ある読書好き医療コンサルタントの「書評」ブログ!

年間60~70冊ほど読んでます。原則毎週日曜日に更新しますが、稀にプラスαもあります。本好きの方集まれ!

撤退論 歴史のパラダイム転換にむけて

 

おはようございます。

 

読書がライフワークになっている

医療業界のコンサルタント

ジーネット株式会社の小野勝広です。

 

私はすでに50数年間も生きてきていますし、

社会人になってからも

早くも30年以上働いてきているのですね。

 

パラダイム転換。

 

何だかずっと言われ続けているような気がします。

いつの時代もこのままではいけない…と。

 

別にこれを否定的に考えているのではなく

むしろそういうものだろうな…

いやそうでないといけないのだろうなと思ってます。

 

ずっと同じでは進歩がないし

時代や社会は常に変わり続けるものですから

今より少しより良い未来を求めるのは

正論ではないでしょうか。

 

ただどう変わるべきなのかは

かなり議論がありそうですね。

 

いつ、何を、どのように。

 

変わることを前提にして

考え続けていかねばならないのでしょう。

 

今回ご紹介する書籍は、

【 撤退論 歴史のパラダイム転換にむけて  です。

 

 

本書をピックアップした理由

『 撤退論 歴史のパラダイム転換にむけて 』

内田 樹(編) を読みました。

 

このパターンですが

内田さんがお題を出して

識者の皆さんがコラムを書くのですけど

今まで読んだ数冊はどうも今ひとつの内容に思えてしまい

いっそのこと内田さんが全部書けばいいのに…と

つい考えてしまっていました。

 

しかし今回は「撤退論」というタイトルに

なぜだか惹かれてしまったのですね。

 

日本というこの国。

 

いつ撤退すればいいのでしょうか。

何から撤退すべきなのでしょうか。

どんなふうに撤退するのがいいのでしょうか。

 

いろいろな論点があると思いますし、

実に様々な議論ができそうですよね。

 

国の問題だけではなく、

私たち個々も撤退したほうがいいのか?

撤退という選択肢を持っておくべきなのか?

 

キャリアや人生という側面からも

考えるべきことは多そうだなと感じた次第です。

 

果たしてどんなものかな?と

楽しみにしながら読み始めたのでした。

 

目次

■1 歴史の分岐点で

 

撤退は知性の証である──撤退学の試み 堀田新五郎

撤退のための二つのシナリオ 内田樹

撤退戦としてのコミュニズム 斎藤幸平

民主主義からの撤退が不可能だとするならば 白井聡

撤退戦と敗戦処理 中田考


■2 撤退の諸相

 

撤退という考え方──ある感染症屋のノート 岩田健太郎

下野の倫理とエンパワメント 青木真兵

音楽の新しさはドレミの外側にだって広がっている 後藤正文

文明の時間から撤退し、自然の時間を生きる 想田和弘

撤退のマーチ 渡邉格

撤退女子奮闘記 渡邉麻里子

 


■3 パラダイム転換へ

桜の園』の国から 平田オリザ

ある理系研究者の経験的撤退論 仲野徹

Withdrawalについて──最も根っこのところからの撤退 三砂ちづる

個人の選択肢を増やす「プランB」とは何か 兪炳匡

極私的撤退論 平川克美

 

感想

撤退論。

 

本書では各著者が

撤退という言葉だけではなく

同じ意味の、違う言葉を使っていますが

人生論としても

ビジネスとしても

国のあり方としても

様々な面で検討しなければならない

重要な選択肢であることがよくわかりました。

 

確実に生存戦略の問題なのですよね。

だからこそそこには知性が必要です。

 

旧日本軍のように

精神論で突っ走ったり、

永遠に好景気が続くかのような

幻想を信じ込んでしまってはいけませんね。

 

おそらく本書は

自分事として捉えると

様々な撤退が考えられるのだろうなと思いますし、

組織や国家としても

本来は考えるべきリアルな選択なのでしょう。

 

