おはようございます。
読書がライフワークになっている
医療業界のコンサルタント
ジーネット株式会社の小野勝広です。
もう今までの資本主義では
日本社会はこれ以上良くならないと思います。
もう今までの民主主義では
日本社会はこれ以上良くならないと思います。
あくまでも私の勝手な個人的見解ですけど
ハッキリ言って限界が露呈していますよね。
その象徴が自民党政権でありますが
新しい資本主義と標榜した張本人は
結局何もできずに去っていくわけですし、
政官財が癒着しているなかで
そんな改革はできるわけがありません。
所詮、国民の不満をガス抜きする程度の
リップサービス以外の何者でもなかった…と。
既得権者が
未来よりも、社会よりも、
私利私欲に走って
旧態依然とした「老害」が蔓延っている現状では
そりゃ若者は絶望するだろうなと思います。
なんて言いながらも
私自身は老人に近い年齢ですけど
頭の中は若者に負けないくらいに
新しい世界を作るために
学び、考え、行動しているつもりです。
私なんぞは大した力もないので
半径5メートルしか影響力はありませんけど
それでもやらないよりは余程マシだと考えてます。
資本主義、民主主義をやめて
そんな単純なものではありませんし
そんな無理な改革なんて
これっぽっちも望んでいません。
別に〇〇主義にこだわる必要もないし、
資本主義や民主主義にもいいところはあるのだから
それをリニューアルして
刷新していくのがいいんじゃないでしょうか?
今回ご紹介する書籍は、
【 今こそマルクスを読み返す 】 です。
本書をピックアップした理由
『 今こそマルクスを読み返す 』
廣松 渉 講談社現代新書 を読みました。
やっぱりですね~
マルクスは学んでおかなきゃいけないと思うんですよ。
一応、私は経営者の端くれですから
特に学ぶべきことは多いと考えていますし、
すべからく「働く」人間は
マルクスの理論を知っておいたほうが良いと考えます。
当ブログでは少し前に内田樹さんの
「若者よ!マルクスを読もう」のシリーズを紹介しました。
マルクス研究の専門家である
石川康宏先生との意見交換は大変勉強になりました。
そこで本書です。
「今こそマルクスを読み返す」というタイトル。
私としてはスルーできない魅力があります。
著者は「廣松渉」さん。
哲学家の廣松渉さんの著書は
以前に下記を読んだことがあります。
正直、難しすぎて
私には理解不能なところが多かったですが
いつか再チャレンジしたいとは思っていたのですね。
何だか面白そうと思いまして
自分に読めるのか、理解できるのか、
若干不安ではありましたが
興味のほうが勝ちまして
おそるおそる読み始めた次第です。
目次
第1章 マルクスの開いた新しい世界観
人間観をどのように改新したか
社会観をどのように更新したか
歴史観をどのように転轍したか
第2章 『資本論』で言いたかったこと
物象化された経済の構造的分析
賃労働者を搾取する機構の暴露
資本主義経済体制の包摂的支配
第3章 資本主義の命運と共産主義革命
近代的市民社会像への批判視角
資本主義社会体制の歴史的命運
感想
おお、意外と読める。
わりと理解できる。
わからないなりに
哲学本を読んできた甲斐があったかな。
そうは言っても
難解なマルクスの思想を
簡単に理解できるわけがない。
本書では著者の廣松渉さんが
できるだけわかりやすく書いたと
巻末で述べていましたが、
それでも難易度は高いです。
ですけど確かにわかりやすくしてくれた感はあり
おかげさまで私も多少ですけど理解度が上がりました。
冒頭申し上げたように
資本主義にも民主主義にも
限界が近づいているのではないかと思う昨今、
本書のように
マルクスを平易に解説している内容に触れるのは
とても価値があることではないでしょうか。
自分の思考を深めることになりますし、
自分の頭の中にはない発想が手に入りますので
とても有益な時間となりました。
それでは恒例の私がグッときた箇所をご紹介いたします。
言語と意識とは同年齢であって、
……言語は、実践的な、
他の人間にとっても現存するが故に
私自身にとってもはじめて現存する
現実的な意識である。
そして、言語が生成するのは、
意識と同様、
まずは<交通>他の人間たちとの交通の欲求、
必要からである。
<私の周囲に関わる私の関係が私の意識である。>
或る関係が現存するところ、
そこでは、それは対私的に現存する。
動物は<対自的には[他のもの]と[関係し]ない。
何ものとも”関係”せず、そもそも関係しない。
動物にとっては
他のものと関わる彼の関係は
関係として現存しない。
意識は、かくして、そもそものはじめからすでに、
一つの歴史的な生産物である。
(P.33)
いきなり難解な文章ですけど
人間学として一考の価値ありと思います。
人間とは何だ?
意識とは?言語とは?
明快な答えがあるものではないだけに
考え続けることが必要でしょうか。
「なにはともあれ”社会”なるものを個人に対立させて
固定化することは避けねばならない。
個人が社会的存在なのである」
(P.39)
個人と組織。
個人と社会。
いずれにしても
個人があってこそなのですよね。
組織や社会とは適度な距離感で付き合うべきで
無理に迎合する必要はないと考えます。
忖度なんて自分を卑下し過ぎではないですか?
