おはようございます。
読書がライフワークになっている
医療業界のコンサルタント
ジーネット株式会社の小野勝広です。
これからの時代は
いったいどうなっていくのだろうか?
どんな社会が到来するのでしょうか?
その中で私たち個々には
どのような影響があるのでしょう?
どう生きていけばいいのか。
多かれ少なかれ
誰しもが不安を抱えているとは思います。
でも、それ、普通のことではないでしょうか?
きっと平安時代を生きていた人も
戦国時代を生きていた人も
江戸時代でも、明治でも、大正でも、昭和でも
み~んな未来への不安を持ちながらも
何とかかんとか生き抜いてきたと思うんですよね。
別にそんなにいい目に合う必要はないし
シャカリキに頑張ってもいいし
流れに身を任せてもいいでしょうし
生き方は人それぞれでいいのでしょう。
過去、現在、未来という時間軸。
私たちができるのは
過去から学び
現在をありのままの視点で見て
今よりも少しだけより良い未来を作るために
自分にできる範囲で
小さな努力を積み重ねていく。
それでいいのではないでしょうか?
最近は鵜の目鷹の目で
得してやろう、お金を稼ごう、
人を出し抜こう、いい目に合ってやろうと
何だかおかしな風潮が強くなっているように感じます。
まあ、そういう生き方もいいとは思いますけど
プレッシャーに疲れちゃいませんか?
自分らしく生きる。
ただ問うべきは
「自分らしく」って何だろう?
これだけだと思いますよ。
今回ご紹介する書籍は、
【 過去を「巨視」して未来を考える 】 です。
本書をピックアップした理由
『 過去を「巨視」して未来を考える 』
落合 陽一 NHK出版 を読みました。
今までも落合陽一さんの著書は
それなりに読んできました。
おそらく今日現在彼は37歳だと思われ
私よりも20才近くも年下なのですけれど
落合さんの活躍は他分野にわたり
また思想や哲学は
とても学ぶところが多いと思っていますし、
素直にリスペクトしています。
きっとこれからも彼の活躍に刺激を受けるでしょうし
著書も時々読んでいくのだろうなと思ってます。
本書はとてもサイズがデカくて結構重いんです。
持ち歩くのが大変そうだなと思ったのですが
それよりも「読みたい」「学びたい」という思いが勝ち
楽しみにしながら読み始めたのでした。
目次
第1部「半歩先の未来」を考える
特別編1 オードリー・タンと会う
特別編2 「大回復」へのプロローグ
~危機の後のブレイクスルー、新しい「啓蒙」
第2部 「大回復」への道 [社会編]
第3部 「大回復」への道 [カルチャー編]
感想
NHKの番組とのコラボのようですけど
まあそれは抜きにしても
さすがに落合さんの着眼点は非常に面白いです。
とにかく本書の守備範囲は広いですね。
この社会のすべてと言ったら言い過ぎですけど
かなり幅広い領域にフォーカスしていますし、
時代に関しても過去・現在・未来と
視点がすこぶる広いのです。
当然、そこに落合さんらしい
冷静さと客観性があり
なるほど…と思うところの連続でした。
コロナ禍に書かれたということもあり
世界中で様々な問題が起きていたわけですけど、
それをネガティブに捉えるのではなく
むしろポジティブに転換してしまう
その考え方には学ぶところが多かったです。
今だけカネだけ自分だけ。
現在はそんな風潮が強くなるばかりですけど
落合さんにそれはない。
過去も未来もしっかり見ているし
お金よりも大事なものを見つめているし
自分をいかに世のため人のために尽くしていくか
おそらく落合さんの頭の中は
こんな感じでしょう。
爪の垢を煎じて飲まねばならない人は
相当に多いだろうなと思いましたよ。
それでは恒例の私がグッと来た箇所をご紹介いたします。
いま私が考えているのは、
いかにして人類より長い歴史を持つ自然と
われわれが持っている自然観を一体化して、
ライフスタイルや
デジタルカルチャーを醸成していくかということです。
ヒントのひとつは、
コンピュータにあるでしょう。
生産量を1単位増やしたときに追加される
総コストの限界費用が低く、
小型で持ち運びしやすいデジタル機器は、
情報空間の上では
私たちを世界中のあらゆるところに
連れていってくれますし、
生活の利便性も高めてくれます。
私たちは、慣れ親しんだ物質世界から
デジタル世界に行く必要がありますが、
逆にデジタル世界から
物質世界を想像する必要性も感じます。
それは計算機と自然が親和した世界であり、
ある種、デジタルから見た
非デジタル性への郷愁である
「質量への憧憬」を覚える世界でもあります。
(中略)
質量を持つ存在と非質量の存在が
渾然一体となった世界が形成されつつあり、
私たちは昔よりはるかに思考、
考え方とともに自由になっていると思います。
自由な時代に何をすべきか、
どんな失敗を繰り返さないようにしていくか、
過去の事例を振り返りながら考えることが大切です。
(P.5)
これは「はじめに」に書かれていたのですが
ちょっと長いですけど
これこそ落合さんという文章と考えて
ご紹介させていただきました。
私たちはこれからどう生きていくのか?
そのヒントが満載なのだろうなと
この先を読み進めるのが大変に楽しみになりました。
どうすれば少数意見が圧殺されず、
他人に追従するだけではない
自分を持つことができるのか。
いまいる集団の同調圧力がつらければ、
自分が納得できる同調圧力を持った
別のコミュニティに動けばいいでしょう。
(中略)
自分を持つために、
いくつもの同調圧力を渡り歩く。
これもまたデジタル時代だから可能になったことです。
(P.71)
昨今では、同調圧力を批判し、
同調圧力のない世界を探す傾向にありますが、
落合さんはさすがですね。
同調圧力を渡り歩く。
どうせどこに行ったって
多かれ少なかれ同調圧力はあるんだよ。
嫌なら去ればいいし
自分なりに折り合いの付くところに行けばいいんじゃない?
