おはようございます。
読書がライフワークになっている
医療業界のコンサルタント
ジーネット株式会社の小野勝広です。
ああ、もっと若い頃から
しっかり勉強しておけば良かったな。
年を取れば取るほどに
こういう分野って増えますよね。
私なんぞはもうそういうものばっかりで
遅ればせながらいい年をして勉強してますけど、
まあ、それもある意味ではご縁かもしれませんけど
もっと早く学び始めれば
もっと奥深く行けたのかな…とか、
そんな気持ちはなくはないです。
そのひとつとして
最も大きいのが「哲学」です。
昔からわりと興味はあったんですよね。
それこそ学生時代にも
何冊か読んではいるのですけど
当時はどうにも理解ができなくて…。
本を読んでいて
わからない、わからない、
オレは馬鹿なのか?
この本が難しすぎるのか?
こういう時って誰にでもあるとは思うんですけど
結構、辛いことでもありますよね。
ようやく何とかかんとか
そこそこ哲学書を読めるようになったのは
ここ最近かもしれないなあ。
哲学も広いし、深いし、
まだまだ学び続けなきゃいけないと思ってますが、
こればかりは「続ける」のが
もっとも大事なのだろうなと思ってます。
今回ご紹介する書籍は、
【 哲学は人生の役に立つのか 】 です。
本書をピックアップした理由
『 哲学は人生の役に立つのか 』
本田 元 PHP新書 を読みました。
えっと、本書は随分と前に購入しておりまして
ずっと積ん読本棚で眠っていたのですが
なぜか気になってつい手に取りました。
本田元さんと言えば
哲学界隈では知らぬ人がいないくらいの著名人らしいですが
ぶっちゃけ私は知りませんでした。
本書はジャケ買いと言いますか、
完全なるタイトル買いです。
哲学は人生の役に立つのか?
私は確実に役に立つと思ってますし、
哲学のない人って浅いじゃないですか。
意識、無意識の問題もありますけど
哲学的な要素のない人を
私はあまり信用できてません。
なぜ?と問われると
ちょっと困るところがありまして
それもあって
何らかの「導き」が欲しくてですね
それで本書を読み始めました。
目次
序章 「幸福」なんて求めない
第1章 混乱の時代を生き抜いてきた
第2章 思いきり悩み、迷えばいい
第3章 頭より体力が基本だ!
第4章 哲学者だって女性に惑った
第5章 人生ずっと、まわり道
第6章 遊びも一所懸命
第7章 好きなことをして生きる道
終章 死ぬための生き方
感想
哲学と名の付く本は多いですが、
本書は自叙伝的なポジションでもあり、
しかし哲学家の自叙伝なわけですから
そりゃ必然的に哲学となるのです。
しかし著者はあえて
話しを難しくしないように、
もっと皆さんに哲学を楽しんでもらおうと
考えているかのごとく、
難しい領域に入る前に
ふっと緩めてくれるのですね。
こんな哲学書は今まで読んだことがありませんでしたので
非常に読みやすく、わかりやすい本でした。
つまりそれはあまり哲学、哲学していないということであり、
それが逆に哲学を理解させることに繋がるという
もしこれを著者が意図しているなら
この方は天才と言っていいでしょう。
半生を振り返った自伝というスタイルが
哲学を引き寄せたり、離れたり、
そのスタンスが心地良かったです。
私のような単純な人間は
ああ、もっと哲学を学びたい、
哲学に触れたいと思わされましたね。
何だか不思議な心地良さで
読後感がとてもスッキリしました。
それでは恒例の私がグッときた箇所をご紹介いたします。
「幸福」という言葉は
「happiness」の翻訳語でしょう。
日本では、「仕合わせ(幸せ)」という言葉はありましたが、
それは「巡り合わせ」とか「天運」といった意味です。
ですから、
「あまり悪い目に遭わずにすむような、よい巡り合わせ」を
願うという気持はあったのでしょう。
また、「どうぞご無事で」という挨拶があるように、
「あまり悪いことがないように」と願う気持はあったと思うのです。
これなら分かります。
しかし、「他人よりもよい状態になろう」といったことを、
あからさまに口に出したり思ったりはしないのが、
昔からの日本人の嗜みだったはずです。
ところが、今の日本人はみんな「仕合わせ」ではなく
「幸福」になりたいと思っている。
それは「他人よりもいい生活をしたい、いい思いをしたい」
ということですよね。
今の日本人にとっての「幸福」とは、
そういうことだと思います。
(P.19~20)
なるほどなあ。
「幸福」と「仕合わせ(幸せ)」の違いなんて
考えたことがなかったなあ。
言われてみれば
幸せの形も欧米化してしまい
本来の日本人らしさを失ってしまったのかもしれません。
資本主義、グローバリズムは
日本の良さを打ち消してしまったのでしょうか。
資本とか技術とかを、
そんなふうに実体化するのはおかしい、と
言われるかもしれません。
しかし、言語とか社会構造についても、
人間のコントロールをまぬがれる
そうした自己展開の論理を考える立場は、
今では珍しくありません。
むしろ、人間のコントロールの力を
課題に認めようとする近代ヨーロッパの人間中心主義、
いわゆるヒューマニズムのほうに問題がありそうです。
