おはようございます。
読書がライフワークになっている
医療業界のコンサルタント
ジーネット株式会社の小野勝広です。
資本主義は腐敗し、
膨張主義をやめられず、
戦争すら辞さないイデオロギーです。
確かに世界を発展させる
原動力になった時期もありますが、
すでに限界が訪れているように思います。
しかし資本主義社会で
甘い汁を吸っている人間が存在する限り、
変わることはないでしょう。
だからこそ角度を一度ずつでも変えていき、
資本主義になりかわる新しい経営システムではなく、
ポスト資本主義のように
少しずつ少しずつ変えていくのが
よいのではないかを私は考えています。
それしかないかと。
今回ご紹介する書籍は、
【 哲学は資本主義を変えられるか
ヘーゲル哲学再考 】 です。

本書をピックアップした理由
『 哲学は資本主義を変えられるか
ヘーゲル哲学再考 』
竹田 青嗣 角川文庫 を読みました。
実は何かで竹田青嗣さんのことを知り、
一度著書を読んでみたいと思ったのです。
Amazonや楽天で調べたところ、
私が目当てとしていた本は売っていなくて、
他にどんな著書があるんだろうと調べていたら
本書を見つけました。
おお、こっちのほうがいいんじゃないか?と思い、
即購入して、少し積ん読本棚で眠っていました。
前述したように
私は現在の資本主義には疑問しかなく、
これは本当に変えていかねば
「人の心」が荒れまくるのではないかと思っています。
いや、現実的にすでに相当に荒れているように思います。
哲学が資本主義を変えられるか?
普通に考えれば、
そんなことは無理と言わざるを得ないでしょうけど、
逆に言うと、「哲学」しか抗えないか?
そんなことを考えたりしながら、
学ぶ気満々で読み始めたのでした。
目次
第一章 哲学の基本方法
第二章 近代社会の基本理念
第三章 近代国家の本質
第四章 社会批判の根拠
第五章 人間的「自由」の本質
終章 希望の原理はあるか
感想
読後、「哲学は資本主義を変えられるか」は
正直言ってわかりません。
しかし哲学的に資本主義を考えることで、
資本主義の膨張を止めなければならない。
そう感じましたし、
そうしなければ社会は窮屈すぎます。
どんなイデオロギーにも、経済システムにも、
長所もあれば短所もあるわけですが、
すでに資本主義の長所は
もう使い古された印象があり、
むしろ短所ばかりが目立つように見えます。
いまを生きる私たちは、
このままで良しとするのか。
後世にいまのシステムを残して
本当にいいのだろうか。
非常に悩ましい問題であり、
人類の生存にも関わる重大事ではないかと思います。
それでは恒例の私がグッときた箇所をご紹介いたします。
哲学の基本方法を、
「概念」「原理」「再始発」という
三つの基本ルールで示すことができる。
この哲学の方法には功罪があるが、
最大の意義は、
概念や原理を使うことによって、
世界説明が「共同体」の限界を超えて
「普遍性」をもつにいたるという点である。
(P.17)
この普遍性自体も、
突き詰めれば人それぞれであり、
そんなに簡単ではないのだろうなと思います。
私たちは常に他者と共生しているのであり、
それぞれの思惑が一致しない場合は、
基本ルール自体が意味を成さないのではないでしょうか。
なぜ戦争が起こるか?
それまであった”理論”は、
たとえば「神の御心」であるとか、
敵対する社会(共同体)の神は邪悪な神であるとか、
戦争は自然災害のようにやってくる、
といったものだった。
現在でも、国家同士の利害対立や
権力者の欲望だとか言われたりする。
しかし核心をついたものは言えない。
彼は言う。
さまざまな問題について
「その原因と本来的な構造を知らない者は
慣習と洗礼を自己の行為の法則にしがちである」。
戦争は、神の摂理とも無関係である。
はっきりとその原因があり、
それを「原理」としてつかむことができる。
そして重要なのは、
その「原理」を見出すことは、
同時にそこに戦争を抑制する原理を
見出すことでもあるということだ。
(P.39)
少し長いですが、
これだけ戦争の悲惨さを知りながら、
人間のエゴと欲望のために
一向に戦争はなくなりません。
本当に人類は馬鹿だなと思いますけど、
結局どこかに戦争をしたい奴がいれば、
避けることはできないのですよね。
早く戦争の「原理」を発見し、
抑制して欲しいものです。
こうして、人間は「自由」という
反自然的欲望を本性とするゆえに、
「自由」を求めてどこまでもせめぎあい、
それが普遍闘争状態を呼び、
その結果が、人間社会の普遍的な支配構造となる。
そもそも奴隷労働は
「死の畏怖」によってしか成立しない。
そして「死の畏怖」という
人間精神の実存的本質に結びつけて
基礎づけし直している、と言える。
(P.62~63)
自由というのは、
私自身も価値観として大切に思っていますし、
事業においても大事にしています。
しかしその自由を大事にすることが、
他の人の自由を奪ってしまうのですから、
すでにこの構図自体が戦争を止められない
人類の複雑さなのかもしれません。
このような理由で、資本主義は、
その本性として、
持てるものをますます富ませ、
持たざるものを
いっそう絶対的な貧しさへと押しやるような原理、
つまり富の格差拡大の原理をもつ。
資本主義のメカニズムは、
見てきたような”搾取”による剰余価値と、
資本家同士の生産競争においてもつため、
このほんしょう的な傾向を克服することができない。
(P.82)
緩やかな資本主義ならまだしも、
グローバリゼーションのような
