ある読書好き医療コンサルタントの「書評」ブログ!

年間60~70冊ほど読んでます。原則毎週日曜日に更新しますが、稀にプラスαもあります。本好きの方集まれ!

孔子・老子・釈迦「三聖会談」

 

おはようございます。

 

読書がライフワークになっている

医療業界のコンサルタント

ジーネット株式会社の小野勝広です。

 

長年、読書をしていると

どうしても好きな作家さんとか

好きなジャンルに偏りがちですよね。

 

できるだけそうならないように

様々なチャレンジをするようにしていますが、

いつの間にか偏ってしまうのは

人情というものでしょうか。

 

自分のなかで

最近パターン化されてきてるなと思う時は

あえて普段は読まないようなジャンルに手を出します。

 

私の積ん読本棚には

ちゃんとそういう本も用意されております。

 

今回ご紹介する書籍は、

孔子老子・釈迦「三聖会談」 】 です。

 

 

本書をピックアップした理由

孔子老子・釈迦「三聖会談」 』

諸橋 轍次 講談社学術文庫 を読みました。

 

随分前に購入した本です。

ずっと積ん読になっていたのですが

なぜかピカーっと光って見えました。

 

神様が今、あなたはこの本を読むべきだよという

啓示をしてくれたかのようです。

 

こういう第六感というか

直観には私は素直に従うのです。

 

買ったということは

興味があるということであり、

そりゃ孔子老子、釈迦ですからね。

 

いつかは絶対に読まねばならんのです。

そのタイミングがやってきたということで

楽しみにしながら読み始めたのでした。

 

目次

1.会場の選定

2.好ましきもの

3.孔夫子の出処進退

4.太上老君釈尊の生涯

5.三聖の人間観

6.死生とはなにか

7.釈尊の「空」について

8.太上老君の「無」と孔夫子の「天」

9.「中」について

10.仁・慈・慈悲について

 

感想

三聖と言われる孔子老子、釈迦。

 

そりゃ今までだって

何かの本で読んだりはしてきました。

 

でも理解度はどうか?と問われれば

正直心許ないです。

 

だからこそ本書に関心を持ったのですが

三聖が会談をするという

かなり思い切った状況設定。

 

う~ん、大丈夫なんかい?と

不安を覚えながら

読み進めていったわけですが

いい意味で期待を裏切ってくれました。

 

確かに状況設定には無理があると思うし、

前半部分はさっさと話しを進めろよと

つい思ってしまったのは事実です。

 

ところがページを捲るたびに

段々と面白くなってきて

ところどころに散りばめられている

名言や格言の意味とか意図を理解するたびに

な・なんなんだこの本は…。

 

メチャクチャ勉強になるじゃないか。

 

中盤から後半に向けては

読むスピードも加速するばかりで

おお!と思うところはしっかりメモを取り、

読み終えた時には物凄い満足感がありました。

 

それでは恒例の私がグッときた箇所をご紹介いたします。

 

音楽は和を尊ぶものでありますから、

二つのものを合わせる力があります。

人びとが集まって、

いっしょに同じ音楽を奏すれば、

そこにみんなの心が一つに合してくる。

これが音楽の効果であると思います。

そういう意味で、

わたしは音楽をたいそう好んでおります。

(P.41)

 

なるほど。

言われてみれば確かに音楽って

そういうものかもしれません。

 

現代音楽もそうですし、

きっと古代の音楽は

なおさら美しいハーモニーを奏でていたのでしょうね。

 

でも音楽以外でも

そういう求心力のようなものもあると思います。

 

多くの人にリスペクトされるような人は

ある種の音楽のようなものなのかもしれませんね。

 

たとえば、地震がやってきて

目のまわるようなことがあったら、

柱なら柱にしっかりつかまることなく、

嬰児のように気を専らにするがよかろうというわけです。

それに、わたしが嬰児をたたえる理由は、

この無念無想の嬰児に対しては、

天下のなにものもこれを害することはできない、

という事実を知っているからです。

(P.49)

 

人類にとって赤ん坊は常に尊いものだと思います。

そういうものだと認識しておくことが

意外と大事な気がしますね。

 

ただこの嬰児が象徴する何かは

生存戦略として物凄く重要に感じました。

 

私たちは記号化された幻想に

つい引きずられてしまいますが、

よくよく考えれば

完全に自然に反していると言わざるを得ません。

 

もちろん社会が成熟化して

経済を効率よく回るためには必要不可欠なのですが、

お金とか、点数とか、合否とか、

それよりも大事なものは確実に存在するのでしょうね。

 

善人は不善人の師なり。

不善人は善人の資なり。

(P.110)

 

師と資。

なるほどですね。

 

善人だけでなく、

不善人にも存在価値はあるのですね。

 

世界で80億人もの人間が生きていて、

日本でも1億2000万人もの人がいて

そりゃいい人もいれば悪い人もいますよね。

 

でも悪い人にも存在価値があるという発想は

自分にはなかったので

かなり衝撃を受け、学びとなりました。

 

