ある読書好き医療コンサルタントの「書評」ブログ!

年間60~70冊ほど読んでます。原則毎週日曜日に更新しますが、稀にプラスαもあります。本好きの方集まれ!

存在論的、郵便的 ジャック・デリダについて

 

おはようございます。

 

読書がライフワークになっている

医療業界のコンサルタント

ジーネット株式会社の小野勝広です。

 

わからないものを

わかった気になるのは

避けた方がいいと思ってます。

 

わからないものは

わからないままで

きちんと置いておくべきですよね。

 

もうひとつ大事なのは

わからないものを

いつかわかるように学ぶって事ですね。

 

学んだからといって

必ずしもわかるものではなりませんが、

わかまるまで学び続けるという姿勢は

自分のために必要ですよね。

息の長い話しですけど…。

 

今回ご紹介する書籍は、

 存在論的、郵便的 ジャック・デリダについて 】 です。

 

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本書をピックアップした理由

存在論的、郵便的 ジャック・デリダについて 』

東 浩紀 新潮社 を読みました。

 

東浩紀氏の著書は以前に下記を読みました。

 

ka162701.hatenablog.com

 

これがとてつもなく面白く、

大変に勉強になったことから

東浩紀氏の他の本も読んでみたく、

東氏を世に送り出したデビュー作であり、

おそらく最も知られているのではないかと思われる

本書に興味を持ったのです。

 

実は本書を手に入れてから

かなりの年月が経ちます。

 

だってパラパラとページを捲ると

ん?これはかなり難しそうだぞ…と感じたんですもん。

 

でもせっかく買ったのだから

いつか読まなきゃ…と思っていて、

そろそろ行くか~みたいな感じで

読み始めた次第でした。 

 

目次

第1章 幽霊に憑かれた哲学

第2章 二つの手紙、二つの脱構築

第3章 郵便、リズム、亡霊化

第4章 存在論的、郵便的 

 

感想

う~ん、案の定難しい。

 

別にジャック・デリダ

興味があったわけではない私…。 

 

ただ東浩紀さんに関心があるだけですから

その東さんが興味があるジャック・デリダ

何か親和性があるかと思っていたら

これが全くなし…。

 

いやはやかなり苦労して読み終えました。

ぶっちゃけ理解度は30%くらいでしょう。

そこまで届いていないかもしれません。

 

今まで哲学本は結構読んできてるんですけどね~。

 

ka162701.hatenablog.com

 

わからないくせに

なぜか哲学は学ばねばならないと

私は誰に言われるでもなく考えていまして、

少しでも関心を持つと

すぐに購入して

いつか読もうと積ん読しています。

 

本書もその1冊でしたが、

ジャック・デリダについて

解き明かしていくプロセスで

フロイトであり、

ラカンであり、

ハイデガーであり、

大哲学家の理論も紹介しており、

そういう点では勉強になりました。

 

やはりベースとなる知識がないと

哲学はなかなか理解できませんからね。

 

と言いつつ前述したように

いったいどこまで理解できたのか…。

 

でもいいんです。

哲学なんてそんな簡単に理解できると思ってませんし、

生涯を掛けて学ぶべき対象だと思ってますから。

 

きっとじいちゃんになる頃には

何か明らかになるんじゃないかなあ…と。

 

それでは恒例の私がグッと来た箇所をご紹介します。

 

真理とは、

自己自身が生成することであり、

自らの終わりを自らの目的として前提し、

始まりとし、

それが実現され終わりに達したときに

はじめて現実であるような、

円環である。

(P.25)

 

イデオロギーはそもそも、

「みずからの失敗をあらかじめ計算に入れて」

機能する。

(P.44)

 

哲学(思想)は多くの場合、

起源的固有名への回帰、

そしてそのテクストの再読として構想される。

(P.62)

 

悪魔とは自らの登場を反復している再来であり、

それはどことも知れないところから再来し、

誰だか知れないひとから継承され、

回帰という単純な形式によってすでに人を苦しめ、

あらゆる表面的欲望から独立していつつ、

たえず反復的で、そして自動的だ。

(P.65)

 

哲学的発明をいくら積み上げたとしても、

それは事後的には

つねに唯一の言語ゲームとして捉えられる。

複数の諸哲学の存在は、

結局は「哲学」の名簿を豊かにするに過ぎない。

(P.68)

 

いままで繰り返してきたように

脱構築」とは一般に、

その地点を暴露し、

既成の位階秩序を解体する行為だと理解されている。

ここで重要なことは、

その「脱構築」の戦略が

不可避的に形式的なものになることである。

(P.89~90)

 

「究極的な分析のメタ言語など

 絶対にあり得ないということ」であり、

「疑問の余地のない決定不可能性と

 曖昧な確実さしかない」、

この解釈の「宙づり状態」である…。

(P.102)

 

「不可能なもの」を思考するため、

システムの全体に

たとえ否定的にでも言及する必要がない。

「不可能なもの」は

行方不明の郵便物としてイメージされる。

(P.118)

 

