陥ることでしょう。
それが現代社会の病巣と言えるでしょうか。
創業者ならわかるんです。
それだけリスクを背負い、
自分で立ち上げたのですから。
しかしサラリーマン社長に
その価値はありません。
億単位の報酬は不要と思います。
いずれ、「個別の事案についてはお答えを差し控える」とか
「仮定の質問には答えられない」とかいう定型句を
子どもまでも真似するようになるだろう。
(P.147)
説明責任の放棄は
「公」の職業に就く人間はしてはいけません。
この発言をする政治家や官僚は
すぐに退職してもらっていいと思います。
個別の事案について答えたり、
仮定の質問にも答えるのが仕事でしょう。
まあ野党のくだらない質問にも
問題は大ありだとは思うけれど、
不誠実な対応を国民は許してはいけないと思う。
過去のことは覚えていないし、
未来のことは考えない。
これは現代日本人そのものである。
問題は、なぜ日本人はここまで幼児化したのかである。
(P.152)
内田さんはこの要因を日米関係と分析しているけど、
私は「高齢者の引退」にあると思う。
医療が発達して、
生き永らえるようになったおかげで
本来、引退すべき人が
いつまでも引退しない。
もし65歳で、すべての人が引退をするとしたら
日本社会は劇的に良くなると思う。
組織が何を創り出すかよりも
組織がどう効率的に管理されているかの方が
優先順位の高い課題だと
日本人は信じ込んできたのである。
(P.186)
ひと昔前の大企業病でしょうね。
政治献金をはじめとして
この国は大企業を優遇し続けてきた結果が
若者が希望を持てない社会です。
戦後の右肩上がりの社会を創りあげてきた
先人たちに顔向けできない…。
知性というのは個人においてではなく、
集団として発動するものだと私は思っている。
知性は「集合的叡智」として働くのでなければ
何の意味もない。
単独で存立し得るようなものを
私は知性と呼ばない。
(P.193)
結果を見れば一目瞭然ですね。
私利私欲という欲望に絡めとられた人と
後世のために何かを残した人。
前者は自然の摂理に逆らい、
後者を生きにくくする。
万死に値する恥ずべき人間です。
社会性、公共性とは
今ここにおける賛同者の多寡によって
計量されるものではない。
そうではなくて、過去と未来の双方向に向けて
時間的に開放されているかどうか、
それが社会性・公共性を基礎づける
本質的な条件だろうと私は思う。
「協働」という言葉に私が託したいのは、
そのような「存在しない人々」をも
フルメンバーとして含む、
時空を超えて拡がる共同体の営みのイメージである。
(中略)
反知性主義者たちにおいては時間が流れない。
それは言い換えると、
「今、ここ、私」しかないということである。
(P.209・211)
本当のその通りと賛同します。
「今、ここ、私」と
「今だけ、カネだけ、自分だけ」という
こういう人を生み出してきた教育が
失敗の根本的要因でしょう。
価値観が狭すぎました。
テイカーばかりの大人たちが
子どもたちの未来を奪ったのです。
きっと数少ないギバーの回りには
希望を持つ人が少なくないでしょうに。
自分の言っていることを信じていない人間は
自分の言っていることを信じている人間よりも
論争的な局面では
しばしば有利な立場に立つという事実である。
(P.222)
嘘つきは強い。
でも時間が経つとすべてはバレて
大きな恥をかく。
でも、その時にはすでに死んでいる。
これも人の世か…。
いい年になり、
そこそこの社会的威信を獲得した人間は、
つい自己評価が甘くなる。
自分は成功者だと思うと、
謙虚さがなくなる。
新しいことを学ぶ意欲が減退する。
自分の非を認めなくなり、
人の話に耳を傾けることが面倒になる。
総じて、「いやなやつ」になる。
これは構造的なことなので避けがたい。
おそらく、その増長を諫めるために、
ふと目を上げるごとに
読んだことのない大量の書物の背表紙が
目に入る仕掛けが考案されたのではあるまいか。
読んだことのない本は私たちにこう告げる。
「お前はこの本を読んでいない。
著者の名を知らない。
このような知的・芸術的領域があることさえ知らない。
ついに知ることのないまま死ぬのだ。
おのれの無知を恥じよ」と。
(P.245)
老害になるか否か。
それは書物へのスタンスだったり、
学びを止めるかにあると思います。
勝つとそれが成功体験になる。
人は成功体験を手離すことができません。
現に勝っている以上、
勝ち方を変える必然性はない。
でも、「勝ったせいで成長が止まる」
ということがあるんです。
そして、たぶんそのことの危険に本人は気づいていない。
権力が手に入り、財貨が増えて、
社会的威信も高まるばかりという人には
変わる必要がありません。
でも、これが落とし穴なんです。
だって、生命の本質は変化することだからです。
変化を止めた人は生物学的には生きていても、
人間的には死んでいる。
(P.301)
まさに反知性主義者ですね。
たぶん周りにこういう人は必ずいるでしょう。
10年後に没落している人も多いでしょうね。
そして我が国はまさにこのパターンに
陥ってしまっているのですよね。
複雑なことを複雑なまま扱い、
正解がない問いを
正解がないまま考え続けるということに
耐えられず、
単純化して、結論を下して、
安心したい。
(P.310)
う~ん、これも反知性と言わざるを得ません。
わからないことをわからないまま保留し、
いつかわかるために学ぶというのは
知性の最も足るものですものね。
評価
おススメ度は ★★★★☆ といたします。
内田節を堪能いたしましたし、
とても面白く、そして勉強になりました。
普通に考えれば五つ星でいいのですけど、
散々内田さんの著書を読んできた私にとっては
もっと大きな期待をしていますので
四つ星くらいでいいかなと思った次第です。
本書を読んで、
本物の知性とは何か?
そして反知性をいかに見破るか?
このノウハウは何となく身についた気がします。
それでは、また…。
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