人を知るものは智なり。

自らを知る者は明なり。

(P.114)

 

人を知ること。

自分を知ること。

 

当たり前の話しですけど

なかなか自分のことは見えないのでしょうね。

 

裏を返せば…

人を知らねば愚なりですし、

自らを知らねば暗なわけです。

 

確かにそうかもと思いましたし、

私たちは「人」に対する興味や関心を

もっともっと持つべきなのだなと痛感しました。

 

知るものは言わず。

言うものは知らず。

ほんとうの知者というものは、

あまりしゃべらない。

しゃべる人間は、

どうせ知らないものだ。

(P.116)

 

「言葉」の重さ。

その人の本質を表すのかもしれません。

表層的に生きてはいけませんね…。

 

本物のコミュニケーションとは

ただしゃべくり倒せばいいものではなく、

ただ会話をすればいいというものでもなく、

そこに知識や知性や知恵を背景とした

意味のある「言葉」が交わされることが

超、重要なのだなと思い知りました。

 

そもそも因果の理とは、

早くいえば、

よいことをすればよい結果がある。

善因善果。

悪いことをすれば悪い結果になる、

悪因悪果。

だから、すべてはみずからのつくった原因によって、

みずからその結果をまねくということになる。

(P.137~138)

 

この当たり前の「理」を

現代人である私たちは見失っているのかもしれません。

 

悪いことをしてよい結果を求めているケースは多く、

それは因果として通用しません。

 

短期的に利を得たとしても

それは確実に因果応報となり、

行いに応じた結果が待ち受けているのですよね。

 

すべて、ものには中心というものがあるものだ。

そこで、その中心を失わないことが

中道のひとつの要点だね。

では、中心を失わないためにはどうするかといえば、

ものごとにぶつかったばあいに、

それをどう使うか、

その使い方を考える、

いかに味わうか、

その味わい方を考える、

いかに活用するか、

その活用の仕方を考える、

こういうことをするのが

ものの中心を認める道なのだ。

その点を失うとつまらない妥協になり、

あるいは意味のない折半議論となる。

くれぐれもその点に注意して欲しい。

その注意のいきとどくことが、

いわゆる中道であり聖行となるのだからね。

(P.197)

 

どこが中心なのか?

どうすれば中心が見えてくるのか?

 

この中心は本質と言い換えてもいいでしょうし、

性質でもいいでしょうか。

 

結局そこが見えてこないと

いい人生なんて歩めるわけがないんですよね。

 

八正道の細目はご存知かな。

正しく見ることの正見、

正しく考えることの正思、

正しく語ることの正語、

正しく行動することの正業、

正しく生活することの正命、

正しく努力することの正精進

正しく修行目的を心にとどめおく正念。

正しく瞑想沈思する正定の八つだ。

これだけの項目を実践するのが、中道だ。

したがって、この中道は、

仏教の全精神だといっても過言ではあるまい。

(P.200)

 

八正道…。

何かのどこかで出会っているのに

頭のなかには叩きこまれていませんでした。

 

こうして再読してみて

これは何としてでも

心に刻み込まねばと思いました。

 

自分のバカさ加減に情けなくなるけど

気付かせてくれたのはとても有難いです。

 

学とは道を学ぶことであり、

教とは道を教えることであり、

治とは道を行うことであるから、

この三者は完全に一致すると考えている。

(P.207)

 

人生というものは奥深いものですね。

そしてこの境地にはそう簡単に辿り着けないけれど

知らねば目標にもすることができません。

 

学、教、治、なるほど、

スッキリと腑に落ちました。

 

自分が立ちたいと思うなら、

人も立ちたいのだから、

まず人を立てる。

自分が達したいと思うなら、

人もまた達したいのだから、

やはり人を達する。

このように

すべて近くわが身にたとえを取って

他人の心を思いやるのが、

仁への方法にほかならない。

(P.249)

 

愚純な私に到達できる領域なのか

想像も付かないけれど、

所詮、人類なんて助け合い、

支え合わないと生きていけないのだから

こういう考え方を持たねば

自分も人も立てないし、達せない。

 

これ以上、愚かな人間にならないように

世のため人のために尽くしていきたい。

強くそう思いました。

 

評価

おススメ度は ★★★★★ と満点といたします。

 

どこかで聞いたことのある言葉。

何となくは覚えているけど

日常的に使うことはない。

 

でも生きていく上では

とても大切で、頭に叩き込んでおいたほうが良い言葉。

 

いや言葉だけではなく、

その根底にある意義や意味。

そこからしっかり学んでおかねばなりません。

 

すでに知っている格言や名言も

その背景を知らないと

ただ知っているだけになってしまいますね。

 

テストのための勉強の弊害が叫ばれたりもしますけど

まあ同じ意味合いです。

 

それをいかに有効に活用するのか、できるのか。

ここにこそリアルな知性と教養があるのでしょう。

 

三聖、孔子老子、釈迦。

勉強にならないはずがありません。

 

私は本当に本書と出会えて良かったと

しみじみ感じています。

おススメいたします。

 

それでは、また…。

 

 

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