ひところ話題になった構造主義は、
そうした人間中心主義へのアンチ・テーゼでした。
技術についての私の考え方にも、
それに似たところがあるかもしれませんが、
私はむしろ、こう考えるのです。
たしかに、技術が人間を助けてくれる場面は
多いにちがいありません。
もともと人間を人間にまで育て上げてくれたものなのだから、
それは当然でしょう。
しかし、だからと言って技術の真意が分かったとか、
技術に悪意がない、
人間の意のままになるのだ、
などと思わないほうがよさそうです。
技術の論理は、人間とは異質なもの、
人間にとっては不気味なものだと考えて、
畏敬の念をもちながら、
くれぐれも油断しないほうがよい、
とそんなふうに考えるのです。
(P.33~34)
少し長いですが、
かなり重要なことだと思い
できるだけ引用しました。
技術も資本も
私たちはコントロール不可能だと思います。
ましてこれからAIが拡がれば
なおさらですよね。
過信は禁物ですし、
技術や資本やAIの暴走は
私たち人類にとって大きなマイナスとなるでしょう。
下手したら全滅の危機に陥るかもしれません。
恐る恐る利用するくらいが
ちょうど良いでしょうか。
日本には、儒学の伝統があって、
言行一致をよしとするところがあるせいか、
立派な思想を打ち立てる人は、
人柄も立派でなければいけないという考えがあります。
しかし、どんなに性格がよくて人格が立派であっても、
仕事がよくなければ思想家としては、
問題にはなりません。
(P.130)
そりゃそうだという話しなんですけど
儒教の影響かどうかはわかりませんが、
どんなに優れたスペシャリティがあっても
人柄が最悪では困ります。
スペシャリティ+人柄は
むしろ目指すべきところではないでしょうか。
結婚というのも、
歴史的な制度であるにはちがいない。
子どもを産んで、
労働力を安定させようという、
社会的な必要から出来た制度なのでしょう。
ですから、社会の生産力が一定の水準に達し、
それほど労働力の組織化が必要でなくなると、
若い男女が結婚しなくなります。
現代の日本がまさしくそうで、
結婚という制度が崩壊しつつあるような気がします。
そんな制度に素直に従っているというのも、
ばかばかしいようにも思えますが。
(P.144)
まあ確かに少子化の根本的な要因かもしれません。
政府が打ち出す少子化対策に効果がないのは
ここに切り込まないからと言えるのかな。
結婚という制度は残しつつも
新たな国の在り方の根本となる
自由で若者が好む制度を作ってもいいのかもしれないなあ。
これらは一例にすぎませんが、
結局、「存在と時間」を読み終わってみても、
そうしたわからなさがあちこちに残り、
肝腎なことはさっぱり理解できていないという気がしたのです。
そして、これは、
どうもこの本を繰り返し読めば分かるという問題ではなく、
兄弟子のマックス・シェーラーも、
カントもヘーゲルも、
いやそれどころか、
プラントもアリストテレスを読まなければ、
本当には理解できない問題なのだろうと思えてきました。
(P.150~151)
本書の大きなテーマとして
大哲学家でもそうだったんだと
ホッとひと安心できました。
私は何かテーマがあるわけではないのですが
哲学っていろんな人の作品を読んで
様々な角度から捉えないと一向に理解できません。
なので必死こいで読みまくってる次第です。
下記をご覧になると私の歴史が詰まってます(笑)
人間は、労働を通じて自然に働きかけ、
それを効果的におこなうために
他人にも働きかける。
さらに、労働を通じて、
自然に働きかけられ、
他人に働きかけることによって
「類的存在」としての自己を形成していく。
人間にとって労働は、
人間になるために
どうしてもおこなわなければならないものなのです。
(P.231)
おっしゃる通りだと思います。
働かないと人間は人間性を失うでしょう。
ただし労働とは何か?という定義は
社会一般が決めるのではなくて
その本人が決めるものです。
ですから本人がこれは労働だと言えば
あらゆる活動が労働になるんじゃないでしょうか?
評価
おススメ度は ★★★★☆ といたします。
本書の「おわりに」で
著者はこう述べています。
それではいったい
「哲学は人生の役に立つ」ことになったのでしょうか。
それともならなかったのでしょうか。
はじめにも言いましたように、
「人生の役に立つ」ということが、
世のため人のためになるという意味なら、
やはり私には哲学が役に立つものだとはとうてい思われません。
しかし、もしそれが私自身の人生において救いになったか、
ということなら、
たしかに私は哲学に出会うことによって救われた、
と言っていいところがあります。
ですから、哲学は役に立ったと認めざるをえないでしょう。
(P.249)
哲学が必要か、不要か、
哲学を活かせるか、活かせないか、
これは個別的な問題なのでしょう。
何となく哲学の位置づけが
私には見えてきたように思いました。
またしばらくしましたら
哲学を勉強します。
それでは、また…。
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