おはようございます。
読書がライフワークになっている
医療業界のコンサルタント
ジーネット株式会社の小野勝広です。
ただでさえ日本経済は右肩下がりになっていて
それに加えて自然災害は頻発し、
コロナがやってきて
ウクライナ情勢で輸出入も滞り、
このままで大丈夫か?と不安になりますよね。
でも不思議なことに
こんな時代でも史上最高益を叩き出す企業も少なくなく、
個人でも非常に金回りのいい人もいますね。
我が国は小さな国ではありますが、
それでも実にいろんな人がいて
いろんな社会活動が行われているのですね。
私のような小市民は
身の回りを今よりも少し良くしていく。
その程度のことしかできないんですけど
例えその程度でも
私利私欲に走るのではなく
「公」を思いながら
着実に実行していくことは大事ですよね。
今回ご紹介する書籍は、
【 しょぼい生活革命 】 です。
本書をピックアップした理由
『 しょぼい生活革命 』
内田樹・えらいてんちょう(矢内 東紀)
晶文社 を読みました。
革命が必要だ!
大改革が待ったなしだ!
ついそんなことを考えてしまいますけど
ホントはもっと身近なところから
着実に1歩ずつ変えていくほうがいいんだろうなという
そんな思いもあります。
あまりにも右に左に触れるよりは
真ん中付近で情勢を見ながら
多少触れるくらいのほうがリスクもなさそうです。
本書を見つけたとき、
そりゃ内田樹さんの本ですから
間違いなく買いますし確実に読むんですけど
この「生活革命」というタイトルに惹かれたんです。
そうだよね、
まずは身近なところからだよね…と。
対談相手のえらいてんちょう(矢内東紀)さんのことは
全く存じ上げなかったのですが、
内田さんが対談する人だから
きっとユニークな方なのだろうなと勝手に判断しました。
さてさてどんな話しが展開するのか?
楽しみにしつつ読み始めたのでした。
目次
第2章 しょぼいビジネス、まっとうな資本主義
第3章 共同体のあたらしいあり方
第4章 教育、福祉制度を考える
第5章 先祖と宗教とユーチューバー
第6章 日本とアジアのあるべき未来
感想
う~ん、実に面白い。
えらいてんちょうさんも非常にいい。
結構著名な方らしいですね。
考え方、生き方が
昭和の時代とは完全に異なっていて
それがとても興味深かったです。
そしてこういう若くて斬新で
これからの時代を担うような人と話すと
内田さんの良さがさらに発揮されます。
世代で言えば
昭和を引きずる方ですけど
内田さんに世代なんて全く関係ありません。
だからえらいてんちょうさんのような方も
内田さんの言葉には耳を傾けてしまう。
そして内田さんは若い方へのエールを送りながら
哲学、本質、原理原則、基本基礎を授けていく。
いや~、本書は多くの方に読んでいただきたいです。
きっと目を開かせられると思います。
そっか、そう捉えればいいんだ。
なるほど、こう考えればいいんだ。
そんな気づきが満載ですよ。
それでは恒例の私がグッときた箇所をご紹介します。
ほんとうに新しいものは
「新しいけど、懐かしい」という印象をもたらします。
ただ「新しい」だけでは
時代を刷新するような力を持ちません。
「新しく」てかつ「懐かしい」という
二つの条件を同時にクリアーしないと
時代を変えることはできない。
(P.6)
一世を風靡するようなものって
確かにそうなのかもしれないなと思いました。
一部で流行るものと
社会を変えるようなものの違いでしょうか。
新しさとなつかしさの共存。
新商品や新サービスを考える際の
ヒントになるかもしれません。
いま中等教育でいじめがすごく問題になっていますけれど、
いじめって、
「異分子を排除する」というよりも
「共感度を高めよう」という
努力に起因するんじゃないかと思います。
みんなでもっともっと一つになろうよ、
みんな同じ感覚を持とうよ、
それが素晴らしいことなんだよ、という
同質化圧力が高まりすぎて、
しだいに集団が痩せ細っていく過程で、
それについていけない人が排除されてゆく。
