ある読書好き医療コンサルタントの「書評」ブログ!

年間60~70冊ほど読んでます。原則毎週日曜日に更新しますが、稀にプラスαもあります。本好きの方集まれ!

この国はどこで間違えたのか 沖縄と福島から見えた日本

 

おはようございます。

 

読書がライフワークになっている

医療業界のコンサルタント

ジーネット株式会社の小野勝広です。

 

日本人は忘れやすい民族だ。

 

時々、そんなふうに言われますが、

日本人である私から見ても

おそらく多くの人も

頷かざるを得ないところがあるかもしれません。

 

一世を風靡した著名人だって、

世間を賑わせた大事件だって、

人の噂も七十五日とばかり

しばらくするとあっという間に忘れ去られてしまいますね。

 

この特性は、

ある意味では嫌なことを引きずらずに

すぐに次に目を向けることができるとも言えますが、

大事なこともすぐに忘れて

根本的な改善ができないとも言えるでしょうか。

 

為政者にとっては

何と有難い国民性か…と思われそうですが、

覚えておくべきことはしっかり覚えておき、

忘れていいことはスッパリ忘れると

できることなら是々非々の姿勢を持っておきたいですね。

 

そうじゃないと権力者ばかりがオイシイ目に合い、

私たち国民はいいように扱われてしまいそうです。

 

というか、考えようによっては

ずっとそうなっているのかもしれませんね。

 

今回ご紹介する書籍は、

【 この国はどこで間違えたのか

 沖縄と福島から見えた日本 】 です。

 

 

本書をピックアップした理由

『 この国はどこで間違えたのか

 沖縄と福島から見えた日本 』

徳間書店出版局 編 を読みました。

 

正直申し上げて…

内田樹と本に書かれていて、

「この国はどこで間違えたのか」というタイトルだけで

本書を購入し、読み始めました。

 

サブタイトルにもなっている

「沖縄と福島から見えた日本」すら

頭には入ってきていませんでした。

 

読み始めてから、

ああ、沖縄の米軍駐留と

福島の原発の話しなんだなと気づいたくらいです。

 

当事者の方々から見たら、

もっと真剣に取り組めと言われそうですが、

ニュースで取り上げた時くらいしか

意識しない自分を反省しつつも

せっかくの機会ですし、

これも神のお告げかもしれないと…

今、この内容を読んでおくべきですよという感じですね、

そう捉えて真面目に読み始めたのでした。

 

目次

・どこまでも属国根性(内田樹

・「ムラ」の瓦解は早い(小熊英二

・物語の中に答えはない(開沼博

自治踏みにじる原発佐藤栄佐久

・神話にすがる日本人(佐野眞一

・カネの切れ目は好機(清水修二)

・「なつかしい」未来を求めて(広井良典

・徹底的な破滅から光(辺見庸

 

感想

沖縄タイムスの新聞記者と

内田樹小熊英二開沼博佐藤栄佐久

佐野眞一、清水修二、広井良典辺見庸という

知識人というか、著名人というか、

これらの方々との対談となっています。

 

新聞記者がインタビュアーになるのですから

そこにはどうしても意図があるように感じました。

 

兵庫県生まれで関西大学卒業とのことですが、

その後に沖縄タイムスに入社し、

沖縄に染まっていったようです。

 

本書は沖縄の米軍基地と福島の原発

メインテーマとなっているのですが、

どうしてもインタビュアーは沖縄の話題にしたいようで

せっかく識者である対談相手が福島の話しをしているのに

なぜか沖縄もそうなんですと話題転換するのが

若干気になりました。

 

とはいえ、日常生活に忙しい私たちが

つい忘れがちな重大な問題を掘り下げてくれており、

思うところがいろいろ出てきました。

 

ひと言でまとめれば、

もう旧態依然とした制度やシステムや仕組みが

圧倒的に無理があり、

変えねばならないのに変えられない。

 

既得権を持つ人たちが

あらゆる手段を使って変えさせない。

 

これは現在でも続いていて、

盲目的に自民党を支持する人以外は

もう自民党では無理なのはわかっていて、

でも野党はもっと頼りにならず

消去法的に自民党を選ばざるを得ず、

案の定の展開を自民党は繰り返していて

絶望的な気分になっているのが

現代社会と言えるでしょうか。

 