ま、そこにも同調圧力はあるけどね…という
「達観」をお持ちのようです。
私も共感いたします。
文句を行ったって、
青い鳥探しをしたって無駄です。
大事なのはバランスと折り合い、
落としどころなんですよね。
これはもう厳然とした
人間社会の真理ではないでしょうか?
これまで私たちは、
役に立つ人間を育てることばかりに
とらわれてきたのかもしれません。
世の中に必要とされなければならないという
観念から解き放たれ、
海の底に潜って考えるーー。
それがもしかしたら、
世界を救ったり、
世界を変える大発明を生んだりするのかもしれません。
だからこそ、前述したように
「他者の共感性を見捨てずに、
かつ他者の共感性を無視する」のが
いいと思えるのです。
(P.89~90)
原因と結果なのかなと思いました。
私たちは結果に捉われ過ぎて
原因とかプロセスを軽視し過ぎたのかもしれません。
人間社会で生きるための
最低限のコミュニケーションだけ取れれば
あとは好きにやって良しということ。
犯罪を犯したり
人を足蹴にするのはダメですけど
人に迷惑を掛けない程度に
何でもやってみる。
それでいいのかもしれませんね。
お金がいくらあっても病気にはなる。
だからこそお金よりもっと大事な価値、
つまり「生きていくこと」に必要なものは、
等しく世界中の皆に
行きわたるようにしなければなりません。
(P.107)
ここはコロナ禍について
オードリー・タン氏と対談している箇所ですが、
資本主義を最優先とするのではなく
それよりも大事なものを
資本主義を活用して実現する。
つまり「手段」と「目的」を見間違えていけない。
そういうところに行きつくのだろうなと思いました。
これまでの経済では、
必ずどこかで資源の搾取、
物的資源あるいは人的資源の搾取が行われています。
誰かが凹んだぶん、誰かが得している。
でも、デジタルの世界なら、
資源は無限にあるから、
ほかの誰かを凹ませる必要はありません。
皆が同じスタートラインに立てるのです。
この新しい経済には、
人類の未来の大きな可能性があると思います。
(P.112)
資本主義社会の行き着くところは
「分捕り合い」です。
その限界がすでに社会のあちこちで見えてきて
絶望する人が増えていますね。
分け合えば余るのに
分捕り合えば足りなくなります。
人類の叡智が発揮されるか?
欲望に負けるか?
今はその分岐点ではないでしょうか。
事態が堂々めぐりになったり、
停滞したりしたとき、
「責任はすべて私にある」と動ける人を
どれだけ作れるかは、
政治や社会に取って重要なことではないでしょうか。
事態を動かす人を作るためには、
危険を承知で自らリスクをとりにいった人を
周囲が理解し、
評価する必要があります。
事なかれ主義では事態が動きませんし、
世の中には八方よしなものは
ほとんど存在しません。
未経験なことは、なおさらそうです。
それにどう向き合うかが大切ですし、
自分が「リスクをとった人を批判するだけの人間」に
なっていないかにも注意しなければならないでしょう。
(P.131)
日本社会の欠点でしょうか。
責任はすべて私にあると言える人が
果たしてどの程度いるのか。
そこが問われているのだろうなと思います。
「多様な心のあり方」と言いながら、
そう主張する本人が認める「多様さ」しか
ふくまれていない場合もあります。
その基準からはずれるものが排除されるなら、
本質的には不寛容と変わりません。
(P.214)
他者を許さないことで
自分を許す。
そういう風潮が強まるばかりですよね。
そこに意味は全くありませんけど。
共感は人間の社会的本能の最も重要な要素です。
社会を変えようとするなら、
理論にもまして共感が必要となります。
(中略)
これまでひとりでは声をあげにくかったことでも
以前よりあげやすくなり、
国をも動かすことが可能になりました。
(P.218)
共感、つまりコミュニケートですよね。
ひとりよがりのコミュニケートでは
誰も共感してくれません。
共感の輪を広げることができるかどうかは
その人の知性であり、哲学でもある。
キャリアや人生が問われますね。
年長の世代のなかには、
「昔は許されていたことが、
いまは許されなくなった」と言う人がいますが、
それは違うように思います。
セクハラは本質的にマジョリティとマイノリティ
ヒエラルキーの上と下の問題です。
昔も「許されていた」わけではなく、
単純にマイノリティ側が声をあげなかったり、
ヒエラルキーの下部構造にいる人が
権威構造に対して
文句を言わなかったりしただけではないでしょうか。
(P.252)
はい、そう思います。
今どきハラスメントをするような人は
島流しでいいのではないでしょうか。
人権侵害ですし
これは許してはならない
とても良い時代になったと思います。
そもそも人類がやっていることは、
たいていが無駄です。
文化や価値は無駄から生まれてくることが
ほとんどです。
(P.317)
いい達観ですね。
ここまで達観すれば
いろんなことが見えてくるのだと思います。
どうしても我々は意味を問い、
欲に負けますけど
その程度の人間には見えないことが
この世の中にはたくさんあるのだろうなと
思わず唸りました。
評価
おススメ度は ★★★★☆ といたします。
素直に面白かったですし
勉強にもなったんですけど、
この大きなサイズはどうだろう?
しかも重いし。
なんて本編とは全く関係ないのですが
読む人のことを考えたら
もうちょっと何とかして欲しかったな。
ま、どうでもいいですし、
内容は素晴らしかったですけどね(笑)
それでは、また…。
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