ある読書好き医療コンサルタントの「書評」ブログ!

年間60~70冊ほど読んでます。原則毎週日曜日に更新しますが、稀にプラスαもあります。本好きの方集まれ!

ブルシット・ジョブと現代思想

 

おはようございます。

 

読書がライフワークになっている

医療業界のコンサルタント

ジーネット株式会社の小野勝広です。

 

本当に価値観が多様化した時代だと思います。

 

わかり合える人とは

わかり合えるけど、

わかり合えない人とは

トコトンわかり合えません。

 

単なるジェネレーションギャップの問題ではなく

私には価値観の相違が

あまりにも広がっているように感じます。

 

どこまで理解すべきか?

たぶんそういう問題でもなくて

価値観の本質的な部分に斬り込まないと

全く理解不能ではないかとすら思うんですね。

 

哲学的なアプローチが

欠かせない時代とも言えるでしょうか?

 

今回ご紹介する書籍は、

【 ブルシット・ジョブと現代思想 です。

 

 

本書をピックアップした理由

『 ブルシット・ジョブと現代思想

大澤 真幸 千葉 雅也 左右社 を読みました。

 

もう20年以上も転職支援を仕事にしてきて

キャリアに関しては

「一家言」を持っていると自負する私としては

ブルシットジョブという言葉に反応してしまいました。

 

まして対談相手の千葉雅也さんの著書は

下記を読んだことがあります。

 

ka162701.hatenablog.com

 

これは運命的なものを感じて

課題図書のようなものだと思い

しっかり仕事にも役立てようと考えて

本書を手に取った次第です。

 

目次

対談

千葉雅也+大澤真幸 勉強と仕事 『勉強の哲学』をめぐって

勉強の必要性と必然性

身体なき知の暴走

文理科目とイメージの有無

実在論とガブリエルの狭間

享楽による「中断」

アーレントと「ブルシット・ジョブ

 

論文

大澤真幸「クソどうでもいい仕事(ブルシット・ジョブ)と記号(シーニュ)」

Ⅰ ブルシット・ジョブ現象

1 ブルシット・ジョブ現象

2 ブルシット・ジョブとは何か? それはなぜ辛いのか?

3 グレーバーによる説明

 

Ⅱ ブルシット・ジョブはなぜ生まれ、増殖するのか

1 行動経済学の二つの実験

2 二種類の物神性― ブルシット・ジョブはなぜ発生し、増殖するのか

3 抵抗の拠点はどこに

 

Ⅲ 〈記号〉へ

1 失われた時を求めて

2 勉強の物語として

3 資本主義への抵抗としての有意味な仕事

 

感想

う~ん、率直に申し上げて

ちょっと残念に感じてしまいました。

 

もっとブルシットジョブについて書かれていると

大きな期待を持っていたのですが、

千葉さんとの対談にしても

どうも論点がブレブレな感じなのです。

 

とはいえ現代思想に特化している感じでもなく

何だかあっちに行って、こっちに来てと

テーマが飛ぶので内容も飛んでしまっています。

 

確かにブルシットジョブについても触れているのですが

ここでも深く追求するのではなく、

例え話で理解度を高めようと意図している話しが

逆にわかりにくくなっていて

こんな言い方をしたら申し訳ないのですが

ちょっと外れだなと思ってしまいました。

 

まあ、そうは言っても

学ぶべき点は多少なりともありましたので

ここで恒例の私がグッときた箇所をご紹介いたします。

 

しかし、西洋の知だけは違う。

とくに近代科学以降の知は違う。

われわれは、つまり人間は、

まだ(真理を)知らない、というのが根本前提です。

つまり、知は充足していない。

はっきりしているのは、

「まだわれわれは知らない」という知だけです。

なので、科学の場合、

あるいは近代の学問の場合、

知は、すべて仮説です。

つまり、科学は、真理の体系ではなく、

仮説の体系、真理かもしれないものの体系、

真理の候補の体系になる。

すると、知の体系というものは、

充足しないものになる。

真理を知らないのですから、

真理へと近づこうとする渇望が生ずる。

(P.27~28)

 

要は無知の知ということでしょうけど

それがあるから真理に近づこうとすると思うと

知を充足させないって

大事な姿勢なんだなと痛感します。

 

つまり自然科学において、

認識は「現実的なもの」と

「象徴的なもの」の組み合わせで成り立っているのですが、

文系の学問はそこにイメージの次元で

「想像的なもの」が狭まってくる、というのが

ポイントだと思います。

(P.36)

 

文系人間の私としては

この「想像的」というところにピンと来ました。

想像するから現実的なものを作れるのだし

想像するから象徴的なものに気づくのかもしれません。

 

ここでまず注目しておきたいのは、

「労働」と「仕事」です。

両者はどう違うのか。

アーレントの定義では、

労働というのは、

動物的な生命維持活動の一環です。

それに対して「仕事」は、

世界になにか有意味なもの、

永続するものを作り、残すことです。

英語のworkと、

「仕事」であると同時に「作品」でもある。

要するに、仕事は、

広い意味での作品を制作するということです。

(P.54)

 