東京電力にしても、

中央と地方のしがらみにしても、

貧富の差にしても

すでに限界が来ているのに

それ以外の手を考えようともしない。

 

正直、本書を読み進めると

様々な「穴」が見えてきて、

気分的に落ち込まざるを得なくなります。

 

手がないわけではないんです。

新しい手を使うことすら拒否して

現状維持を守り続ける守旧派たちが問題なんです。

 

人が何人死のうが

人が住めなくなる国土が広がろうが、

自分たちの既得権を死守するためなら何でもあり。

 

そんな人たちを何度も当選させてきたのは私たち。

う~ん、辛くなるばかりでした。

 

それでは恒例の私がグッと来た箇所をご紹介いたします。

 

僕は一貫していて、

政治家はマヌーバーを駆使していいと主張しているんです。

マキャベリストで構わない。

政治家や外交官には

誰も清廉潔白であることなんか要求してない。

国益を最大化するためには、

どんな手立てを使ったって構わない。

そう思っています。

ブラフをかけたり、妥協したり、

寝返ったり、手立てがあるなら、

外国の要人やメディアを買収したっていいと思っている。

そういう狡知が必要なんだということを

僕が書き出したのが世紀の変わり目くらいからです。

それまでエスタブリッシュメントに向かって

「もっと狡知になれ」なんて思わなかった。

十分に狡猾だったから。

それが変わったのは、

リーダーたちの顔つきが

薄ぼんやりしたものに変わってしまったことに

不安を覚えたからですね。

「いいのかよ、こいつらで」って。

(P.32~33)

 

そうですね、確かに国益を最大化してくれるなら

何をしたって構わないです。

 

政治、行政、財界が一体となって

私利私欲を最大化しているようにしか見えず、

こいつらじゃ問題解決には絶対至らないんですよね。

 

所詮、やっていることはプライベートであり、

パブリックでないのが今のお偉いさんたちの

どうしようもない恥部であり、

救いようのないところですね。

 

かつては、「抗議する側」は

政治の回路に自分たちの声を乗せられない、

「政策を進める側」は

政治の回路に乗せて粛々と進めていく、

という枠組みで語っていた。

それは「政治の回路」が機能しているという

前提でものを考えている。

しかし今の問題は、

政治の回路が機能不全になっていることです。

政権は不安定だし、

首相が脱原発を宣言しても動かない。

自民党も官僚も自信を失っていますし、

実際に影響力は落ちている。

(P.74~75)

 

ダメな奴らも多いですけど、

もう人の問題では片づけられないのでしょう。

制度やシステムを変えるしかありません。

 

回路を作り替えないと

どう足掻いても二進も三進も行かないでしょう。

 

猛禽類の調査を発表していた野鳥保護団体の人が、

風力発電の風車で絶滅が危惧されている

野鳥が死ぬと指摘した場面でのことです。

すると、すぐに「風力発電推進派」の学者が出てきて

「それは確率論的にとても低い」とたたみこむ。

役人が出てきて「地域振興には必要だ」と語る。

メーカー担当者も

「いずれ技術的に改善されるだろうし、

 経済的メリットを考えれば瑣末なことだ」と切り捨てる。

原発推進をする「御用学者」と

原子力行政・業界がやってきたことと全く同じです。

原発事故の確率は外を歩いていて

 交通事故にあう確率より低い」という理屈や、

経済的メリットを推進派の学者や電力会社は強調し、

政治家や行政官も地域のためになるんだから

仕方ないという話を進めて立地した。

(P.104)

 

いわゆる出来レースですよね。

我が国に連綿と続く策謀というか、共謀というか、

もうこの段階で全てが決まっており、

途中でどんな悪材料が出てきても

すでに止まることはできないのですよね。

 

こうして日本はアメリカとの戦争に突入し、

大敗を喫したことを忘れてしまったのでしょうか。

 

ある意味ではフクイチも敗戦と同じです。

産官学すべてが負けたのです。

 