急激な弱肉強食は社会が持たないと思われます。
資本家の横暴は暴かれて、
窮地に立たされることも多く、
次代は格差を許容できなくなりそうです。
アメリカさんだけは別ですが、
かの国でも鬱憤は貯まっているように見えます。
「法」とは何か。
「法」は、一つの制度の中でみると
支配の手段のように見えるが、
歴史のプロセスの中で見れば、
その本質は、各人の「自由」が
徐々に相互に承認されてゆく重要な一過程である。
そして、市民社会の「法」にいたってそれは、
人格とその自由の相互承認という本質を
いよいよ露わにする。
(P.110)
法には限界がありますし、
必ずしも正義の執行にはなっていません。
取りあえずのルールと言ったところでしょう。
ただ願わくば、どれだけの年月がかかっても、
今よりも少しよい法になってくれることを
心から願っていますが、
残念ながらそうはなっていないように見えます。
近代国家は、
個人が他人の自由を侵害しない限りで
自由に「私利私欲」を求められるように配慮し、
保証する。
それはルールに基づく自由ゲームとなる。
だがこの自由ゲームがそのまま放置されれば、
さまざまな矛盾が現われ、
市民社会は自らの矛盾を修正する力をもっていない。
そこで「国家」は、人々に、
伝統支配のような国家へと
強制的な忠誠を求めるのではなく、
社会全体の普遍的な結合によってはじめて
各人の欲望の自由が可能になっていることを知らしめ、
そのことで人々が「人倫」(社会的倫理)の重要性を
理解するように配慮しなくてはならない。
(P.118)
他人の自由を侵害しない限り…の話です。
昨今では平気で他人の自由を侵害して、
私利私欲を追求する人が増えてしまっていますので、
とても近代国家と言えるようなものではなく、
モラルもあったものではありません。
私たちは古代や中世に戻ってしまうのでしょうか?
ある種の学者は、
生物と無生物のあいだに
厳密な区分の定義をおくことは不可能だと主張する。
別の論者は、生と死のあいだにすら
決定的な区分を引けないと言う。
たしかに、誰も昼と夜のあいだに
決定的な区別戦を引きことはできない。
しかしわれわれは、そうすることが
われわれの生にとって必要だと考えるときには、
いつでも区分線を引いている。
(中略)
わたしは近代社会とそれ以前の社会の哲学的な区分を、
現代社会の課題にとって不可欠なものと考える。
(P.127~128)
区分が引けないのに引いてしまう。
その結果としての混乱。
区分する「基準」とは何か?
絶対的な正解があるとは思えず、
哲学に頼るしかないような気がする。
人間はこのようにたえず「欲望」と
その実現の「条件」のうちに規定されながら、
その主体的判断は、単なる衝動の満足を超えて、
つねに社会の関係のうちでの「自己配慮」に、
つまり自分の「幸福」への配慮に向けられる。
多様な欲望と条件の選択が、
「幸福」という自己配慮によって支えられること、
これが人間の「自由」の第二の規定である。
さらに重要な点がある。
「幸福」は、
人間の生の「目的」を一般的に表示する言葉だ。
近代以前では、多くの場合「幸福」は、
物語の主人公が求めてつかむものにすぎなかった。
しかし近代社会は、
各人がそれぞれの「幸福」の可能性を求めて
生きる社会となる。
ここで人はいわば「他者の欲望」を欲望する。
つまり、誰もが、
一般的に人々が「幸福」と考えるものを求める。
他者が欲望するもの、
それが「幸福の一般表象」である。
しかしまた人間は、その意識の本性によって、
単に「幸福」の一般性を欲望するだけでなく、
一体何が自分の「ほんとうの幸福」なのかを
問う存在となる。
(P.200)
少し長文ですが、
欲望、条件、幸福、自由、目的など
私たちはその定義を再考したほうがよい
人生における重大な要素を
わかりやすく説明していると感じました。
幸せって何だっけ?
これは常に振り返る必要があるのかもしれません。
ここでわたしが、
哲学的な原理として示そうとしたことは二つだ。
それがどれほど多くの矛盾を含もうとも、
現代国家と資本主義システム
それ自体を廃棄するという道は、
まったく不可能であるだけでなく、
無意味なものでしかないこと。
そうであるかぎり、現在の大量消費、大量廃棄型の
資本主義の性格を根本的に修正し、
同時に、現代国家を「自由の相互承認」にもとづく
普遍ルール社会へと成熟させる道をとる以外には、
人間的「自由」の本質を擁護する道は存在しないこと。
(P.287)
自由の重さ。
勝ち得るための戦い。
資本主義は限界です。
しかし残念ながら成り代わることのできる
システムはまだありません。
ですけど、変えていかねばなりません。
ポスト資本主義。
少しずつでも変えていく。
そのために資本主義の本質を知る。
なかなかの難題ですけど。
評価
おすすめ度は ★★★★☆ といたします。
本書は、資本主義を単純に否定するのではなく、
その本質や限界を哲学的に問い直し、
どこをどう修正していくべきかを
深く考えるための一冊でした。
内容は決して平易ではありませんが、
近代国家、法、自由、幸福といった概念を通して、
現代社会の矛盾を
深く見つめ直す視点を与えてくれます。
ネット上でも比較的評価は高く、
楽天ブックスでは5点満点中4.0、
ブクログでも4.30と安定した支持を得ていました。
読みやすさよりも、
考える材料としての価値が高い本だと思います。
それでは、また…。
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