そのメカニズムを駆動しているのは
ある種の善意じゃないかと思うんです。
「変なやつを排除しよう」ではなくて、
「もっともっと一体化しなければ」という善意。
これがいま日本中に取り憑いている、
何かすごく深刻な病のような気がするんです。
(P.39~40)
日本人らしいというか、
この同調圧力が強みにも弱みにもなり、
若い人を苦しめているのかもしれませんね。
個人的にはゼロイチや白黒で考えるのではなく
新たな世代の人たちが
自分たちや未来のために
程良いバランスを見い出すのがいいのではないかと
考えています。
自分にはわりと簡単にできるけれど、
他の人たちにとっては
けっこう難しい仕事というものがありますね。
それを担うのが共同体に貢献する仕方だと思うんです。
自分には選択的にある種類の仕事については能力や適性がある。
そういうものは「持ち出す」ためにあるんです。
天賦の才能というのは、
自分のために使うんじゃなくて、
人のために使うように、
天から贈られたギフトなんですから。
みんなが自分の「ギフト」を差し出す。
すると、みんなのギフトが供託された場所ができますね。
そこに「公共」というものが成立する。
(P.49)
おっしゃる通り!
自分と組織、自分と社会、自分と他者の関係性を
どう捉えて、いかに発展させるか。
最初のポジショニングを間違えると
ずっと間違え続けてしまうのですよね…。
どうやって自分たちが払った年金や税金を
自分たち世代のために使わせるかということを
すごく真剣に話していた。
自分たちの割り前をどうやって回復するか、
いまの制度のままだと、
自分たちが払った分が戻ってこないじゃないか、
こんな制度は理不尽だって、怒っているんです。
でもね、「公共」というのは、
どれだけ公共から「自分の取り分」を奪還するかではなくて、
どれだけ手持ちの資源のうちから
公共に差し出せるものがあるかを考えるところから始まるんです。
絶えず公共の場に手持ちの資源を供託し続ける
ダイナミックな運動によってしか共同体は成り立たない。
どれだけ自分の本来の取り分を回復するかを
まず考えるという人たちは、
公共というものが、
自然物のようにあらかじめ存在していると信じているらしい。
でも、そんなはずないじゃないですか。
公共って、そのつど創り出されているものなんだから。
集団成員たちが「公共からの奪還」を
「公共への供託」より優先させたら、
あっという間に公共は瓦解してしまう。
(P.50)
教科書に載せたいほどの卓見です。
こういう大事なことを教育してこないから
この国は衰退したのでしょうね。
僕は組織の中に長くいたので
経験的にわかりますけれど、
「責任はオレが取るから」と言うと
トラブルが発生しないんです。
新しいプロジェクトが始まるというときに、
現場がアイデアを出してきたら、
「思う通りにやっていいよ」と現場に任せる。
「失敗したらオレが責任取るから」って。
だって、「オレが責任を取るよ」と言うと、
失敗しないから。
「責任を取る」という宣言をなす人がいると、
責任を取らされるような事態の出来は最小化できる。
逆に、「オレは知らんぞ。失敗したら、お前たちが責任取れよな」
というふうに突き放すと、だいたい失敗する。
そういう場合は、
みんなが責任をなすりつけあって、
結局誰も責任を取らないので、
「責任」という言葉そのものが空語になる。
責任というのはものごとがうまく運ぶための操作概念なんです。
機能だけあって、実体がない。
だから、どうやって「責任」という概念をうまく活用して
システムを機能させるかということが
実践的な問題になる。
(P.80~81)
本当にその通りだと思います。
そして「オレが責任を取る」という人が少なくなったのが
今の日本社会ですよね。
だから責任のなすりつけ合いをしていて
何も進まない、何も変わらないのは
国会を見ていればよくわかりますね。
一人一人が手を差し伸べることができる範囲って、
その仕事を真剣にやろうと思えば思うほど
