ある読書好き医療コンサルタントの「書評」ブログ!

年間60~70冊ほど読んでます。原則毎週日曜日に更新しますが、稀にプラスαもあります。本好きの方集まれ!

人間の学としての倫理学

 

おはようございます。

 

医療現場で奮闘する医療従事者に

シェアハピネスの輪を広げる

ジーネット株式会社の小野勝広です。

 

昨今のご時世を見ていて、

倫理を学ぶ必要を感じまして

何かいい本ないかなと探しておりまして

偶然にも辿り着いたのがこの本でした。 

 

本日のブログのタイトルは、

【 人間の学としての倫理学

といたしました。

 

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本書をピックアップした理由

 『 人間の学としての倫理学

和辻 哲郎 岩波新書 を読みました。

 

冒頭書いたように

倫理を学べる本を探していたんです。

 

そこで出会ったのが本書。

 

和辻哲郎さんは様々な著作で引用される事も多く

以前より興味があったんですね。

 

倫理そして和辻哲郎

これは買わねば…と思い、

購入そしてすぐに読み始めたのでした。 

 

目次

第1章 人間の学としての倫理学の意義

・「倫理」という言葉の意味

・「人間」という言葉の意味

・「世間」あるいは「世の中」の意義

・「存在」という言葉の意味

・人間の学としての倫理学の構想

アリストテレスのPolitike

・カントのAnthropologie

・コーヘンにおける人間の概念の学

ヘーゲルの人倫の学

・フォイエルバハの人間学

マルクスの人間存在)

第2章 人間の学としての倫理学の方法

・人間の問い

・問われている人間

・学としての目標

・人間存在への通路

・解釈学的方法 

 

感想

本書が書かれたのは昭和9年。

う~ん、スゲー…。

 

倫理とは何か?

倫理の解釈。

 

わかりにくい問いを

懇切丁寧に解きほぐしていく本書。

 

そのアプローチは

人間、世間、存在といった

私たちの身の回りにあるものを

深く丹念に考察していき、

根源的な問いに答えを導き出していく。

 

アリストテレス、カント、コーヘン、

ヘーゲル、フォイエルバハ、マルクスなど

当時のヨーロッパの最新の思想を紐解きながら

展開される和辻論の根底には

常に「人」が存在しており、

それが本来的な倫理の基礎であることが理解できます。

 

倫理学を人間の学として位置づけ、

人ありきの倫理、

人ありきの社会、

人の間柄にこそ倫理があるという展開は

徹底的なリアリズムであり、

本質を決して見誤らないという

和辻哲郎さんの倫理学に対する

執念のようなものを感じつつ読了。

 

現代人はもっと倫理を学ぶべきだな…と

つくづく痛感しました。

 

それでは恒例の私がグッときた箇所をご紹介します。

 

倫理学とは

人間関係、人間の共同体の根柢たる秩序・道理を

明らかにしようとする学問である。

(P.17)

 

かかる場合に世間・世の中が

人の社会を意味することは極めて明白であり、

従ってその間や中が

社会というひとつの場面の中を意味するのではないことも

明らかに看取せられる。

(P.36)

 

倫理学はかくのごとき倫理の学であり、

従って人間関係の学でなくてはならぬ。

(P.47~48)

 

アリストテレスにおいて「人」の哲学が

同時に「社会」の学であるところに、

人間存在の個人的・社会的なる

二十性格が把捉せられていると言ってよい。

従って彼の「人の哲学」は、

内容的には「人間の学」となっているのである。

(P.55)

 

人が動物と異なって言葉を持つことは、

弁別すなわち理性を持つことにほかならない。

そうして言葉すなわち理性による自他の合一関係が

人間共同体の根柢なのである。

このことは人間関係が自他の間の理解的交通であり、

そうしてこの理解がすでに善悪正不正の弁別を含む、

という意味に解し得られるであろう。

(P.64~65)

