ある読書好き医療コンサルタントの「書評」ブログ!

年間60~70冊ほど読んでます。原則毎週日曜日に更新しますが、稀にプラスαもあります。本好きの方集まれ!

街場の成熟論

 

おはようございます。

 

読書がライフワークになっている

医療業界のコンサルタント

ジーネット株式会社の小野勝広です。

 

成熟…。

最近の私の生きるテーマのひとつです。

 

子供のような大人が増えている昨今、

社会的にも悪影響が出ているように感じます。

 

大人が大人として

自律、自立して

他者のために身を尽くせる。

 

成熟とは何か?

自分の中でもモヤモヤしています。

 

今回ご紹介する書籍は、

【 街場の成熟論 】 です。

 

 

本書をピックアップした理由

『 街場の成熟論 』

内田 樹 文芸春秋 を読みました。

 

いや~、敬愛する内田樹さんが

「成熟」について語るなら

そりゃ即買いしますし、

すぐに読み始めますよ。

 

自分なりの成熟論を確立したくて

ワクワクしながら読み始めました。

 

目次

1 ウクライナ危機後の世界

2 沈みゆく社会

3 成熟について

4 ジェンダーをめぐる諸相

5 語り継ぐべきこと

 

感想

社会のどこをどう見るか?

その中でどう生き抜くか?

 

人として成熟するためには

通過しなければならないポイントだと思います。

 

様々な社会問題を

内田流にバッサバッサと斬っていく。

大満足の1冊です。

 

これだけ内田さんの著書を読んでくると

あ、いつもの主張ね…と思うところもあるんですけど

あ、これだけ何度も書くということは

それだけ大事なことなんだね…というところもあります。

 

本作品は街場シリーズの「成熟論」として

まとめられたものですが

読み応えはバッチリですし、

骨の髄まで勉強になるところも多かったです。

 

それでは恒例の私がグッと来た箇所をご紹介いたします。

 

僕はこの数年ずっと

「成熟」の必要性について語ってきました。

今の日本社会を見て、

一番足りないなと思うのがそれだからです。

でも「成熟」が論争的な言論の主題になったことは

僕の知る限り、

過去半世紀ほど一度もありませんでした。

それはたぶん「成熟」が「政治的正しさ」とは

レベルの違う話だからだと思います。

「成熟/未熟」は「正しい/間違っている」という

枠組みでは論じることができません。

(P.3)

 

これは共感します。

ホント子供みたいな大人って多いですよね。

なんでそんなに他人に対して

感情をぶつけられるのか?

 

どう思われるかという想像力が欠如して

子供が泣きわめくのと一緒ですよね。

 

私自身ももっと成熟したいですし、

大人が成熟しないと

社会全体にとってのマイナスは

あまりにも大きいと思うのです。

 

自分ひとりが屈辱に耐え、

苦痛を甘受すれば済むことについてなら

人は必ずしも「反抗」を選ばない。

「私一人が苦しめばそれで済む」と思えるなら、

権利侵害を受け入れることは

心理的にはそれほど難しくない。

私ならそうするかもしれない。

だから、人が死を賭しても「反抗」を選ぶのは、

ここで権利侵害を受け入れたら、

それによって失われるのは

その人ひとりの権利や自由ではなくなると感じるからである。

(P.18)

 

ロシアのウクライナ侵攻についての文脈ですが、

まさにその通りと思います。

 

これはウクライナの問題だけでなく

世界的に、そして未来に影響のある重大事です。

 

人類にとっての敵になってるんですよね、ロシアは。

 

すべての人間は不完全であり、邪悪であり、

嘘つきであるという命題は原理的には正しい。

けれども、人間の不完全さや、邪悪さや、

不実には個人差があり、程度の差がある。

そして人間を衝き動かすのは、

しばしば「原理の問題」ではなく

「程度の問題」なのである。

(P.34)

 

原理の問題と捉えれば

そこには敵対関係が自然と出来上がりますよね。

 

程度問題にするからこそ

そこに話し合いの余地が生まれ

コミュニケーションができるんです。

 

でも最近は世界中で、我が国でも

原理問題で相手を許せない人が多くなっていますね。

 

「科学とは本質的に、

 現実に関するナラティブのどれが真実で

 どれが偽物かを見つけ出すために人間が考え出した、

 最も信頼のおける手法である。

 科学は、私たちのエゴや物語が

 私たちに見せたいものではなく、

 私たちの目の前に実際にあるものを

 強制的に見せる一つのツールである。」

(P.61)

 

私自身も何かに悩んだ際や

判断に迷う際には科学的であることを考えます。

 

例えばコロナ禍では

非科学的な論述がいくつも出てきましたが

何ひとつ残っていません。

 

政治や忖度など

私たちを戸惑わせるものは数多いですけど

知性的な人は必ず科学というフィルターを通して

自分の身の振り方を考えるのではないでしょうか。

 