縮小してゆくものだから。
「日本のために」とか言っている連中は
具体的には誰を支援する気もないんです。
だから、ナショナリストって、
同胞に対してきわめて非寛容で、意地悪でしょ。
(P.103)
はい、まずは身近なところから。
大きなことを言う人など放っておいて
みながそれぞれの身近なところを
より良くしていきましょう。
要するに、お金はそんなに必要なくて、
それより自分の能力を感謝され必要とされたい。
自分の能力を活かしたり、
人から感謝されたりすることと、
お金が欲しいということは、
分離されるべきで、
お金は場合によってはもらうことがある、
結果的に価値を生み出したらもらえることがある、
という感じで分離されていっているという実感があります。
(P.162~163)
良くも悪くも豊かな国にはなれたんです。
でもその先が見い出せなくて
カネ以外の価値観を知らないのが現代人です。
私たちはレゾンデートルを問わねばならないのでしょう。
すでにそういう傾向は強くなるばかりですね。
内田先生がおっしゃっていた、
「師を見るな、師が見ているものを見よ」という言葉が
非常に好きなんです。
教えられたことよりも、
その人が何をやっているのかを見て学ぶ。
「こうしろよ」と教えられることは、
あまり身に付かない気がします。
(P.188)
イチイチ教えてもらわないと
何もできないのでは困りますし、
サラリーマン根性は過去のものですからね。
師を超えるためにも
師の背中から
私たちは勝手に学んでいかないといけませんね。
守破離でしょうか。
僕は「オンリーワン」とか
「アイデンティティー」とか
「自分らしさ」というような言葉が嫌いなんです。
いいじゃないですか。
自分がいつも自分らしくなくても。
だって、人間って複雑なんですから。
僕の中には男性の要素もあるし、
女性の要素もある。
幼児性もあるし、老人性もある。
誇り高いところもあるし、
卑屈なところもある。
気前のよいところもあるし、
ケチくさいところもある。
そういうもの全部含めての僕なわけです。
そういう星雲的な、不定形なものとして
ぐじゃぐじゃと存在しているわけですよ。
その時々の場において、
とりあえず自分のできる最適なことをしようとすると、
どういう人格が出てくるかはケースバイケースで変わる。
誰が相手でも同じことを言うわけじゃない。
相手が変われば、言うことはまるで変わる。
まるで反対のことを言うことだってあります。
そういうものだと思います。
だから、「ほんとうのお前は何ものだ」と訊かれたって、
答えようがない。
人間は「オンリーワン」じゃないですよ。
そもそも「ワン」じゃないんだから。
「自分探し」とか虚しいことはもうやめましょうよ。
(P.204~205)
簡単に答えを出さない。
社会や人間の複雑性から目を背けて
安易に答えを導き出すのは
本質から遠ざかる一方です。
わからないものはわからないでいいんです。
わかるよりも問い続けるほうが大事ですし、
自分を安易に規定するのも
自分の可能性に蓋をするだけですよね。
それでも、絶対に戦争になってほしくないのは、
戦争が始まったら「バカが威張り出す」ことが
確実だからです。
いくら年寄りになっても、
バカが威張る社会では暮らしたくない。
(P.279)
バカが威張ってますね、すでに。
バカが権力を握ると
世界中の人が困りますから
私たちはバカにお墨付きを与えぬよう
できるだけ排除するよう
私たち自身が利口にならねばなりませんね。
評価
おススメ度は ★★★★★ といたします。
数ある内田さんの著書のなかでも
かなり上位に入るくらい勉強になりました。
それだけ内田さんが伝えたいことを
丁寧かつ嚙み砕いて説明しています。
後世への贈り物のような
価値ある思考、言葉が
あちこちに散りばめられています。
読む価値ありです。
それでは、また…。
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