 

しかるに自我を産む他者は、

ちょうどそれが他者であるというその理由をもって、

人の多数性なのである。

なぜなら、人の多数性はどこから来るか、

第二の人、傍の人はどこから来るか、

という問いに答えるものは

まさに他者の概念にほかならぬからである。

(P.93)

 

法人の自覚は国家の概念である。

そうして国家の概念は

倫理的自覚の最も精確なる模範である。

人は誤って国家の概念を支配の概念のもとに考えるが、

しかし国家の概念は人の総体性を示すのであって、

権力の支配組織や財産関係を意味するのではない。

現実の国家がいかに支配権力の悪用の上に立っていようとも、

国家の概念はそれには煩わされない。

国家の概念が意義を持つのは、

倫理的な自覚の指導概念としての

その価値においてである。

だから国家の概念は人の統一の概念と相覆う。

(P.94~95)

 

そこでこの幸福を求める道が、

活動的理性の段階として

快楽、心の法則、徳の三者において取り扱われるのである。

しかしこれらのものは

理性的自己意識を実現することはできない。

むしろ逆に必然的現実的な

世界過程の覆すべからざる力を経験し、

それによって打ち克たれる。

そこで実現せらるべき普遍的実体は

むしろその否定態において、

すなわち自足的個人の立場において現れることになる。

(P.141~142)

 

だから人は一切のイデオロギーを作り出す以前に、

その実質的な存在において、

すでに動物と異なっている。

しかもかく人を動物より区別する生産は、

初めより社会的すなわち人間的であって、

単に個人的ではない。

孤立的に存在する「人」が

ある発展段階において社会を形成するのではなく、

人が人となったときにすでに社会的なのである。

すなわち「人」は初めより「人間」なのである。

従ってこの人間存在における自他の交通が、

意識を産み、言語を産む。

(P.170)

 

そこには学び問われる「こと」が

探求の目標として目ざされているとともに、

その探求が学び問うという

人間関係において行なわれるのである。

従って学問とは探求的な間柄であり、

探求せられる「こと」は

人間の間柄に公共的に存すると言ってよい。

このことは問いが根本的に

「人間の問い」であることを意味する。

(P.182)

 

社会は「人間」である。

社会の学は人間の学でなくてはならない。

従ってそこでの根本問題は人と人との間柄である。

(P.232)

 

人間生活の静的構造ではなくして、

運命的に動き行く生の動的構造である。

生の解釈自身が動的解釈であるとともに、

かく解釈せられる生の根本構造もまた動的なのである。

人間の生をその生自身から理解するという

生の哲学の方法的原理は、

ここのその核心を持っていると言ってよい。

(P.241)

 

評価

おススメ度は ★★★★☆ といたします。

 

哲学とか倫理学って

難しい印象を持っている方も少なくないと思います。

 

かく言う私も今だに難しいと思っていますし、

読み終えた今となっても

果たしてどこまで理解できたのか?と

不安があるのも事実です。

 

しかし100%の理解って

哲学や倫理においては

存在しないのではないかと思うのです。

 

答えを見つけるより

常に探し続けた方が良いのではないでしょうか。

 

その意味では本書は様々な考える

きっかけを与えてくれます。

 

さすが日本倫理学の序章と言われるだけあります。

 

やはりあれですかね、

アリストテレスプラトン

カントやヘーゲルマルクスなど

外国人の著書には翻訳が入り、

どうしてもその翻訳によって

わかりやすさは大きく食い違います。

 

その点、和辻哲郎さんは日本人。

私たち日本人には

何となくわかりやすさがあるかもしれません。

 

和辻哲郎の著書の中では

本書は入門書的位置づけ。

う~ん、充分に難しかったけど…。

 

しかし本書が出版されたのは昭和9年

人類は倫理的には進化していないどころか、

むしろ退化しているのかもしれませんね…。

 

それでは、また…。 

 

 

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