知者が統治する国なら、

人々は自分を知者のように見せようとするだろう。

有徳の人が統治する国なら、

人々は自分もまた有徳者であるように見せようとするだろう。

同じ理屈で、

権力的にふるまう者が統治する国では、

上昇志向に駆られた人々がそれを真似ようとする。

どうも最近、非常識で、傲慢で、

攻撃的な人が増えてきたなと思っていたが、

あれは別に日本人の人格が劣化したわけではなく、

彼らなりに社会的上昇をめざして、

「いやな野郎」になるべく努力していたのである。

そう気づいて、腑に落ちた。

(P.111)

 

民主主義の欠点ですけど

多数派が必ずしも正しいわけではないんですよね。

ただパワーは持っていますから

それに引きずられる人は少なくありません。

 

国政は別としても

ひとつの組織でも内田さんの主張は当てはまりますね。

 

経営者や上司がバカだと

どうしても部下もバカになりがちです。

 

人の上に立つということは

それだけ大きな責任があるはずですよね。

 

今日本で格差が拡大しているというのは、

言い換えると、

「いかなる価値も創出せず、

 下層民の労働に寄生していばっている人たち」が

増えているということである。

だから、一部の人が天文学的な個人資産を蓄え、

圧倒的多数が貧しくなり、

集団自体は貧しくなる。

格差というのは

単に財が「偏移」しているということではない。

格差は必ず、

何の価値も生み出していない仕事に高額の給料が払われ、

エッセンシャル・ワーカーが

最低賃金に苦しむという様態をとる。

必ずそうなる。

もし、階層上位者たちが

「明らかに世の中の役に立っている仕事」を

誠実かつ勤勉に果たしているように見えていたら、

私たちは決して

「格差が拡大している」という印象を持たないであろう。

(P.130~131)

 

現代社会の恥部ですよね。

相互扶助を見失い

資産家が人類をぶち壊している。

 

個人的欲望のために

社会をぶっ壊している。

 

遠くない未来に明治維新のような御一新が

巻き起こるんじゃないでしょうか?

まずは打ち壊しかな?

 

あらかじめ誰かが「正解」を知っていて、

それに沿うように生きるということではない。

正解はない。

自分にとっても最も自然で、最も合理的で、

最も必然性のある生き方を過たず

生きるということであり、

それを決めるのは私である。

誰かが「お前の生き方はそれで正しい」と

永代保障してくれるということはないし、

逆に誰かに「お前の生き方は間違っている」と言われても

おいそれと従うわけにはゆかない。

(P.155~156)

 

これは武道について書かれた箇所なのですが

普通に生存戦略として適切なように感じます。

 

大人になったら正解はありません。

いるべき時に、

いるべき処にいて、

なすべきことをなした結果として

自分が甘受するしかないのですよね。

 

子供の時のテストとは

全く異なるのが人生って奴ですね。

 

「学ぶ」というのは一言で言えば

「別人になること」である。

だから「私は学ぶ」という文型を

どうもうまく呑み込むことができないのである。

それは「学び」がほんとうに起動した場合には、

「私」という主語は

もう同一性を持ちこたえることが

できないはずだからである。

(P.163)

 

偽物の学び。

学んだつもり。

こういうものは多いですけど

真の「学び」は自分を脱皮させてくれるのですね。

 

自分が自分じゃなくなる瞬間。

これに遭遇できた人は

本当の「学び」を手に入れたということでしょうね。

 

原理の問題なら正否の決着がつくということがあるが、

程度の問題に「最終的解決」はない。

それは必ずオープン・クエスチョンとして残される。

(P.194)

 

最終的解決はない。

キャリアも、人生もそうですね。

それは程度問題だから。

 

深い、深すぎます。

 

中高年サラリーマン諸氏にはとりあえず

「私は思考停止しているのではないか」という

病識を持ってもらうしかない。

病気になるのは「よくあること」である。

病気になったら治療すればいいだけの話である。

けれども、病気なのに「病気じゃない」と思い込んでいると

いずれ危機的な事態になる。

問題は、おそらく中高年サラリーマンの多くが

「自分は思考停止なんかしてない」と思っていることである。

だって、「周りの人間たちと同じことをしている」からである。

ふつうは「みんながしていること」が「正常」であって、

「みんながしていないこと」が「異常」である。

みんなが思考停止している社会では、

思考停止していることが「ふつう」なのである。

そしてこれが現代日本社会のほんとうの病態なのだと私は思う。

(P.212~213)

 

赤信号、みんなで渡れば怖くない。

みんなで一緒に沈むなら安心だ。

 

こんなクソオヤジたちは

もうどうなってもいいでしょう。

 

個人的に思考停止しているだけならまだしも

中途半端に権力を握って

社会や会社を衰退させるなら

さっさと退場してくれたほうがいいですよね。

 

他者に向き合う作法とは、

一言で言えば、

「敬意を示すこと」である。

(P.283)

 

うん、とても大事。

だけど昨今は薄れる一方でしょうか。

 

評価

おススメ度は ★★★★★ と満点といたします。

 

内田さんの著書を見つけると

すぐに買ってしまう私ですから、

わりと古本が多かったりするのですが

今回は新作のうちに買って読みました。

 

やはり時流に乗った話題が満載ですので

臨場感が高いですね。

 

古い話題でもしっかり読ませるのが

内田さんの凄さでもありますが、

新しい本はすぐに読まなきゃいけないなと

しみじみ感じました。

 

それでは、また…。

 

 

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