ある読書好き医療コンサルタントの「書評」ブログ!

年間60~70冊ほど読んでます。原則毎週日曜日に更新しますが、稀にプラスαもあります。本好きの方集まれ!

人間機械論

 

おはようございます。

 

読書がライフワークになっている

医療業界のコンサルタント

ジーネット株式会社の小野勝広です。

 

私は本にしても、映画にしても

歌にしても、ジャケ買いというでしょうか。

 

タイトルに惹かれて

中身を良く知らないままに買うことが多いです。

 

そして割と当たることが多いとも思ってます。

今まで読んだ本も、映画も、歌も

ジャケ買いしたものはお気に入りになってます。

 

何でしょうね。

感性の世界での導きみたいなものがあるのでしょうか。

 

でもこういうエモーショナルなものは

人の世界、意外と大切なのだろうなとも思います。

 

今回ご紹介する書籍は、

人間機械論 】 です。

 

 

本書をピックアップした理由

人間機械論 』

ノーバート・ウィーナー みすず書房 を読みました。

 

ということで、

完全にジャケ買いした1冊です。

 

どこかで聞いたことがあるなくらいであり、

ノーバート・ウィーナーさんについても

正直ほとんど知りませんが、

何となくこの「人間機械論」に惹かれたんです。

 

想像するに理系の内容でしょうし、

文系人間の私にとっては

かなりハードルは高いのだろうなと思いました。

 

しかも初版は1979年に発行されてますから

読みにくさもあるんだろうなと。

 

でも何だか気になっちゃったんですよ。

 

意外と理系の内容でも

その根底に哲学があったりもしますし、

理系だ文系だと変に意識するのは

知性の欠如に繋がるんじゃないかとも思いますので

え~い、行ったれ~くらいの感じで

怖々と読み始めたのでした。

 

目次

1 歴史におけるサイバネティックス

2 進歩とエントロピー

3 固定性と学習:通信行動の二つのパターン

4 言語の仕組みと歴史

5 通信文としての組織

6 法律とコミュニケーション

7 コミュニケーション・機密・社会政策

8 知識人と科学者との役割

9 第一次および第二次産業革命

10 ある種の通信機械とその将来

11 言語、かく乱、通信妨害

 

感想

ふむ、わかんね。

というのが正直な感想です。

 

確実に読み終えましたし、

かなり集中力を持って読みましたけど

結構時間が掛かりましたし、

ホントどこまで理解できたのかわかりませんが

なぜかそこそこ面白かったです。

 

人間は機械をどう捉えて

いかに使うべきか。

 

命題はこれに尽きると思うのですが

そこには技術的な側面からの主張だけではなく

哲学的な、倫理的な面での考察が多分に含まれており

その点は私にとっても理解しやすいところでした。

 

そしてこの問題は現代でも充分に通じており、

我々がAIといかに付き合うかというところにも

相当に似た議論が必要なのだろうな思いました。

 

それでは恒例の私がグッと来た箇所をご紹介いたします。

 

人が機械に命令を与える場合の状況は、

人が他人に命令を与える場合に生ずる状況と

本質的に違わない。

言いかえれば、人は、自分の意識の範囲内では、

自分からでていった命令と、

その命令が遂行された結果が

自分にもどってくる信号とを知っているだけであり、

当人自身にとっては、

その中間の諸段階で信号が機械を経たのか

人間を経たのかは問題でなく、

そのどちらであるかのちがいが当人と

その信号との関係に大きなちがいをもたらすことはない。

こういうわけで、

人間にも動物にも機会にも通用する工学的制御の理論が、

通報の理論の一要素をなすのである。

(P.10)

 

意思疎通。

人間でも機械でも根本は同じでしょうか。

技術って哲学だなと感じます。

 

ここでつけ加えておきたいが、

意味論的にみれば、

生命、目的、心などという言葉は

精密な科学的思考にとって

ひどく不適当である。

これらの言葉の意味は、

われわれがある一群の現象の統一性を

認知することによって形成されたものだが、

じつはこの統一性を特徴づけるに

十分な基礎を与えてくれない。

(P.29)

 

そりゃ人間と機械では

意味論的に似たところはあっても

全く同じというわけにはいきません。

 

生命は時間的に限られた期間のものであって、

地質時代の最初期以前には存在せず、

やがて地球が再び生物の住まない焼けつくしたか

或いは凍りついた一惑星になる時がたしかに来る、

と考えて間違いなかろう。

われわれの知るような生命にとって

必要な化学反応が起こりうるのは

極めて限られた幅の

物理的条件の下においてのみであるということを

知っている者にとっては、

この地球上において人間に類するものに限らず

あらゆる形態の生命の存続を許している

幸運な偶然事は

完全な破滅的終末に至るのを免れないということは、

いわなくてもわかりきったことである。

にもかかわらず、われわれは、

生命の存在というこの一時的な事件および

人間の存在というそれよりはるかに一時的な事件が、

そのはかない運命にかかわらず、

何よりも重要な価値をもつとみなされるように

われわれの価値体系をうまく組み立てることができよう。

(P.38~39)