考えれば考えるほどに

暗くなりがちではありますけど、

これを敢えてポジティブに受け止めて

明るい未来に繋げていかねばと思いました。

 

それでは恒例の私がグッと来た箇所をご紹介いたします。

 

課題先進国といわれる日本は、

これまで人類が経験してこなかった

諸問題に見舞われている。

急速な人口減少、地方消滅、未曽有の財政赤字

長いデフレ、社会保障の持続可能性、

環境激変にともなう災害ーー

これら諸問題は、すべて生活習慣病に似ている。

これまでの価値感や生のスタイルを根本的に改めない限り、

いずれ破局的な事態が訪れるのではないか。

多くの者はそう不安を抱きつつ、

しかし、既存のスタイルを改めることができない。

慣性の力学から逃れられないのである。

では、ここで働いている慣性とは何か?_

我々はそれを、近代システムとくに

「資本主義&テクノロジー」の魅力のうちに見出したい。

(P.28~29)

 

もう何年も前からわかっていたことですけど

既得権者の私利私欲のために

変えないという選択を続けてきて

先進国からすべり落ちてしまったわけですよね。

 

まずは国内の改革が必要そうです。

 

「競争パラダイム」の社会では、

スピードが勝敗を決するのである。

よって、学生も教員もビジネスパーソンも子どもたちも、

皆が皆、日々アップデートすべく急き立てられることとなる。

ある者は受験に、ある者は就活に、

ある者は競争的資金の獲得へと急き立てられ、

いま勉強しているのは単位のため、

単位は卒業のため、卒業は就職のため、

就職は金銭のため、そのためには昇進、

そのためには数値目標クリア、

そのためには研修でアップデート……と続いていく。

人々はつねに、その次、その次、その次、

その次へと急き立てられるのである。

なぜ「現在」を生きるのではなく、

「未来」を生きようとしているのか?

生きるとは、「いま」を生きることだが、

近代人は、一杯のお茶を一期一会に、

ただ「味わうために味わう」ことなく、

たとえば健康のために飲むのである。

(P.32)

 

手段と目的が混同されていますよね。

焦れば焦るほどに

大事なものを失っているような気がします。

 

かつてないようなスケールの緊急事態下において、

ソフトランディングのようなものが

存在するかも不明瞭だ。

だとすれば撤退は単なる敗北的逃走であってはならない。

単に逃げ出すだけでは、全滅してしまう。

大きな困難を前にして撤退することは、

リーダーの迷いのない決断と咄嗟の判断を要請する。

撤退戦は、危機を前にして怯むことなく、

新しい社会へのシステム・チェンジを図る

革命的前進でなくてはならない。

(P.54)

 

今よりも少しより良くするための改革。

これを繰り返していくしかないのでしょう。

一新なんてそんな簡単にできませんし。

 

敗戦処理とは「野球用語」ですが、

比喩ですから、

あまりディテールにこだわっても仕方ありません。

ポイントは、敗戦処理に意味があるのは次の試合のためで、

次の試合がないなら

負けが決まれば試合など投げ出して

遊びにでも行ったほうがよいでしょう。

筆者が個人的に余生を敗戦処理と考えていることは

冒頭で述べました。

余生が敗戦処理であるということは、

次の試合に備えてであり、

それは来世のことです。

私は既に現世では個人的な希望は全て失っていますが、

来世での希望のために余生を送っている、ということです。

(P.93)

 

多くの大人たちが

私利私欲よりも

後世のために…と考えねばなりませんね。

少子化対策なんて最も足るもので

私利私欲を優先してきたから

こんな事態に陥ったのではないでしょうか。

 

世論や社会に阿ることなく、

与えられミッションとファクトに誠実であり続けたからこそ、

エイズは「死に至らない病」になったのである。

繰り返すが、世の感染症屋は

世界から感染症全てを排除しようなどとは思っていない。

が、人類史の多くの悲惨は感染症がもたらし、

その多くを我々は克服してきた。

これは紛うことなき歴史の事実である。

(P.109)

 

これは医師の岩田健太郎先生の言葉ですが、

コロナ禍を何とか乗り越えた(?)からこそ

今となれば人類の叡智を感じることができます。

 

とはいえそのプロセス段階では

かなりの混乱が世界各国であったのも事実。

 

ミッションは何か?

