ある読書好き医療コンサルタントの「書評」ブログ!

年間60冊以上の本を通じて、人生や社会の構造を読み解いています。 読書感想にとどまらず、キャリアや人生に彩りを与える言葉を綴っています。読書好きな方と繫がりたい!

私とは何か さて死んだのは誰なのか

 

おはようございます。

 

読書がライフワークになっている

医療業界のコンサルタント

ジーネット株式会社の小野勝広です。

 

私はもう50代も半ばを過ぎているのですが、

読書ができる人で本当によかったと

しみじみ感じることが頻繁にあります。

 

もともとの素質がないので、

読書をしない人だったら

どんな人間になってたんだろうと

若干怖くもあります。

 

また哲学に対して、嫌気がなく、

わりと自然に突っ込んでいけることも

とてもよかったと思います。

 

考えるということが

日常的に習慣化できました。

 

理解度は高くなくとも、

それなりの生存戦略を身につけることができました。

 

今回ご紹介する書籍は、

【 私とは何か さて死んだのは誰なのか 】 です。

 

 

本書をピックアップした理由

『 私とは何か さて死んだのは誰なのか 』

池田 晶子 講談社 を読みました。

 

池田さんの著書は、

今までにも読んだことがありますが、

もっともよかったのは下記です。

 

ka162701.hatenablog.com

 

哲学の入門書としては

最適ではないかと今でも思っています。

 

哲学に興味を示して、

いきなりニーチェやカントやらヘーゲルでは

さすがにハードルが高いです。

 

まずは池田さんを読んで、

その先に偉人に手を出すのがいいでしょうか。

 

本書は「私とは」です。

 

やはりここからだよなと思い、

久しぶりに池田さんを読むことにしました。

 

目次

1 問いの始まり

2 はてなの深度

3 ロゴスのクロニクル

4 どちらであるにせよ

5 自由を求め、問いはつづく

付録 空を飛べたら

 

感想

とても、とても有意義でした。

大変に勉強になりました。

 

池田さんの語り口は、

いわゆる「ザ・哲学者」ではなくて、

哲学はそんなに肩肘を張るような学問ではない。

 

むしろ「日常」や「生活」や「暮らし」のなかに

自然と含まれているというスタンスが

非常に好感が持てて、

私自身、さらに哲学を学ぼうという気にさせてくれました。

 

本書では、

難解な哲学用語なんてほとんどなく、

しかも2ページとか、4ページくらいの分量で

さまざまなテーマを取り上げていますので、

哲学の初心者でも読みやすいと思います。

 

それでは恒例の私がグッときた箇所をご紹介いたします。

 

哲学は「お勉強」することでなく

自分で考えることだと、著者は繰り返す。

まさに、その通りだ。

哲学は、「お勉強」になった刹那に、

哲学でなくなると言っていい。

しかし、「自分とは何か」という

自分にとって最も「切実な」はずの問いを、

自分で考えるより先に

他人の考えの中へ答えを求めにゆこうとする

ソフィーのこの態度を、

「お勉強」と呼ばずに何と呼ぶべきか。

いくら語り口を甘口にしてみたところで、

結局やっぱり「お勉強」として

食わせようとしているという基本的な姿勢は、

ごまかせない。

(P.22)

 

これは池田さんが

いち時期、話題になった「ソフィーの世界」を

否定的に見ている箇所です。

 

私も若い頃にソフィーの世界を読んで、

そこから哲学への関心を深めた一人なので、

そんなにダメなのかな?とは思いましたが、

確かに哲学をわかりやすく、簡単にしてしまうことで、

きっと弊害はあるような気はします。

 

ちなみに私が哲学本を読むのは、

そこに「わからない何か」があるからです。

 

読後も何もわかっていないというのが

とても望ましく思っています。

 

「私とは何か」と問うているところの

その<私>こそが問われているのだから、

あれこれの属性は、

もとから答えにはならないのである。

そうでなければ、

<私>を喪失したと思い悩んでいるところのそれ、

それはいったい何ですか。

問いはかくまで明瞭だから、

人は考えるのだ。

考えざるを得ないのだ。

(P.24)