社会運動やリベラルとされるメディアが

無意識的につくっている

「紋切り型」の像のパターンが2点あって、

それは「敵をつくること」と「悲劇をつくること」です。

敵だったら

「金に意地汚い利権まみれの政治家」みたいな像、

悲劇だったら

「ずっと悲惨な状況に置かれていたかわいそうな人たち」というような像。

そういう描き方をすれば理解しやすいし、

話もドラマチックでセンチメンタルなものにできる。

でも、現実はそんな単純な話に回収できるものではない。

(P.118~119)

 

右も左もダメですね。

イデオロギーに凝り固まると

正常な判断ができなくなるように思えます。

知的に冷静で、科学的で、

正当な理屈が必要ですね。

 

新聞記者になって20年。

「記事は要領よくコンパクトに」

「結論は何か」と急かされ続けてきたように思う。

それはテクノロジーの進化とともに加速する一方だ。

しかし、実社会はどんどん複雑化している。

都合よくコンパクトな「正解」を常に用意するのは困難だ。

世の事象と誠実に向き合い、

本質に迫ろうとすればするほど、

「善と悪」「美と醜」を単純に色分けできない。

文章は長くなる半面、結論はあいまいになる。

読者がいら立ち、読んでもらえなければ

「商品」として成り立たない。

(P.180)

 

年々新聞が読まれなくなり、

ネット記事ばかりになりつつある昨今、

表面ばかりなぞる軽薄な社会になるのではないかと

危機感を覚えますね。

 

こうした補償型政治の制度は

カネがあるうちはうまく機能するが、

カネがなくなると逆に作用しますからね。

今までもらっていたものが

もらえなくなるということになると、

心理的に大きな負の効果が作用します。

(中略)

仮に目的税をやめて特別会計もなしにして、

一般会計に計上していくことになると、

毎年の予算審議の対象になって

聖域じゃなくなりますからね。

(中略)

カネで支えられてきたシステムだから、

カネが思うように動かせなくなれば

崩れていく可能性があります。

(P.207)

 

江戸時代の年貢は四公六民でした。

これが五公五民になると

百姓一揆が爆発的に増えたそうです。

 

今はほぼ五公五民なのだそうです。

私たちは一揆を起こさずに

このまま大人しくしていていいのでしょうか?

 

無駄なバラマキをして、

自分たちだけは甘い汁を吸い、

足りなくなれば増税すればいいという

安易な考えの現政権を見ていると

私たちはこのまま済ませてはいけないと思います。

 

「我が身の目先の利益」にとらわれがちなわれわれも、

遠からずこの社会から身を引く。

そのとき、「若い世代」に顔向けができないことのないよう、

「最善を尽くす」義務は全ての大人にある。

非力であって、無力ではないはずだ。

(P.248)

 

最後の1行が全てですね。

パブリックのために…。


世論はいま巧みに操られ、

誘導されています。

マスコミはしきりに当局のお先棒を担いでいる。

メディアは住民側に立った監視役ではなく、

権力に飼いならされた

権力のためのウォッチ・ドッグ(番犬)になりさがった。

(P.258)

 

ホント戦前と同じ構図ですね。

情けないにも程がある。

 

命を捨てて国を守る意識って大事ですか?

僕はそう思わない。

この国が命を捨ててまで守らなければならないような

内実と理想をもった共同体かどうか。

国という幻想や擬制

一人ひとりの人間存在や引き合うものかを

まず考えたほうがいい。

(P.279)

 

これはちょっと衝撃ですね。

時代が違えば殺されてしまうかもしれません。

でも現代を生きる我々にとっては

当然とも言えるかもしれません。

でもなかにはふざけんな!と思う人もいるのでしょうね。

 

評価

おススメ度は ★★★★☆ といたします。

 

所詮、東京在住で当事者意識が持ちたくても持てない

私のような人間ですから

何を語っても

自分でも違うと思ってしまいしますし、

そもそもこうすれば正解というような

シンプルな策があるとも思えません。

 

これらの問題を常に頭の片隅に置き、

非力でも無力じゃないと考えて

小さくてもいいから何か行動を起こすことが

肝心要なのでしょうね。

 

無関心こそ政府が望んでいることでしょうし、

今までいいようにやられてきて

これからも見逃すなんてことはできません。

 

それでは、また…。

 

 

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