労働と仕事の定義が

これで正しいのかは私にはわかりませんが、

意味合いとして考えると

私たちはもっと仕事をすべきであって

早く労働から脱却すべきなのでしょうね。

 

BSJは、特定の業種、特定の組織、

特定の国で増殖しているわけではない。

BSJは、資本主義システムの中心で、

大規模に、同時進行的に増殖している。

この事実から次のように推測することができる。

すなわち、BSJ増殖の根本原因は、

資本主義という社会経済システムの

総体を規定している要素に関連しているはずだ、と。

(P.75)

 

ちなみに「BSJ」とはブルシットジョブの略です。

 

資本主義に責任を被せていいのかは

もう少し深い考察が必要な気がしますけど、

確かに資本主義の限界が近づいている感はありますし

早く資本主義を進化させねばならないと思います。

 

資本家と労働者の関係性を

新たなものにしないと

両者が崩れ落ちていくんじゃないでしょうか。

 

働き方改革の本質は

資本主義の限界にあるように感じます。

 

資本主義化の社会変動の中で、

たまたまいくつかの部分に不具合や不合理があって

BSJが発生しているだけではない。

組織の中に無能な上司がいるとか、

昔作ったルールが現状と齟齬をきたしているとか、

複雑な因果関係を読み切れずに実行してしまった

制度改革やルール変更が

かえって無駄な仕事をたくさん作ってしまったとか、

そういったことだけで

BSJが増殖しているわけではないのだ。

そうではなく、資本主義化というものが、

ただそれだけで、その内部の仕事の意味を削ぎ落し、

仕事を全体としてブルシット化する作用をもつのである。

さらに付け加えておけば、

仕事の時間指向もまた、

同じ社会変動の中で生まれてくる。

すべての物が商品になるということは、

物が一律に、貨幣(という一般的等価形態)の量で

表現されるような一元的な価値をもつということである。

その価値は、その物=商品を存在させるのに投入された、

抽象的労働(=具体的労働)の量を表している。

その量は、時間で測られる。

抽象的時間の観念は、

抽象的労働の観念と表裏一体の関係にある。

したがって、結論的に言えば、

「商品の物神性」の世界の成立と、

抽象的労働=抽象的時間の観念の成立とは、

同じことの二側面だと言ってもよい。

(P.102~103)

 

資本主義の構造的な欠陥といいますか

仕組み的な問題といいますか

これでも少し前までは機能して

世界を発展させてきたわけですが、

現代社会、現代人とは

少し合わなくなってきているのは間違いないでしょう。

 

どこかで逆襲をするとは思うのですが

しばらくはブルシットジョブに代表されるような

労働者側の攻撃が続きそうに思います。

 

逆に言うと、BSJとは、

物のうちに本源的に刻まれている問いが、

まったく読めず、聞こえないのに、

何らかの社会的な力関係の中で強いられている仕事である。

上司や管理者の命令はよく聞こえる。

しかし、自分が仕事において

かかわろうとしている対象に即した、

問いは聞こえてこない。

とすると、それは、

世界から求められてはいない仕事かもしれない。

無意味で、不必要な、それどころか、

もしかすると有害でさえあるかもしれない。

こんな感覚を払拭することはできなくなる。

とするならば、それはきっとBSJである。

(P.133)

 

見えないものはわかりにくいから

見えてわかりやすい

上司や管理者のせいにして

ブルシットジョブを毎日する。

 

仮にそれが抗えないものだとしても

それはどうでしょうね?

 

個人にできることもあるはずだし、

私にはある種の自業自得、

つまり何もアクションを起こさない

本人にも責任があるように感じますけど。

 

繰り返し強調してきたように、

答えは、問いの普遍性に対して

不十分なものとならざるをえない。

答えは、常に不完全で、

問われていることに十全には応じられていない。

しかし、芸術作品だけが、完全な「記号」で、

潜在的な問いに対する過不足なき解答である…と

言いたいところだが、そうではない。

芸術は、何か具体的な内容のある問いに

答えているわけではない。

芸術は、「問いー答え」という形式的な関係そのものを、

物質的に表現しているのだ。

(P.137)

 

本書では芸術はブルシットジョブではないという

主張をしているのですが、

そもそも芸術って労働でしょうか?

仕事と言っていいでしょうか?

 

私にはそもそも論として

別種のものと感じるのですが。

 

自分の問題を、

自分だけのもんだいではなく構造的な問題として

メタ的に認識すること、

つまりは、その環境に「いながらもいない」思考を

身につけることが必要なのだと。

(P.150)

 

これは深い勉強を始めるために必要な姿勢。

素直にそうだなと納得しました。

 

評価

おススメ度は ★★★☆☆ といたします。

 

ブルシットジョブで貫き通せばいいのに、

千葉雅也さんとの対談や

彼の著書である「勉強の哲学」に触れ過ぎていて

どうも論点がズレまくっているように思いました。

 

著者の大澤真幸さんは社会学者らしいけど

やはりキャリアとか、仕事、職業という範疇には

少し遠い人生を歩んでいるように感じました。

 

キャリアについて考え続けている人ならば

もっとブルシットジョブだけで1冊書けるはずなのに。

その点がかなり残念でした。

 

それでは、また…。

 

 

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