ある読書好き医療コンサルタントの「書評」ブログ!

年間60~70冊ほど読んでます。原則毎週日曜日に更新しますが、稀にプラスαもあります。本好きの方集まれ!

コロナ後の世界

 

おはようございます。

 

読書がライフワークになっている

医療業界のコンサルタント

ジーネット株式会社の小野勝広です。

 

圧倒的な読書家。

 

私の目指すところでもあるのですが、

主に読書は電車内でするものになってますので

さすがにそこまでは届きません。

 

仕事を引退したら

読書三昧の生活をしたいのですが

その頃にも当ブログは続けていきたいんです。

 

70才とか、80才になった時に

どんな本を読むのか?

実は今から楽しみなんですよね。

 

今回ご紹介する書籍は、

【 コロナ後の世界 】 です。

 

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本書をピックアップした理由

『 コロナ後の世界 』

内田 樹 文芸春秋 を読みました。

 

まあ恒例の内田本ですから

別に理由がなくても手にするのが

私の気質みたいなものですから

定期的に読みたくなります。

 

ただ今回は「コロナ後」がテーマのようです。

 

いつになったら終息するのか?

もしかしたら終息なんてあり得ないのか?

 

コロナ後も気になりますが

こういったパンデミック

私たちはどう受け止めて

どのように考え行動すればよいのか?

 

内田さんの見解を是非とも知りたく

楽しみに読み始めたのでした。

 

目次

1 コロナ後の世界

2 ゆらぐ国際社会

3 反知性主義と時間

4 共同体と死者たち

 

感想

さすがの内容です。

私自身はとても勉強になりました。

 

四の五の言うよりも

私のグッと来た箇所をご紹介したほうが

きっと多くの方が関心を持ってくれるのではないかと思い

いつもの如くご紹介いたします。

 

僕は今の日本社会を見ていて、

正直「怖い」と思うのは、

人々がしだいに「不寛容」になっているような

気がすることです。

言葉が尖っているのです。

うかつに触れるとすぐに皮膚が切り裂かれて、

傷が残るような「尖った」言葉が行き交っている。

だから、傷つけられることを警戒して、

みんな身を固くしている。

(P.1)

 

これ、すごくわかります。

とにかく誰かを攻撃したくてしょうがない。

それが自分にとっての免罪符のようになってますよね。

 

たぶん誰も得をしない問題の大きな風潮のように感じます。

コロナがこれに輪を掛けているようにも思いますし

このまま進んだらどうなってしまうのか…

本当に心配です。

こんな社会は誰も望んでいないはずなのに。

 

「子どもでもできること」を

大人たちがしなくなっている。

それが問題なんじゃないかと思います。

特に「賢い」つもりでいる大人たちが

「親切であること」の価値を顧みなくなった。

(P.6)

 

人に優しく。

思いやりを持って接する。

ホント社会の基本ですよね。

でもこんな当然のことができなくなっているのが現代社会。

 

大人の1人として責任を感じますし

子どもたちがあまりにも不憫です。

 

コロナ・パンデミック

私たちのシステムのどこが脆弱であるかは

かなり鮮やかに可視化された。

今回わかったことの一つは

(あまり指摘する人がいないが)

アメリカの世界戦略に

大きな「穴」があったということである。

(中略)

艦船は感染症にきわめて弱いということであった。

同時に、軍隊という組織も、

その性質上、閉鎖空間に、

斉一的な行動を取る大量の人間が

集住することを余儀なくされるわけであるから、

感染症にきわめて弱い。

つまり、艦船と軍隊は感染症に弱いのである。

潜水艦は空母よりさらに感染症に弱い。

乗員に許された空間の狭さと換気の悪さは

空母の比ではない。

ということは、パンデミックが終息するまでは、

軍事的緊張のある地域に空母を派遣して、

それを母艦にして戦闘機やヘリを飛ばして

制海権・制空権を抑え、

潜水艦からミサイルを撃ち込むという

伝統的なアメリカの海外派兵スキームが

使えなくなったということである。

(P.23)

 

歴史を振り返れば

世界最強とか、無敵というのは

永遠ではないんですよね。

 

アメリカは新たなスキームを作るのか?