 

永遠の自分探しとか、

さまよい続ける自分探求というのは、

本当に堂々めぐりになるだけで

あまり意味をなさないように思います。

 

私がどうあろうが、

私たちは生きるしかないのですから、

悩みは悩み、考えは考えとして、

生き延びるために行動しなければなりませんね。

 

哲学書を読むとき、

まず念頭に置いておくべきことは、

命名と定義に惑わされるなということ、

哲学者自身でさえ、

それは本意ではなかったに違いないのだから、

という共感に似た信頼である。

(中略)

そんなものにこだわらずに

読み進んでいくうちに次第に馴染んでくる

そのリズムで読むべきだ。

ひとつひとつの言葉ではなく、

それらの底に流れる

大きな意味の流れで読むべきなのだ。

(P.37)

 

私が哲学書を読むスタンスは

完全にこのような感じですので、

池田さんのお墨付きをいただけたようで

ホッとしました。

 

わからないものは

わからないままに保留しておくことも大事です。

 

わからないものを

無理にわかろうとしたり、

わかった気になるのは避けたほうが無難ですよね。

 

哲学は真理の客観的な学問であり、

真理の必然性の学問であり、

概念的認識であって、

いかなる意見[私念]でもなく、

意見の綴り合せでもない。

(中略)

ところで、意見に対立するものは真理である。

真理とは、その前に出れば

意見が色を失うといったものである。

しかし哲学史について、

ただ意見だけを求める連中、

或いは哲学史において

ただ意見だけが見出さるべきだと

一般的に考えている連中は、

真理なる言葉に出会うと顔をそむけるのである。

(P.42)

 

哲学は私たち人類にとって

とても大切な学問のはずなのに、

今ひとつ広がりを見せないのは、

これが理由でしょう。

 

真理を弄ぶ専門家。

 

一般人にわからせないことで

専門家であることを維持しようとする。

 

こんなだから

全体のパイが縮小しているように見えます。

 

世界精神は急ぐには及ばない。

いずれ自ずから決まることだ。

「なるようになる」とは、

主体性の放棄ではなくて、

必然性への信頼なのだ。

有限の生命の私たちは、にもかかわらず、

無限の精神の王国を

それぞれの中に持っているということ、

このことさえ知っているなら、

流れに逆らわずに舵を取る術は、

自ずから体得されるに違いない、

(P.55)

 

すごいな、そうだよな、

資本主義やら民主主義なんて

人類の歴史のごく一部だし、

そんなちっぽけなイデオロギーに翻弄されてはいけない。

 

四半期とか、年度とか、

そんな小さなものよりも、

もっと大事なものがあるはずですよね。

 

しかし、「自由」というのは、

自らこだわるところがないから自由というのであろう。

嫉妬と悪意にがんじがらめのそんな姿の、

どこが自由だというのか。

やはりこれはおかしい。

(P.99)

 

わかる。

自分は自由でなければならないと考えた時点で、

すでに不自由なんですよね。

 

自由はもっと柔らかく、

身近にすでにあるものだと思う。

自分のつまらない考えが自由を失わせている。

 

老いるということは、

外見やライフスタイルの問題ではない。

それは完全に、内容の、

精神のありようのことなのである。

何を価値としてその人はそこまで生きてきたか、

その時それは隈なく現れるのである。

その意味でそれは恐いことではあるが、

面白いことでもある。

人生の作品は、

他でもないこの自分だということだ。

(P.101)

 

薄っぺらい人生を歩んで、

カスハラしかできない老人が少なくない時代だけに、

しみじみと感じました。

 

カネと権力しか頭にない老人は

近いうちにしっぺ返しが来ることでしょう。

だって世の中にはもう余裕がないのですから。

 

外なる規範としての道徳は、

常に、「べき」とか「せよ」とか

「ねばならぬ」等の規則や戒律の形をとる。

したがって、それは行為する者には

必ず強制や命令として感じられる。

これに対して、内なる規範としての倫理は、

たんに「そうしたい」という自らの欲求である。

(P.135)

 

ストンと腑に落ちました。

 

