おはようございます。
読書がライフワークになっている
医療業界のコンサルタント
ジーネット株式会社の小野勝広です。
何のために、
誰のために勉強すべきなのか?
別に正解があるものではありませんけど
私はキャリアのために
未来のために
他者のために勉強するのが
長続きするコツではないかと考えています。
あ~あ、もっと勉強しておけば良かったな。
将来そんなふうに思うことがないように
興味のある分野は
積極的に学んでおきたいと
強く思う50代半ばの春です…。
今回ご紹介する書籍は、
【 若者よ、マルクスを読もう 甦る『資本論』 最終巻 】 です。
本書をピックアップした理由
内田 樹 × 石川 康宏 かもがわ出版 を読みました。
2022年9月から読み始めた若マルシリーズ。
ついに最終巻に辿り着きました。
そもそも内田さんと石川さんの書簡のやり取りも
15年とか長期間掛けているわけですから
それと比較すれば
わりと早く読んだほうなのかな。
ちなみに今までの書評は下記の通りです。
正直、最初は
あんまり期待せずに読み始めたのですけど
一気に引き込まれてしまい
このシリーズは全部読まねばならないと考えて
すべてポチっと購入してしまいました。
自分のタイミングで
よし、今だと読んできまして
ついに最終巻を読もうと決めた時には
ワクワク感とともに
実はこれで終わってしまうのかという
若干の寂しさを感じながら
それでも勉強する気が満々で読み始めたのでした。
目次
まえがき 内田樹
Ⅰ その沿革、概要、最近の研究成果
ー石川康宏第1書簡(2021年2月15日)
Ⅱ 資本が初めて生身の人間にふれた時
ー内田樹第1書簡(2021年5月8日)
Ⅲ 「未来社会」はどう描かれているか
ー石川康宏第2書簡(2022年6月27日)
Ⅳ 「大洪水」とは何かー資本主義と世界の未来予測
ー内田樹第2書簡(2023年1月11日)
Ⅴ 関連文献
『イギリスにおいける労働者階級の状態』について
『若者よ、マルクスを読もうⅡ』中国語版への序文
感想
ある種の達成感を感じつつも
このシリーズと出会えたことに
心から感謝しています。
若者を対象にはしていますけど
50代半ばのおっさんでも
大変に面白かったですし、
実に勉強になりました。
何年かしたら
再び、若者よ、マルクスを読もうみたいな感じで
復活編もあり得るかも?と
変な期待をしながらも
今回はマルクスの代表作である
「資本論」が中心ですので
これでようやくマルクスの一端を
ちょっとだけ理解できたような気になります。
自分の境遇に当てはめながら
大切と思うところは
何度も読み返しながら
じっくりと噛み締めながら読みました。
中国や韓国でも翻訳されているようですし
本書はそれこそドイツやイギリスなど
ヨーロッパ諸国の人にも
読まれて欲しい傑作であると思います。
著者の目指すところは
マルクスを読もうということですが
随分昔に読んで理解できなかった資本論も
このシリーズを読んだ後なら
何となく読めそうな気になります。
いずれ再チャレンジしようかなと
本気で考え始めました。
それでは恒例の私がグッと来た箇所をご紹介いたします。
労働者はその労働を通じて富を創出しています。
労働者こそが富の源泉です。
でも、その労働者は自分が創出した富を奪われて、
赤貧の状態におかれている。
労働者が富を生産すればするほど、
ますます収奪は過酷なものになり、
彼らから収奪する者はますます強大になっていく。
そういう不可逆的な「過程」がすでに始まっていて、
もう止まらなくなっている。
(P.53)
資本主義の限界でしょうか。
資本家と労働者が対立しないで
協働できる形を見い出すべきなのが
令和の時代の資本主義ではないかと考えます。
資本制生産方式は歴史的な構築物です、。
資本家も、労働者も、
気がついたらすでにその「過程」に巻き込まれていた。
そして、資本家は収奪することを、
労働者は収奪されることを
制度的に強いられている。
資本関係というのは
「一方に資本家を、他方には賃金労働者を生産し、
再生産」する仕組みなのです。
(P.59)
1000年後から見たら
そんな時代もあったよね…と
しみじみ振り返ることができるように
ネオ資本主義に挑戦すべきなのが
現代を生きる我々の責務なのかもしれません。
相当に良くはなってきているでしょうし、
歴史のなかに「資本論」を埋もらせることなく、
語り続けていかねばならないのでしょうね。
農村労働者の没落は
農業の近代化によって引き起こされました。
大規模な灌漑施設の造成、
蒸気機関の導入、
化学肥料の使用、
集約農業への転換などが近代化の特徴です。
もちろん近代化によって
土地の生産性は劇的に向上します。
そして、生産性が上がれば労働者の数は減少します。
農業労働者の絶対数は減少し、