それとも穴を埋められないのか?

 

私たちが自分の生涯の仕事とするものは多くの場合、

自己決定して選択したものではない。

もののはずみで、誰かに「呼ばれて」、

その場に赴き、その仕事をするようになって、

気がついたらそれが天職になっていた。

そういうものである。

そして、多くの場合、天職となるのは、

「まさか自分がそんなことを職業とするようになるとは

 思ってもいなかった仕事」である。

(P.26)

 

これは転職エージェントを20年もしていると

とてもよくわかります。

 

キャリアの偶然性というか、運命性ですね。

でも準備ができていないと

チャンスを見逃し、天職と出会えません。

 

それは「自分が見ているものだけに基づいて

状況を判断しない」という節度を保つことである。

(中略)

正常性バイアスの解除とは

いたづらに怖がることではなく、

自分が見ているものだけから

今何が起きているかを判断しないこと、

自分が現認したものの客観性・一般性を過大評価せず、

複数の視点から寄せられる情報を総合して、

今起きていることを立体視することである。

(P.32)

 

自分が見えていないもの。

そこに想像力を働かせないといけませんね。

 

人間は運がいいときには「先手を取り」、

運が悪くなると「後手に回る」というものではない。

「後手に回る」人間は必ず後手に回る。

それは一つの心的傾向なのである。

そして、私たちの社会は

そのような心的傾向の涵養にたいへん熱心である。

(中略)

「後手に回る」というのは、

まず「問い」が与えられ、

それに対して適切な「答え」をすることが

求められているというスキームで

ものごとをとらえる習慣のことである。

(P.58~59)

 

コロナ後はある意味ではチャンスからもしれません。

旧態依然とか既得権を覆すことが可能です。

そのためには私たち個々も旧弊にしがみつかず

先手を取っていかねばなりませんね。

 

私たちの社会には、

リスクヘッジ」という言葉も、

「フェイルセーフ」という言葉も、

「バックアップ」という言葉も存在しない。

外来語としては存在するが、

日本語には存在しない。

それは、私たちの社会に

伝統的にそういう概念が存在しなかったからである。

日本社会では、「先手を取る」ことを誰も求めないし、

誰も評価しない。

そもそも「先手を取る」という生き方があるということさえ

アナウンスされていない。

だから、全員が組織的に「後手に回る」ことになる。

そのことに気づかない限り、

日本人はコロナ禍の最後まで

「後手に回り」続けることになるだろう。

(P.62)

 

先手を取るということは

当然、リスクを取らねばなりませんから

まずはリスクテイカーとして

先行者利益を目指すよう考え方を変える必要がありそうです。

 

彼らは「必要なものは、必要なときに、

必要な量だけ、市場で購入すればいい」と信じている。

しかし、パンデミックによる医療崩壊というのは

「必要なものが、必要なときに、必要な量だけ、

 市場で調達できない」から起きるのである。

(P.78)

 

必要なものを、不要なときに、

どこまで揃えておくのか?

これは国家戦略と言えるでしょう。

政治家の若返りが必要ですね。

 

それゆえ独裁制においては

すべてのシステム上の不具合は

個人的悪意に帰される。

システムは完璧に設計されていたのであるが、

「裏切者」「非国民」「第五列」がシステムに潜り込んで、

意図的にシステムを壊乱させたので、

このような災禍が起きた…という話になる。

だから、その「ワルモノ」を探し出して、

粛清すれば一件落着となる。

しかし、属人的な原因に帰している限り、

システムそのものの設計ミスや制度疲労は検出できない。

不出来なシステムを「完璧」だと言って運転し続ければ、

やがて破滅的な事態に至る。

かなり出来のよいシステムだった場合でも、

環境は必ず変化する。

統治機構もまた一種の生き物である。

環境の変化に適応して変化しなければ

生き延びることはできない。

(P.82)

 

効率的に統治するなら独裁が最適です。

でも独裁には構造的な欠点があり、

人類は何度も痛い目に合ってるんですよね…。

 

ヒロイズムは要らない。

使命感も要らない。

肩肘張らずに「市民」としての義務を果たし、

務めが済んだらさっさと「市井の人」として暮らす人、

それが「大人」である。

(P.85)

 

普通の大人って何だろう?