子どもの頃は道徳が必要ですけど、

大人になったら道徳ではなく「倫理観」。

 

現代社会に必要なのは、

確実に「倫理」ですね。

 

そもそも国家や社会というものはつくりごと、

つまり観念の中にしか存在しないのです。

その国家に面倒みてもらおうとか、

よりよい生活を求めるのが勘違いです。

私は、よりよい生活が人生の目的だとは思いません。

何のために生きるかを考えることこそが大事なことです。

国の指導者は、哲学を持たなければ国民を指導できません。

何ゆえに共同体ですか。

国民も指導者もこの問いに自覚的でありたいものです。

(P.147)

 

政治家に限らず、

どんな小さな組織やグループでも、

リーダー層には絶対に哲学が必要だと私も思います。

 

まして、これからのAI時代は、

哲学なきリーダーはAIのしもべになるのではないでしょうか。

 

常に「なぜ」という問いを立てなければ、

時代の流れに翻弄されるような気がします。

 

人は必ず死ぬ。

遅かれ早かれ、必ず死ぬのである。

生と死は同じものだ。

誰だって明日には死ぬかもしれない。

そんな当たり前のことすら、

人は気づかなくなってしまっている。

カネ儲けにワッショイワッショイしている人たちも、

明日には死ぬとわかったら、

そんなことやっていられるわけがない。

命はお金では買えないことに気がつくはずだ。

(中略)

本当に幸福になりたいなら、

「階級社会」だの「格差社会」だのと、

他人が決めた価値観に振り回されていてはダメ。

幸福とは何かということ、

一度自分でしっかり考えることです。

(P.149)

 

本当におっしゃる通りだなと思います。

その価値観、自分のものなの?と問わねばなりません。

 

世の中の風潮に何となく乗ってしまっては、

強烈な風に吹き飛ばされてしまうと思います。

 

要するに、時代や社会を、

つまり他人の言うことやすることを、

気にしなければいいだけなのです。

他人を気にして、

他人と幸福を競おうとするから、

人間は不幸になる。

生きているのは自分なのだ、

自分だけの問題なのだと気がつくなら、

幸福になるというのは、

そんなに難しいことではない。

じつに清々しい心持ちで、

人生の日々を過ごすことが

できるのではないでしょうか。

(P.152)

 

ここなのは最近の若い子のほうが

敏感で、体感的にも理解できるかもしれません。

 

高度経済成長を味わってしまった人は、

右肩上がり幻想しか知らず、

本当に必要な問いを失っているように見えます。

 

足るを知る者は富む。

強欲な人間は必ず破綻するのではないでしょうか。

 

生きなければならないからと君は言う。

では、「なければならない」と命じているのは誰なのだ。

それは君が君に命じる以外あり得ないではないか。

そうでなければ、

誰が君の代わりに君の死を死ねるというのか。

君の死すなわち君の生は、

常にすでに絶対自由に君のものではないか。

にもかかわらず君は、

「なければならない」「不自由だ」と言う。

誰に不平を言っているつもりなのか。

生きたくなければ、死ぬがよい。

しかし、君は、死にたくない。

それなら黙って生きなさい。

(P.184)

 

すべては自分次第であり、

黙って生きるというのは正解だと思います。

 

生きていれば、

いろんなことが起こるけど、

自分次第でどんどんよいことが増えていく。

 

そうするために生きるんだ。

 

しかし、「これは、何か」という、

切にして悩ましい問いの、

立ち上がりを自ら抑えることもできず、

問い、なお問い、さらに問い、

問いはいよいよ内に親密に、

問いを問う問いと課したその問いが、

その時が問うを問う、

「これは、何か」。

(P.208)

 

哲学を好む人の人生とは、

問い続けて終わるのでしょう。

それでよい。

 

評価

おススメ度は ★★★★★ と満点といたします。

 

私とは何か?という問いに、

すらすら答えることができる人は

そんなに多くはないと思います。

 

答える必要があるのかもわかりませんし、

たどたどしく答えたほうがいいこともあるでしょう。

 

私にとっては

考えるきっかけが散りばめられている

良書であると感じられました。

 

それでは、また…。

 

 

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