固有名や数学規則は

経験的な知の範囲を逸脱している。

それらは経験的には

認識不可能な無限個の確定記述、

無限個の事例に関わるからだ。

したがってそれらはともに、

大陸哲学的な術語で名指すならば

「超越論的」な対象である。

(中略)

超越論的対象の超越論性を支える場所を

主体から共同体へと移すという

同じ着想を主張している。

固有名の剰余(固定指示子)も

規則の規則性も、

単一の主体がそれをそれとして

認識することはできない。

前者は指示の連鎖により維持され、

後者は「生活様式」を

「共有する共同体」により確証される。

(P.132)

 

ただしその「他者」の意味には注意せねばならない。

あれやこれやの他人は、

声ー意識の専制を原理的に脅かさない。

経験的他者はつねに「私」が構成した他者であり、

したがってそこに発見されるのは

私の鏡像にすぎない。

声ー意識とはそもそも世界の地平そのものなのであり、

すべての内世界的対象はそこに属する。

(P.162)

 

ある言説の理解の審級がコンスタティヴか

パフォーマティヴか決定できない、

その決定不可能性から不可避的に生じる

発話者の側における条件、

ド・マンについて述べた柄谷の言葉を借りれば

「言葉が書き手の意図を裏切って

別のことを意味してしまう」という倫理的条件について

語っていたことになる。

(中略)

そこでは「言葉が書き手の意図を裏切って

別のことを意味してしまう」状況は、

もはや発話者の側の決定不可能性からではなく、

発話者と受話者とのあいだに広がる

ネットワークから分析されるからだ。

(P.171~172)

 

私たちは論理によってしか世界を思考できない。

言い換えれば、

世界と思考はともに論理に支えられている。

とすれば必然的に、

論理自体は世界=思考を超えることになる。

(P.227)

 

ひとは命題の真偽については有意味に語れるが、

何故そもそもの命題が存在するかについては語れない。

(中略)

「語りえぬことについては

 沈黙しなければならない」という 

 有名な要請で終わる。

(P.228)

 

言い換えれば概念の名は

その「同じもの」を通し、

対象と確定記述とを同時に名指ししている。

したがってその名は諸確定記述に還元されない、

つまり概念は諸定義により規定されない。

(中略)

とすればそこでは必然的に、

哲学的諸概念(固有名)を

科学的諸概念(確定記述への還元可能性)から

区別しているもの、

つまり哲学的諸概念にplusを与えるものの場所が

問題とされることになろう。

(P.253)

 

ひとは何かを抑圧する。

その作業は無意識で行われる。

そしてそのあとではじめて、

意識的思考=判断の地平が成立する。

にもかかわらずその抑圧の痕跡は、

対象の「否定」というかたちで

意識的思考=判断へと再来する。

「判断において何かを否定するとは結局、

『それは私が最も抑圧したいものである』と

いうことを意味する」。

(P.264)

 

分析者は症状の解釈を通じ、

患者の抑圧された欲動や幼少期外傷を再構成する。

(中略)

患者はそもそも症状の意味を知ろうと欲しない。

そしてこの意欲の欠如は症状の一部をなしている。

「その病理学的契機は無知そのものにではなく、

その無知が、それを最初に呼び出し、

いまも保持し続けている

内的抵抗に基礎づけられていることにこそある。

したがって知らせること、

つまり患者の意識に向けた解釈投与は、

それだけでは何の治療効果ももたない。

「意識的知はこれらの抵抗に対してはまったく無力だった」。

(P.286)

 

ある意味で「思考」は何も意味しない。

その思考には重さがない。

(P.309)

 

評価

おススメ度は ★★★☆☆ といたします。

 

好きな人には好きでしょうし、

興味ない人は興味ないでしょう。

 

でも大人の嗜みとして

知っておいた方がいいのかもしれません。

 

要は「考え方」だと思うんです。

 

個々それぞれ様々な考えを持って

日々活動していますよね。

 

でも絶対的に自信がある方なんて

そうはいないと思いますし、

むしろそういう人は

視野が狭いと言えるかもしれません。

 

誰もが自分の考えを

ブラッシュアップし続けねばならないと思うんです。

 

そのヒントであったり、

きっかけは本書にあるかもしれません。

 

ただかなり難解です。

私は理解度が浅いまでも

それなりに哲学本は読んできてますので

慣れのようなものはあるはずなんですけど、

それでも「ん?」と何度も読み返しました。

 

読み返したのによくわからない…と(苦笑)。 

 

まあ言い訳をするとですね、

わからないことがわかっただけでもいいですし、

ごくわずかでもわかったところもありますし、

しっかり読み込むことで

いずれわかるところもあるかと思ってます。

 

哲学ってそんなものじゃないでしょうか?

 

なんて言ったら専門家の方や

きちんと哲学が理解できている人には

呆れられるかもしれません。

 

私のスタンスとしては

哲学は死ぬまで学び続けると考えてますので

これはこれでいいんじゃないかと思ってます。

 

読み切った~という満足感は手に入れました(笑)。

 

それでは、また…。

 

 

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