その生活水準は劣化してゆきます。
(P.68)
この農業を他の言葉に変えても
何だか通用しそうで怖いです。
これからAIに駆逐されるものは増えるでしょうから
私たちは常に新たな発見や発明をして
駆逐の連続を楽しむくらいになりたいものですね。
いずれ原初的なプロセスが完了したあとには、
「あらたな変貌」を遂げて、
次のプロセスが始まることを
マルクスは予言します。
資本主義の終焉に向かうプロセスです。
「原初的」の次はいきなり「末期的」です。
このプロセスでは資本家自身が収奪の対象になります。
一人の資本家が存在するために
多くの資本家が虐殺される。
より高い生産性、より大きな利益、
より巨大な暴力を持つ者のところに
排他的に資本が集中する。
(P.83)
この100年を考えても
資本主義は何だかんだと言いつつも
突破口を見つけてきたように思います。
もしいずれマルクスが予言したように
資本主義の終焉が来るのだとしたら
その時には人間や社会は
相当にぶっ壊れているのだろうなと
恐怖を覚えますね。
ひとつ間違えたら
驚くほどにすぐにその日が来るかもしれません。
「鉄鎖の他に失うものを持たない」と
言われるプロレタリアですが、
実は「鉄鎖」以外にも失うものがあったのです。
「子ども」です。
どれほど悲惨な社会的条件下に置かれても、
どれほどの貧困のうちにあっても、
人間は子どもを生むことだけは決して止めない。
そのことは古代から現代に至るまで、
一度も疑われたことがありませんでした。
その「一度も疑われたことがないこと」が起きる。
それがマルクスの言う「大洪水」ではないのでしょうか。
つまり子どもを産むことさえできない
労働者たちの登場です。
あまりに苛烈な収奪の結果、
労働者が生物学的に再生産することさえできなくなること。
収奪し過ぎたために、
ついに収奪する資源そのものが枯渇すること。
それはまさしく資本主義にとっての
「大洪水」に相当するはずです。
(P.137)
少子化こそが
資本主義を破壊する。
何となく確かにと思うところもあります。
奴隷のように働くしかなかった時代から
個人の自由で多様な働き方を選べるようになり、
結婚しない、子供を作らない、
そもそもそんなお金がないという現代社会。
嫌な予感がしますね…。
ある人びとが巨大な富をもつということは、
それよりはるかに多くの人びとから
必要物を絶対的に奪い取るということがつねにつきまとう。
一国の富はその人口に対応し、
その貧困はその富に対応する。
ある人びとの勤勉は、
他の人々に無為を強要する。
貧者と無為者は
富者と勤労者が必然的に生み出す果実である。
(P.143)
マルクスの着眼点の凄さを知り、
さらに深掘りしてみたくなりました。
どこまで理解できているのかの問題はあれど
やはり「資本論」は読むべき1冊であることは
おそらく間違いないのでしょう。
最近では読みやすい「資本論」も出ているようですから
いずれチャレンジすることになりそうです。
評価
おススメ度は ★★★★★ と満点といたします。
私は仕事柄、
働くとは?仕事とは?労働とは?
キャリアとは?人生とは?
こんなことをかなり深く考えてきたつもりです。
しかしマルクスは
社会性や、経済性なども含めて
さらに広い視点で見ていますし、
驚くのは歴史を超えて
それこそ現代でも通じる発想を持っており
そこから導き出された考えは
100年以上経つ私たちが感嘆するほどでもあるのですよね。
本当にスゴイ人だったんだなと思います。
私個人としては
資本主義の限界が近づいているように感じていますし、
マルクスはそれを大洪水と表現していたようですが
もう街中が水浸しになっているようにも感じます。
果たしてそれを防ぐ術があるのかどうかはわかりませんが、
私たちは「資本論」を読んで
備えを打っておかねばならないのかもしれません。
少なくとも現総理が軽々しく
新しい資本主義なんて言ってましたけど
そんな浅いものではないですし
結局何もできてませんよね。
AIが産業革命レベルに
私たちの生活を変えるのか?も
まだわかりませんし、
もしかしたらまだ表れていない何かが
大きな分岐点になるのかもしれません。
ただ手をこまねいていると
大変なことになるかもしれず、
知性的に、マルクスになったつもりで
すべきことをしておいたほうが良いのは
確実なような気がします。
そうは言っても
何ができるのか…
取りあえずは資本論を読むことかな?
それでは、また…。
<ジーネットが発信する情報提供サイトはこちらです!>
・ジーネット株式会社 公式ホームページ
・医療ビジネス健全化協議会<IBIKEN>ドクター向け情報提供サイト
・ジーネット株式会社 <社長のtwitter>
・ジーネット株式会社 <社長のfacebookページ>