もしくは私利私欲か。
いつの時代にあっても、
支配階級の思想が支配的な思想である。
すなわち、社会の支配的な
物質的な威力であるところの階級が、
同時に、その社会の精神的な威力である。
支配的な思想とは、
支配的な物質的諸関係の「イデオロギー的」観念的表現、
……にほかならないのであって、
それゆえ、ある階級をまさしく支配階級たらしめる
当の諸関係の「観念的表現・思想」、
それゆえ、彼らの支配の思想なのである。
(P.52~53)
支配からは卒業するに限ります。
マルクスの頃と比較すれば階級は消え失せましたけど
その代わりに浮上したのが金銭の過多でしょうか。
人間の欲望の物悲しさでもありますが
おそらくあと100年もしたら
また別の基準が取って代わるような気がします。
お金はただのツールですから。
労働は、
まず第一に、人間と自然とのあいだの一過程であり、
この過程で、人間は自分と自然との物質代謝を
自分自身の行為によって媒介し、規制し、制御する。
この運動によって、
人間は外なる自然に働きかけてそれを変化させ、
同時に自分自身の自然と変化させる。
(P.64)
労働と自然。
現代社会ではとても結びつきにくいですけど
本来はここが出発点なのだろうなと思いました。
便利になった社会だからこそ
自然と向き合い、自然と触れ合い、
自然の価値をしみじみと感じるべきだろうと思います。
資本家と労働者との関係をも含めて、
近代社会における人間・社会関係は、
自律的で平等な諸個人の、
対等な自発的商取引の互酬的関係だと”理解”され、
古代や中世の身分的に不自由・不平等で、
強制・隷従の社会関係とは決定的に”相違”する
近代的市民の相互利他的な関係とやらが、
自画自賛され、
それが社会科学のヒュポダイムにまで
浸透している始末でした。
それは単なる過去の遺物ではなく、
マルクス以後の今日においてさえ、
以前としてイデオロギーを形作っております。
(P.80)
自分と社会。
自分と労働。
自分の存在価値。
なぜこの世に生まれたのか?
なぜ生きねばならないのか?
まだまだ熟慮が必要そうです。
資本とは、物象ではなく、
物象を介した
人と人とのあいだの社会的関係である。
(中略)
資本は一つの社会的生産関係である。
(P.98)
自分、自分、自分…と
自分がとっても大切な時代ですけど
私たちは社会から逃れることができないのだから
自分と社会の関係性を
しっかりと見い出さなければ
その先は見えてこないのでしょうね。
資本って何だ?
何のためにあるんだ?
その根本には自分と社会というものが
厳然としてあるのだろうなと考えます。
生産性の向上にともなって、
今ではかのうになっているはずの生活水準に比べて、
それ以下の水準に賃金水準・生活水準が押し止められるのが
資本主義経済における一般法則です。
ここには、賃金水準をめぐる労資の階級闘争も絡みますが、
資本家どうしも激烈な競争を演じていて、
迂闊に賃金を引上げれば
資本間競争で敗れてしまうという事情が介在します。
(P.137~138)
資本家 vs 労働者。
もうこの構図には限界が出ていますし、
資本家の横暴は
それこそ奴隷制度に時代と全く変わりません。
変わったのは見せ方であり
奴隷に見せないようにして
奴隷として扱われてます。
資本家が自ら変わらねば
そろそろ反逆が起きるんじゃないでしょうか。
反逆の形も
昔のようなものではなく
それこそネオテロリストみたいな
今までにない何かが生まれてきそうな気がします。
資本家にとって、
利潤を増やすためには、
いやそれどころか
資本間競争に敗れて破産しないためにも、
生産力を引上げることが肝要です。
そのための最も手っ取り早い方法は、
労働時間を延長することです。
歴史的事実として、
資本主義の形成・発達期には
労働時間が次第に延長されたことが知られております。
しかし、労働時間の外延的伸長には
当然の限界があります。
(”良識派”の政治的圧力によって、
労働時間が法律的に制限されましたし、
やがては労働者階級の組織的抵抗を通じて、
労働時間が短縮されるようになりました。)
資本家としては、労働時間の外延的延長と併せて、
そしてまた、労働時間が
制限されるようになって以後は一層のこと、
労働時間の”内包的延長"ともいうべき
労働強化(労働の密度・強度の向上)を
積極的に図ってきました。
生産性の向上に技術的改善が有効なことは
言うまでもありません。
(P.156~157)
社会を発展させるための資本のはずが
資本家を太らせるためだけにあるようになり、
資本家が害悪となりつつあります。
世のため人のためになれる
資本家が生まれてくるか?
これから強く問われるのではないでしょうか。
資本主義流の”経済合理主義”の見地からすれば、
とうてい完璧な均衡などとは
言えないであろうことは確かです。
資本主義流の見地からは、
財貨物量の合理的集計・計算すら”不可能”で、
たかだか前期実績の補正値を
積み上げることぐらいしかできない、
と言われるでしょう。
また、健全なストックとは”認めがたい”滞留が
随所に生じかねないと評されることでしょう。
だが、それでいいのです。
資本制的商品経済の本質的な禍殃を廃滅するためには、
そして資本主義経済体制も
別種の膨大な”無駄”浪費””を
ビルドインしていることに鑑みれば、
ガツガツとした経済合理主義などには拘泥することなく、
当該期内での若干の無駄があっても
事を進めることができます。
(P.261)
無駄をも許容する資本主義。
非効率を内包するから効率的になる。
搾取する存在があってこその資本主義。
搾取できなくなったら
搾取する存在を作るしかありません。
すでに新たなターゲットを定めて
資本家が策謀しているように見えます。
評価
おススメ度は ★★★★★ と満点といたします。
頭の整理がついていないところがあり、
まだ言語化できない感じがあって
若干詳しい思いはありますけれど、
おそらくこの積み重ねが
いつの間にか行動に進展し
何かの結果に結びつくのだろうなと思います。
私は私の範疇で
資本主義をリニューアルして
民主主義を発展させたい。
そんなことを考えています。
それでは、また…。
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