おはようございます。
医師の転職・開業相談を
未来を共に考えるスタンスでお受けしている
ジーネット株式会社の小野勝広です。
「土光敏夫 無私の人」
上竹 瑞夫 人物文庫 を読みました。
この人物文庫シリーズは
ホントに面白いですね。
私はすでに20冊近くを読んでおりますが、
なかなか手に入らない本もあり、
ブックオフなどで見つけた際には
即買いしております。
土光敏夫…。
少し前に読んだ石坂泰三氏の本に
頻繁に登場してきて興味はあったんです。
土光さんは、
また私が子供の頃に
ニュースでよく見聞きしていた
記憶が何となくあります。
石川島芝浦タービンで社長。
石川島重工業で社長。
その後、播磨造船所と合併し
石川島播磨重工業でも社長。
前述の石坂泰三氏に請われ東芝で社長。
ビジネスマンとしては大成功を収めた方ですが、
その後も経団連第4代会長、
鈴木善幸首相、中曽根行政管理庁長官に請われ
第二次臨時行政調査会長。
ビジネスだけでなく、
この国の為に力を尽くした方であります。
おそらく私が子供だった頃は、
経団連会長や土光臨調で活躍していたのでしょう。
そりゃニュースで名前をよく聞くはずです。
何となくスゴイ人…というのは
わかっていたつもりですが、
本書を読んで
そのスゴさの理由を知りました。
そしてそのスゴさは
実績、経歴だけでなく、
土光さんの人柄、ポリシー、
生き方といった所に
ある事もよくわかりました。
これだけの成功者ですから、
悠々自適の生活を送る事もできたのでしょうが、
普段の生活ぶりは非常に質素であり、
生活費以外の残りの収入は
母親が開校した橘学苑という学校に
寄付していたそう。
まさに公に生きて私を抑えた方なんですね。
だからこそミスター合理化として
現在のJR、NTT、JTの礎を
作る事もできたのでしょう。
メザシの土光さんとも呼ばれていたそうですが、
実際に玄米、菜っ葉、味噌汁、メザシという
食事を取っていたのだそうです。
接待が嫌いで、
夜の会合を避ける一方で
出社は誰よりも早く、
他の役員が出社するのを待ち、
勢揃いしたら会議が始まる事もあったそうです。
無私の人。
そして背中で引っ張る
リーダーシップを持ち合わせた人。
だから嫌われ役にもなれるし、
大改革もできる。
まあこういう伝記ものは
大概が良い事ばかりを書くもの…
というのを差し引いても、
土光敏夫という人物がいなければ
日本という国は
右肩上がりの高度経済成長を、
ここまで成し遂げる事ができなかったのではないか…と、
そう思わせられる程のスゴイ人であります。
日本にもこういう方がいたんですよね…。
だから敗戦後、
何もない所から
ここまでの国になれたんですよね…。
現代社会に生きる我々は
土光さんの爪の垢を煎じて飲まんとあかんな…
と思う次第です。
最後に目次をご紹介します。
序章 教条の涙
第1章 挫折と挑戦
第2章 東奔西走
第3章 大いなる決断
第4章 母・登美と橘学苑
第5章 執念の東芝再建
第6章 種を蒔く人
第7章 行革に命を懸ける
終 章 巨星堕つ
おススメ度は ★★★★☆ と致します。
土光さんが再建した東芝が
とんでもない事になっています。
土光さんが推進した行政改革は
後戻りしてしまったと言わざるを得ません。
土光さんのような無私の人が
今ほど求められる時代はないように思います。
だからこそ非常に勉強になりました。
それでは、また…。
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