 

生命を宗教論や哲学的な範囲から離れて考えると

こういうふうにも言えるのだなと勉強になりました。

 

私の見解では、

そのための中心的な区別と困難とは

次のことからでてくる。

すなわち、行動にとって重要なのは、

送られた情報の質ではなくて、

行動の引き金として役だつに十分なほど

通信と記憶の装置にはいりこむことができる

情報の質であるという事実からである。

(P.96)

 

何を伝えたかではなく

どう伝わったかということでしょうか。

人間関係にも置き換えられそうです。

 

人間の至上の慈しみと自由の精神でさえ、

それだけでは、

公正かつ施行可能な法典を保証しはしない。

正義の一般原則の外に、

法律は、個々の市民に自分の権利義務を、

たとえそれが他人のそれと衝突するようにみえる場合でさえ、

事前に査定することを

可能ならしめるような明瞭さと

再現性をもたねばならない。

市民は、自己の主張に対して

判事や陪審員がどんな見解をとるかを

十分確実に予見することができなくてはならない。

もしこれができなければ、

法典は、それがどんなによい意図をもっていようとも、

市民が訴訟と紛糾におびやかされない

生活を営むことを可能にしはしない。

(P.110)

 

法律とは何か?

そもそも論のようで

原則的に抑えておかねばならないと感じました。

 

これに反し、

情報はそう容易に保存されることができない。

なぜなら、すでに述べたように、

伝えられる情報の量は、

エントロピーという非加算的な量と関係があり、

しかもエントロピーとは符号と

数値計数が異なるだけである。

閉じたシステムの中では

エントロピーは自発的に増大する傾向があるのに対し、

情報は自発的に減少する傾向がある。

また、エントロピーは無秩序さの程度を表すのに対し、

情報量は秩序性の程度を表わす。

情報とエントロピーは保存されないので、

どちらも商品とするには適さない。

(P.122)

 

情報が貨幣と交換される時代ですけど

それが商品なのかと問われれば

ただ流通されるだけのものであり、

人から人へと移る際には

エントロピーは増大し

情報は減少すると考えると

商品足り得ないということでしょうか。

 

しばしば私を怒らせ、

つねに私を失望させたり悲しませていることは、

学会の大勢が、

オリジナルなものより派生的なものを好み、

新しくてずっしりしたものより

在来の型にはまっていて

コピーをたくさんつくれる薄っぺらなものを好み、

どんな分野であれ現れるかもしれない

普遍的な新しさと美しさより

不毛な正確さと限定された視野と方法を好むことである。

(P.142)

 

これはどの領域の学会でも

そして現代にも通じる卓見でしょうか。

決していいとは思えませんが

人が集まるグループでは致し方ないのかもしれません。

 

ただ個人で情報を発信することができる時代、

もしかしたらこのしがらみから脱却できる

チャンスが来始めていると言えそうです。

 

かなり多くの孤立した例を除けば

現在までの産業革命は、

動力源としての人間と動物を

機械によって置き換えただけで、

人間のその他の機能には

何らの大きな影響を与えなかったといってよい。

(P.162)

 

動力源が置き換わった。

う~ん、達観ですけど真理でもありますね。

機械からネットに時代が変わり、

新たな意味が加わるでしょうか。

 

現実に危険なのは、

それとはちがって、

そのような機械が、

それ自体では無力だが、

一人の人間または一にぎりの人間によって、

人類の他のすべてのメンバーを管理するのに利用されること、

または政治の指導者たちが大衆を、

機械そのものによって管理するのではなく、

あたかも機械によって算出されたかのような

狭くて人間の可能性を無視した

政治的技術によって管理しようとすることである。

(P.193)

 

政治の必要性とは何か?

今の自民党政権を見ていると

所詮、国民から吸い上げることしか考えておらず

いっそのこと、政治自体を機械化したほうが

いいんじゃないかとすら考えてしまいます。

 

彼らに機械を渡すのではなく

彼らを機械に置き換えましょう。

IT、AI時代ならできるはず?

 

科学は、

人間が自由に信仰をもつことができるときにのみ

繁栄することができる一つの生き方である。

われわれが外から課された命令に基づいて従うような信仰は、

じつは信仰ではなく、

そのような疑信仰に依拠する社会は、

健全に成長してゆく科学を欠くために

課される麻痺によって

結局は崩壊せざるをえない。

(P.206)

 

これはアインシュタインの言葉ですが、

科学が政治に翻弄されてはいけないですけど

歴史を振り返れば翻弄されてきたわけですね。

 

私たち人類は未来をどう描くのか?

一新が求められているのかもしれません。

 

評価

おススメ度は ★★★★☆ といたします。

 

合う合わないは大きそうですし、

どうしても理系頭の方のほうが理解度は

高くなるとは思います。

 

でも私のような文系頭の人でも

それなりの楽しみ方があります。

 

これからの時代はAI化が進むでしょうから

技術者の方々には是非とも本書を読んでいただき、

おかしなもの(政治とか、軍事とか)に

巻き込まれないようにしていただきたいなと思います。

 

それでは、また…。

 

 

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