ファクトに誠実か?

この点は原点と言えるほど大事なのですね。

 

つまり現代における下野とは、

他者のニーズを気にせず、

とにかく徹底的に主観を認めることだと言えます。

周りからみて意味がないとか、

何のためにもならないとか、

そういう話ではありません。

(P.116)

 

過去の常識を疑う。

過去の常識に捉われない。

これからさらに重要になるでしょう。

 

では何から撤退したように感じたのかといえば、

今日よりも明日、明日よりも明後日には、

より進歩し、より速くなり、より大きくなり、

より富まなければならないという

価値観からの撤退です。

現代社会では洋の東西を問わず、

主流の価値感だと言えるでしょう。

(P.143)

 

右肩上がりの成長は

常に行われるわけではありませんね。

歴史を学べば一目瞭然です。

 

それは際限なく経済成長を求めるのではなく、

規模を拡大しない「定常経済」を目指す生き方です。

量よりも質を、開発よりも保存を、

新設よりもメインテナンスを重視するのです。

人口が減少していくこの国では、

特に必要な考え方でしょう。

(P.149~150)

 

目標達成でしょうね。

過去と同じ目標を掲げ続けていたら

そのプロセスも間違え続けるでしょう。

新しい目標設定が必要不可欠なのだと思います。

 

考えが甘いのと楽観的は違う。

(P.202)

 

医師である仲野徹先生が、

師匠である本庶佑先生に言われ続けたそうです。

考えの深い楽観性が必要でしょうか。

 

思考を切り替えて、

負けを減らすため、

「地方(ないし国内)から東京(ないし国外)への

 富の流出を減らす」経済システムへの移行を目指すべきです。

一例は、「輸入(負け)を減らす」ために、

出来る限り国産化を目指すべきです。

特にコロナ・バンデミックによって認識されたように、

医療・食料品・エネルギーのような

社会の維持に必須のものについては

短期的なコスト削減ではなく、

広義の国家の安全保障の維持のためにも、

国内生産の強化を目指すべきです。

(P.240~241)

 

これは完全に政治の問題なのでしょうけど

まずは自民党と財界の繋がりを壊すこと。

江戸時代のお代官様と越後屋と同じですからね。

新しい社会を創りましょうよ。

 

「借金とは、結局のところ、

 等価交換(清算)の遅延のことである。

 その遅延の間、借り手と貸し手は

 支配関係から逃れることはできない」

(P.260)

 

面白い言い回しですけど

借金はしないに限るでしょうか。

でも返さなければ支配は壊れる?

 

撤退は、単に行くか戻るかと言う二者択一を意味しない。

そのような二者択一を自分に迫っていた世界観とは、

全く異なる世界観へのパラダイムシフトを

意味しているということである。

(P.264)

 

これも過去の常識ですし、

発想を広げれば

二者択一から逃れられて

多くの選択肢を持てるのかもしれません。

 

評価

おススメ度は ★★★★☆ といたします。

 

自分、何から撤退する?

それは甘えじゃないか?

 

断固として撤退するためには

新しい形が見えていること。

 

新しい環境を手に入れるために

常識に捉われず撤退すること。

 

自分自身がより良い人生を歩むためにも

撤退という選択肢は持っておいたほうが良さそうです。

 

ただしポジティブな撤退にするために

次の目標設定をしておきたいですね。

 

それでは、また…。

 

 

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