そう思い悩む必要があるような気がします。

 

学術においては、

人々は「正解」を積み重ねて先に進むのではなく、

「誤答」を修正しながら先へ進む。

学知は無謬をめざさない。

自説の修正のあらゆる可能性に対して開かれてあること、

それが「科学的」ということである。

このポパーの「科学」の定義に私は同意の一票を投じる。

その政治的言動の瑕疵を指摘されたときに、

不利な証拠を隠蔽したり、

データを改竄したり、

「その指摘は当たらない」と言い抜ける能力を持つ政治家は

そうでない政治家よりも生き延びるチャンスが多い

(少なくとも日本ではそうだ)。

だが、反証事例を示されても、

あれこれと言い逃れたり、

不利な証拠を隠蔽したり、

データを改竄したりして、

自説の無謬性に固執する学者は

学術の世界からは永久放逐される。

政治と学術ではものごとの理非の基準が違う。

まずそのことを認めないと話が始まらない。

(P.163)

 

日本学術会議の件ですが、

おっしゃる通りと思います。

 

政治は学問に口出ししてはならず、

逆に学問は政治に口出しすべきではないでしょうか。

 

政治家の器が小さくなってるのでしょうね…。

 

日本では政策の適否に判断を下すマーケットとは

選挙での獲得議席のことだという

話になってしまったからである。

どんな失策を重ねようと、

議席占有率が過半数を超えている限り、

それは「マーケットが経営判断を支持した」と解釈される。

(P.176)

 

政治はコスパを優先してはいけません。

コスパも考慮する必要はありますが、

コスパが悪くともしなければならないことは多いですから。

 

人が「ふるえる」のは、

自分が長い時間の流れの中において、

「いるべきときに、いるべきところにいて、

 なすべきことをなしている」という

実感を得たからである。

「いるべき」ときも、

「いるべき」ところも、

「なすべき」わざも、

単独では存在しない。

それは、死者もまだ生まれぬ人たちをも含む

無数の人々たちとの時空を超えた協働という

イメージをありありと感知できた人間のうちのおいてのみ、

「私以外の誰によっても代替し得ない使命」という

概念は受肉する。

(P.196)

 

謙虚に生きる。

よい意味で自分を消して

人類に、社会に、貢献すべきなのでしょうね。

それが結果的に自分に跳ね返ってきます。

 

自分の言っていることを信じていない人間は

自分の言っていることを信じている人間よりも

論争的な局面ではしばしば有利な立場に立つという事実である。

(P.211)

 

要は嘘つきは時に有利であるということですね。

社会悪だとは思いますけど。

 

書物というのは外部への回路です。

書物は読者を「今ではない時代」

「ここではない場所」に連れてゆく力を持っています。

(P.228)

 

本好きの私としてはすごくよくわかります。

本さえ読んでればバカにはならないと思ってます(笑)

 

古代の哲人が教えるように、

あらゆる学びは「無知の自覚」から始まる。

そこからしか始まらない。

自分がいかにものを知らないのかを知っている人だけが

学びに向かう。

自分が何を知っているのかのリストを長くすることが

知的活動だと思っている人間は

ついに学びとは無縁である。

(P.235)

 

無知の知

自分が何を知らないかを無視して

自分の知っていることだけ話す人は

人間関係が成立しにくいですしね。

それがその人の限界でしょう。

 

他人が相手なら、

「めんどうくさいから少し話を急がせよう」とか

「引証はこの程度で結論に進むか」と

いうようなこともあるかも知れない。

でも、自分が相手なのである。

自分相手に説明の手を抜くということはありえない。

自分が納得しなければ話が終わらないのだから。

(P.268)

 

橋本治さんについて書かれた内容ですが

自分にウソを付かない姿勢って

物事の本質に辿り着くための大原則かもしれません。

 

評価

おススメ度は ★★★★★ と満点といたします。

 

コロナ後をどう生きるか?

現代社会をどう考えるか?

 

こういったものが知りたい方には最適の書です。

とても勉強になりますから絶賛おススメいたします。

 

それでは、また…。

 

 

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